第10話:求婚の理由

 セイリーンはまっすぐディアラドを見つめた。


「あまりに突然の求婚でしたし、ほとんど会ったこともないのにと不思議に思いまして……」

 セイリーンの問いに、ディアラドがきょとんとした顔になった。

「なぜ……とは。そなたを愛しているからだが……ぐっ!」

 傍らのキースの肘打ちをくらい、ディアラドが顔をしかめる。

「何をする、キース!」


 あまりに自然に王に暴力を振るうキースに、オーブリーたちは凍りついた。

 ミドルシア王国では不敬罪となり、ほぼ間違いなく処刑される行為だ。


「だから、その理由を直接伺いたいって言ってるんだろ! ああもう! 公式の場じゃないから敬語はいいよな?」

 驚きのあまり声が出ないセイリーンたちに、キースが説明してくれる。

「俺とディアラドは友人なんです。一応、形式的には臣下なんで公式の場ではそれらしく振る舞っているんですけど、普段はこんな感じです。格式を重んじるミドルシアの人たちからすると信じられないでしょうが、ウチでは問題ないのでご安心を」

「そ、そうなんですね」

 驚きつつも、セイリーンたちはホッとして頷いた。


 ディアラドはまだ納得いかないようで、首を傾げている。

「求婚するのに、好き以外の理由があるのか……?」

「あるから聞いてるんだろーが! おまえは一応大国の王! こちらは公爵家のご令嬢! 何か目論もくろみみや企みの末に婚姻関係を望んだのかも、と警戒してもおかしくないだろ?」

「……ふむ?」

 まだ納得していないディアラドの様子に苛立ちながらキースが叫んだ。


「おまえは初めて会ったときからずっと好きだったんだろうが、セイリーン様からしたら寝耳に水なんだよ!」

「つまり、俺の求婚に疑念があると……」

「初めて会った時って5年も前ですよね? それに目も合わせてもらえなかったので……」

 セイリーンの言葉に、ディアラドがばっと頭を下げた。


「あの頃は色々あってイライラしていて……。無礼な態度をとって悪かった!」

「いえ……」

 自分が不快に思われていたわけではないと知り、セイリーンはホッとした。


「どうせセイリーン様があまりに可愛くて、照れてたんだろ?」

 軽口を叩くキースをディアラドが睨む。

「おまえは黙っていろキース! 最初は我慢していたが、着飾って上辺だけの笑顔を浮かべている奴らが気持ち悪くて、パーティーを抜け出したんだ。で、どこか一人になれる場所を探して、バルコニーや木を伝って王宮内を探索していた。そのとき、聞こえたんだ。歌声が」


 セイリーンはハッとした。


「抑えているのに伸びやかで、澄んだ美しい音で……。すっかり俺は聞き惚れてしまった。侍女と二人、奥の庭で歌っていたのはセイリーン、そなただろう?」

「えっ、ええ」

 セイリーンは心底驚いた。

 あの頃よく、ルシフォスの宮の奥庭でこっそりと歌っていた。

 まさか他に聴いていた人がいたとは思わなかった。


「俺の不快な気持ちを歌が風のようにさらっていってくれた。心地良くて、温かくて、ずっと聴いていたかった」

「あ、ありがとうございます……」


「そなたと二人で話したくて父に相談した。それでそなたが王太子の婚約者と知った。他国の男が近づいていい女性ではない、と釘を刺された。だから――いつも遠目でしか見られなかった。こっそり贈り物はしたが……」

「贈り物……? いただいた覚えがないですが……」

「父に王太子の婚約者に近づくなと厳命されていたからな。『セイリーンへ』と書いたカードだけ付けた」


「あの、何を贈っていただいたんでしょう?」

 オーブリーも心当たりがないのか首を傾げている。

「俺が狩った狐だ」

「き、狐!?」

 オーブリーがハッとした表情になった。

「確かに……4,5年前に狐の死体が門の前に置かれていたことがあったな……。嫌がらせかと思っていましたが、あれは贈り物だったとは……」


「上等な狐だ。毛皮は首巻きにも帽子にもできるし――」

 一瞬、ムッとしたような表情を浮かべたディアラドが、口を尖らせ目を落とした。

「だが、不躾ぶしつけだった……。今ならわかる……贈り主不明の獣の死体など不審に思われても仕方ない……」


 当時、15、6歳だったディアラドの精一杯の贈り物だったのだろう。

 しょんぼりとしたディアラドの表情に、オーブリーはふきだすのをこらえた。

「そうでしたか……こちらこそ気づかず失礼しました」


「他国の男からの贈り物など迷惑でしかないのはわかっていた……。

それでも、俺は好いた女に贈り物をしたかったのだ」

「二回ほどでしたかな……?」

 オーブリーの言葉にディアラドが頷いた。

「ああ。父にバレて怒られてやめた。以来、父に付いてミドルシア王国に来たときは、こっそり奥庭でそなたの歌を聴くのが密かな楽しみだった」

「そんな……」

 ディアラドが聴いていたなど、まったく気づかなかった。


「覗き見などして申し訳ない。俺とて隠れていたかったわけではないが……。自分だけでなく国に迷惑がかかるゆえ、耐えるしかなかった」

 しゅん、とディアラドがうなだれる。

「俺は……何かそなたにしてやりたかった。自分が選び抜いた贈り物をしたいと思って、聖青石を持ってきていた。渡す機会を窺っていたら――目の前で婚約が破棄されて、それで――」


「絶好のチャンス到来! とばかりに喜び勇んで求婚したのか、おまえは。

本当に直情馬鹿だな」

「仕方ないだろ! 他の男に先を越されたら、また近づけなくなる!」


 セイリーンはようやく、ディアラドの一連の行動がに落ちた。

(それであんなに急いで求婚してくれたのか……)


「ずいぶん驚かせてしまったし、迷惑をかけてしまって申し訳なく思っている」

 オーブリーが頭を下げたディアラドを見つめた。

「では、5年前からずっとウチの娘のことを想ってくださっていた、と……」

「ああ、突然の思いつきなどではない! 俺だって、セイリーンと話したかったし、もっと早く求婚したかった!」


 ディアラドの率直な物言いに、セイリーンは顔が赤らむのを感じた。


「あ、あの……」

「なんだセイリーン!」

 声をかけるとディアラドが嬉しそうに笑みを浮かべた。

 ずっと話したかったと本当に思っていてくれたことが伝わってくる。

「お言葉は嬉しいのですが……私のこと、知りませんよね? 歌っていることしか……」

「ああ、だからそなたのことをもっと知りたい! たくさん話したいし、いろんなところに連れていきたいんだ!」

 ディアラドの熱い言葉と眼差しに、セイリーンは圧倒された。


「でも、私はつまらない女で……取り柄もなくって……」

 ダリアリアの自信に満ちた姿が浮かぶ。

 経験と実績に裏打ちされた、ルシフォスの心を射止めた侯爵令嬢。

「そんなわけなかろう! あんな歌を歌えるのだ! 歌で人の心を震わせることのできるそなたは充分特別だし、別に特別じゃなくてもいい。俺はそなたと一緒にいたいだけだ」


「一緒にいたいだけ……」

「ああ。そばにいてそなたを守りたいし、幸せにしたい! だから求婚したのだ!」

 ディアラドがきっぱり言い切る。

 その言葉にも表情にも、一片の迷いもなかった。


「まあ、好きに理屈は必要ない、ってことですね」

 呆然とするセイリーンたちに、キースがまとめるように言った。


「あ、ご心配なく。ディアラドに他に女性はおりません。縁談は山ほどあったのですが、一切興味を示さなかったし」

「心に思う女性がいるのだ。当たり前だ」

「……」

 セイリーンはまじまじと目の前の銀色の髪をした若き王を見つめた。


(辺境をべる王が、私のことを愛していると言っている……)

 あまりに信じがたい事実だった。


「ディアラド様、私はあなたと違って今、初めてあなたのことを一人の男性として認識しました。だから、私はあなたのことはよく知りません」

 ディアラドの金色に輝く瞳がセイリーンを捉えて離さない。

 この一風変わった青年のことをもっと知りたい、と思う自分がいた。

 セイリーンは勇気を振り絞った。


「だから――私もあなたと話してみたいです」

「本当か、セイリーン!」

 パッと顔を輝かせるディアラドの肩を、キースがバシッと叩く。

「やったな、ディアラド!」

 手を合わせる楽しそうな二人に、思わずセイリーンたちの頬も緩んだ。


「お父様……」

「ああ、セイリーン。ディアラド様のお話を伺って安心したよ」

 オーブリーはすっと頭を下げた。

「ディアラド様、娘を大事に思ってくださって父として感謝しております。先日のグレイデン王国での静養のお話、承りたいと思っているのですがいかがでしょうか?」

「私……しばらく国を離れて静養したいのです……。ディアラド様が連れていってくださるのであれば、ぜひ」


「本当か、セイリーン!! もちろん、連れていくとも! 心配するな、そなたがゆっくり休めるよう、俺が手配する!」

 ディアラドの快諾に、セイリーンは微笑んだ。

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