第54話:ディアラドの傷

 セイリーンは愕然としてディアラドを見上げた。


「あのとき怪我けがはないと……!」

 客間で怪我の有無を尋ねた父に、ディアラドはきっぱりと言い切った。


 ディアラドが気まずそうに銀色の髪をかきあげた。

「心配をかけたくなくてな。正確には嘘ではない。かすり傷など、怪我のうちに入らない。キースも何も言わなかっただろう?」


「そんな……」

 シュネー・ヘルデの女王を一撃で倒したその雄姿から、怪我をしているとは夢にも思わなかった。


「では、駆けつけてくれたときは、既に怪我をされていたのですか!? どんなお怪我を!?」


 討伐隊を制圧したと聞いて安心していた。

 だが、討伐隊はルシフォスの精鋭部隊で30人はいたはずだ。

 対して、ディアラドたちは4人。


(無傷であると思う方がおかしいのに……!!)

(私はまるでディアラド様が無敵のように思い込んで!!)


 その証拠に、セイリーンは父が尋ねるまで思いもしなかったのだ。

 ディアラドが怪我をしているなど。


「恥ずかしいです……私。何もわかっていない……」

「セイリーン、悪かった。落ち着いてくれ。ちゃんと話すから」

 ディアラドが焦ったように顔を覗き込んでくる。

 セイリーンは思い切りディアラドの毛皮のマントをつかんでいることに気づいた。

「も、申し訳ございません!」

 セイリーンは慌ててマントから手を離した。


「いや、構わない。話すほどのことではないと思ったのだが、むしろ心配させたな」

「あのとき、何があったのかお聞かせください」

 ルシフォスの領地に駆けつける前のことを知りたかった。

 討伐隊を殺さずに制圧した、としか聞いていない。


「討伐隊を率いて王都から離れた場所に案内された。ちょうど、ルシフォスの領地の近くだな。そこで矢の一斉攻撃を受けた。幸い、俺は魔獣のマントを羽織っていたし、キースたちも矢をはねのけた。腕の立つものを連れていたので、できるだけ殺さずその場を収めようとしたのだ」


(そう、死者は出なかった! そのこと自体、異常なことなのに……)

 本来、多人数で殺しにかかってきた者たちなど、全員斬って捨てるのが当たり前だろう。

 そもそも、手加減する余裕などない。

(それがどんなに凄いことなのか、私はよくわかっていなかった……)


「正直、ミドルシアの兵をあなどっていた。だが一人、手練てだれがいてな。接近戦に持ち込んで気絶させようと思ったところを、隠し持っていた短剣で切られた」

 ディアラドがそっと腹部に手をやる。


「だが、浅い傷だ。出血も大したことはなかったし、すぐにキースの薬草を使って応急手当を――。どうした、セイリーン。なぜ泣く!」


 堪えきれず、セイリーンはボロボロと涙を落とした。

「私……ディアラド様が駆けつけて助けてくださったのを、さも当然かのように――」

(彼が約束をたがえたことはない)

(ディアラド様が来てくれれば倒してくださる!)

 あまつさえ、そんな甘い考えでいたのだ。

(なんて傲慢だったことか!)

(ディアラド様は殺されかけたというのに!)


「な、なんで泣くんだ? ああ、くそっ、全然わからない! 隠していて悪かった、セイリーン! 許してくれ!」

 ディアラドがおろおろとセイリーンに手を伸ばそうとしては引っ込める。


(ダメだ……)

(王妃の器とか以前の問題だ)

(大事な人に弱いところを見せてもらえないなんて……)

 セイリーンはぐいっと涙をぬぐうとディアラドを見つめた。


「セイリーン……?」

 その眼差しの強さに、ディアラドがたじろぐ。

「傷を見せてください」

「えっ」

「どれほどの傷を負ったのか見せてください!」

「は?」


 セイリーンは魔獣のマントを押しのけると、ぐっとディアラドの上着をつかんだ。

「私に見せてください!!」

「ちょ、ちょっと待て! セイリーン!」

 強引に服に手をかけられ、ディアラドがのけぞった。

「やめろ、セイリーン!」

 ディアラドが焦ったように、セイリーンの両手首をがっちりとつかむ。

 非力なセイリーンの動きはあっさり封じられた。


「落ち着いてくれ、セイリーン! 傷は大したことはない!」

 手首をつかみながらディアラドが必死で説得を試みるも、セイリーンは首を縦に振らなかった。

「心配をかけまいと、かすり傷だと言い張っているのではないですか!?」

「本当に浅い傷なのだ! 信じてくれ、セイリーン! 手を離してくれ!」

「嫌です! 見せてください!」


 ディアラドの重ねての懇願こんがんにも、セイリーンは一歩も引かなかった。

 だが、ディアラドの手は自分の力では振りほどけそうにない。

 セイリーンはじっとディアラドを見上げた。


「なんで、傷を見せてもらえないのですか?」

「セイリーン……」

「私が……婚約者じゃないからですか?」

「は?」

 ディアラドが呆然とセイリーンを見つめた。


「婚約者なら……。あなたの妻になる者ならば、傷を見せてもらえるのですか?」

 畳みかけるセイリーンに、ディアラドがたじろいだ。

「そういう話ではない! 傷跡などという醜いものを、そなたに見せたくないだけだ!」


 セイリーンはふう、と大きく息を吐いた。

「わかりました。私、あなたと婚約します!!」

 ディアラドが目を大きく見開き、絶句する。

 セイリーンはディアラドの金色の目をひたりと見つめた。

 一歩も引く気はない――その意志を伝えるために。


「だから、お体を見せてください!!」

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