第2話:魔獣王の求婚

 『魔獣王』とはグレイデン王国の王の二つ名だ。


 魔獣とは、魔物と呼ばれる特殊な生き物の中でも特に危険で強大なものを指す。


 グレイデン王国では王位を継ぐ儀式として、辺境の地に生息する大型の魔獣、シュヴァルツ・ヴォルフを倒さねばならない。


 シュヴァルツ・ヴォルフは狼に似たピンとした尖った耳とたてがみを持つ、体長5メートルはあるという漆黒の魔獣だという。


 牙や爪のみならず、咆哮ほうこうですら人を殺せるという噂で、その毛皮は普通の剣や槍などの武器はもちろんのこと、炎も通さないらしい。


 見事討ち取ったあかつきには、その毛皮は王の証としてマントにして羽織るのが習わしだ。


(グレイデン王国のディアラド様……)

 セイリーンは必死で記憶をたぐり寄せた。

(前王であるブレイク様のご長男……)


 ブレイク前王の、華やかで人懐ひとなつっこい笑顔が脳裏に浮かんだ。

 柔らかそうな亜麻色の髪と、優しい緑色の目をした紳士だった。


 5年ほど前、パーティーで彼の隣にいたディアラドを紹介されたことがある。

 自分より二つ上の15歳だったディアラドの第一印象は、不機嫌で愛想のない長身の少年、だった。


 母君似なのか、ブレイク王とはまったく似ていない銀髪金目の少年だったのを覚えている。

 でも、その後は時折パーティーでちらりと目にするくらいで、一度も話していない。


 王位を継承したことも、半年ほど前に噂で聞いただけだ。

 つまり、一度軽く挨拶しただけの薄い間柄だ。


(なのに……なぜ私に求婚を……?)


 頭部にピンと尖った耳がついた長い毛皮のマントを誇らしげに揺らせ、ディアラドが歩み寄ってくる。


 その金色の瞳は強い光を放ち、魔獣の被りものの下からは輝く銀色の髪が見えた。


 まるで彼自身が魔獣のような迫力に満ちた姿に、その場にいたものは圧倒され、無意識に後ずさりをした。


 周囲がざわめく中、堂々を歩みを進めたディアラドがセイリーンの前に立つ。

 見上げるような長身のディアラドに、セイリーンは息を呑んだ。


「久しいな、セイリーン」

 かけられた声は、思ったよりも優しく穏やかだった。


「ディ、ディアラド様……あの……」


 間近で見る金色の目は爛々らんらんと輝き、まるで野生の獣のような圧があった。

 だが、よく見ると彼の整った顔立ちや落ち着いた物腰は品があり、粗野な印象は受けない。


 グレイデン王国は戦闘民族の集まりで、勇猛で好戦的だというのが通説だ。

 なかでも広大な国土を治め、様々な部族を従える王は、とてつもない武勇を有しているという。


「セイリーン。以前、一度だけ挨拶したことがあるが……覚えているか?」


 190㎝はあろうかというディアラドが、身をかがめて顔を覗き込んでくる。


 思いのほか温和で気遣いのあるディアラドの態度に、セイリーンはホッとした。


「お、覚えております。確かあれは5年前のランドル国王の誕生パーティで……」


「ああ、そうだ。父であるブレイク王に連れられ、初めてミドルシア王国に来た。

覚えていてくれて光栄だ、セイリーン」


 ふっと目の前に大きな魔獣の耳が現れた。


 音もなくディアラドが目の前にひざまずいたのだと、一拍置いてセイリーンは気づいた。


 ディアラドの真摯しんしな眼差しが、セイリーンをまっすぐ射貫く。

 間近で見る金色の目はうっすら緑がかっており、吸い込まれるような美しさを放っていた。


「改めて、グレイデン王国の王、ディアラド・グレイデンだ。そなたに結婚を申し込む、セイリーン。王位を継いだばかりの若輩者だが、必ずそなたを幸せにすると約束する」


 きっぱりとした誠実な誓いに、セイリーンは絶句した。


「ディアラド様……あの……」


 他国の王からの突然の求婚に頭がついていかない。


「そんな、グレイデン王国の王が私に結婚なんて……おたわむれを……」


「俺は本気だ、セイリーン。結婚してくれ。そなたはミドルシア王国の公爵令嬢だが、俺は辺境とはいえ一国の王だ。決して釣り合わぬわけではない」


 戸惑うセイリーンに対し、ディアラドは一歩も引かず、真剣な表情で見つめてくる。


(本気なのだ……)

 セイリーンは息もできずディアラドを見つめた。


 グレイデン王国――。

 大陸の東に位置する、険しい山々に隔てられた大国だ。

 その国土はミドルシア王国の軽く三倍はあると言われている。


 馬で七日はかかる険しい道のりと、長きに渡る魔物との領地争いのため、最近まで他国とは交流せずに独自で発展してきた。


 広い国土には様々な部族がいるが、歴代の王たちが彼らをまとめあげ、統括しているという。


 ディアラドの父であるブレイク王が国交を求め、ミドルシア王国にやってきたのが10年前。

 彼の誠実な振る舞いと卓越した外交術により、グレイデン王国は友好国として受け入れられた。


 だが、一般的なグレイデン王国のイメージは、辺境の地の恐ろしい武力を持つ蛮族だ。


 魔力をまとうというシュヴァルツ・ヴォルフの毛皮を羽織ったディアラドに、怯えた表情を浮かべる者も少なくない。


(私がグレイデン王国と関わることになるなんて……。

ましてや、その王から求婚されるなんて夢にも思っていなかった……)


 セイリーンは争い事を好まないし、剣など握ったこともない。

 だが、それでも本能的に感じた。


 ディアラドがその気になれば、この場のすべての人間を――精鋭の近衛兵も含め――全員斬り捨てられるだろう、と。


 ディアラドからは、むせかえるような武の気配がたちこめている。


(でも、なぜだろう……。全然怖くないのは……)


 ディアラドは半年前に王位を継いだとは思えないほど堂々としていた。

 魔獣の毛皮などなくとも、彼を見た者は『王』だと直感するだろう。


 圧倒的な存在感をもつ、勇猛な王。


 そんな彼が今、自分の前にひざまずいて返事を待っている。


(信じられない……)


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