第12話:旅立ち

 翌朝、旅立ちの準備を終えたセイリーンたちは玄関に集まった。


「それでは気をつけていくのだぞ。何かあったらすぐに帰ってくるように」

「はい、お父様」

「旦那様、それ何十回も聞きましたよ」

 ケイトの言葉に、セイリーンがくすっと笑う。


「ケイト、くれぐれも頼んだぞ。本当におまえ一人で大丈夫か?」

「ええ、旦那様。私にお任せください」

 ケイトが安心させるようににこりと笑う。


 セイリーン付きの侍女は三人いる。

 だが、心から気を許せるのはケイトだけだ。

 できるだけ何も考えず静養したいので、無理を言ってケイトだけにしてもらった。


「ケイトありがとう。臨時のお手当を出すから」

「楽しみにしています」

 ケイトが笑顔で頷いた。


 ケイトには弟がおり、彼の学費をまかなう為にお給金を貯めている。

 グレイデン王国から帰った暁には、学費を援助できるよう父に頼むつもりだった。

 遠い辺境の国へ一緒に旅立ってくれるケイトに報いたかった。


「ディアラド様、娘をよろしく頼みます」

 すっかりやつれてしまった母のシンシアに、ディアラドが安心させるように微笑んだ。

「心配召されるな、ご母堂。セイリーンは絶対に俺が守る。何かあればすぐ知らせる」


「では、セイリーン様とケイトさん、こちらの馬車へ」

 キースに案内されてセイリーンとケイトはディアラドの馬車へと向かった。

 立派な黒塗りの馬車は金の縁取りがされ、グレイデン王国の紋章が側面に描かれていた。


「は、はい、では失礼します」

 ステップに足をかけると、馬車の中から手が差し出された。

 先に乗り込んでいたディアラドを顔を出す。

「セイリーン、足下に気をつけろ」

「は、はい!」

 ディアラドが大きな手でセイリーンの手をつかむと、軽々と車内に引っ張り上げてくれる。


「ケイトもほら」

「えっ、私もですか!? そんな恐れ多い……一人で乗れます!」

「この馬車は高さがあるからな。怪我をされては困る」

 ケイトは固辞したものの、問答無用で手をつかまれてしまった。

「あ、ありがとうございます! 私のようなものまで同じ馬車に……」

 王に引き上げてもらい、ケイトが恐縮したように頭を下げる。


 ミドルシア王国では階級がはっきりしており、特別な場合を除いて身分が違う者同士が同じ馬車に乗ることはない。

 セイリーンは王族であるルシフォスと同じ馬車に乗ったことがあるが、それは婚約者という立場だったからだ。


「セイリーンの大事な侍女で友人であろう? 当然だ。キース、馬車を出せ」

「行きますよ、お嬢様方!」

 御者の隣に腰を下ろしたらしいキースの声が前方から聞こえる。


「セイリーン」

「はいっ!」

 ディアラドに声をかけられ、セイリーンはびくりとした。

 ケイトがいるとはいえ、密室で王といるという状況に緊張が高まる。

「寒くはないか?」

「ええ、この毛皮温かいですね……」

 馬車の座席には白い斑点模様の毛皮が敷かれている。

「膝の上にも置いておけ。ケイトの分もある」

「あ、ありがとうございます!」

 見るからに上等な毛皮を渡されたケイトが驚いている。


 ふと、セイリーンは思い出した。

 10年間、婚約者だったルシフォスが、一度もケイトの名前を呼ばなかったのことを。

 それどころか、ろくに目も合わせずに命令だけしていた。

 王族の人間なのだから当然だと思いつつも、胸に小さな引っかかりがあったのは確かだ。


 ディアラドは家臣であるはずのキースと対等に話す。

 そして、侍女であるケイトを区別することなく同じ馬車に乗せ、セイリーンと同じ気遣いをみせた。

 勇猛で恐ろしい――そんな噂とは違う一面を次々見せられ驚くばかりだ。


「でもお嬢様、お荷物あんなに少なくてよかったんですか?」

 ケイトが不安げに背後を見やる。

 セイリーンが持ってきたのはトランク二つ分の荷物だけで、背後の荷馬車に乗せてもらっている。


「ええ、大丈夫。ディアラド様がおっしゃっていたでしょう? 必要なものはすべてこちらで用意するから、と」

「ええ、そうなんですけど……。行った先に必要なものがなかったら、と思うと心配で……何しろ辺境の国ですから」

 ケイトが気を揉むのも当然だ。

 グレイデン王国の情報は極端に少ないし、行ったことのある人間も周囲にいない。

 セイリーンとて、視察隊の報告書程度の知識しかない。

 不安がないと言えば嘘になる。


(でも――)

 セイリーンは静かに窓の外を見ているディアラドの横顔を見つめた。

(この人は嘘をつかない)

 そんな気がするのだ。

(婚約者に裏切られたばかりなのに、楽観的すぎるだろうか?)


 いったいグレイデン王国とはどんな国なのだろう。

 不安とともに期待が込み上げてくる。


 一時間ほど走ると森が見えてきた。

「ディアラド、この辺りから行けそうだ!」

 キースの声がけにディアラドが応じる。

「わかった! そろそろ魔道に入る」

「えっ、まだ一時間ほどしか走っていませんが……」

 2時間くらいはかかると聞いていたセイリーンは驚いた。

「いつもは国境付近で入るんだが、今回は長旅を避けたいからキースに適した場所を探してもらっていたんだ」

「ああ、だからキース様は御者台にいるのですね」

 ケイトが納得したように頷く。


 四人でもゆったり乗れるような馬車で侍女のケイトは中にいるのに、キースが御者の隣にいるのがずっと引っかかっていたらしい。


「キースは魔道に入りやすい場所を探すのが得意でな。あいつに任せている」

「あの……魔道って具体的にはどんな道なのですか?」

 傍らでケイトが体を強張らせたことに気づき、セイリーンは尋ねた。

「大丈夫だ。ただ、外が真っ暗になるだけだ」

 そう言うと、ディアラドが車内にとりつけたランタンに手を伸ばした。

 ディアラドが手をかざしただけで明かりがつき、セイリーンは思わず声を上げてしまった。

「ええっ!」

「驚かせたか。これは精霊術で作ったランタンなんだ」

「はあ……では、ディアラド様も精霊術を……」

「いや、これを作ったのはキースだ。精霊術は使えない俺でも手をかざせば明かりがつくようにしてくれている」


 話しているうちに、窓の外が暗闇に包まれた。

 まるで洞窟を通っているかのような暗さだが不思議と馬車は揺れず、ふわふわとした浮遊感がある。

「精霊術が珍しいか」

 じっとランタンを見つめるセイリーンにディアラドが声をかける。

「……ミドルシア王国ではまず見ないので……」


 魔術、精霊術など目に見えない力を操る能力者がいるとは聞いているが、実際に会ったこともないし、ほとんどが詐欺師だと聞く。


「代々続く血統と修練できる環境の二つが必要だからな。それにミドルシアのような利便性の高い技術や道具がある場所ではすたれていくのだろう。術など使わずとも道具で代わりがきく場合が多いからな」


 ディアラドが前方の御者台の方を振り返る。


「グレイデンでは精霊術を使う部族が少なくない。だが、厳しい掟や昔ながらのやり方を厭う者も増えた。キースはもともと精霊術を使う一族の出だが、いろいろあって俺が連れ出した。王領は新しい居場所を求める者の受け皿でもあるんだ」


 ディアラドがちらりと外に目を向けた。

「……そろそろ着くな」

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