第55話:幸せな婚約

 セイリーンの烈火のごとき勢いに、とうとう手首を握るディアラドの手がゆるんだ。

 セイリーンはその隙に、さっとディアラドの上着のボタンを外していく。


「……っ!」

 ディアラドの体が緊張で強張ったが、セイリーンの邪魔をすることはなかった。

 上着の前を開けると、真新しい包帯に巻かれた腹部が見えた。

 セイリーンはそっと包帯の上に手を当てた。


「改めてお願いいたします。傷を見せてください。そのあとで、ちゃんと包帯は巻き直しますから」

「本当に見るのか……?」

「ええ、見たいです」


 セイリーンの固い決意に、ディアラドは根負けしたように力を抜いた。

「そなたの好きにしろ」

 ディアラドが力なく笑った。


「ありがとうございます」

 許可をもらったセイリーンは、迷うことなく包帯に手をかけた。


「はは……。好きな女に寝所で服を脱がされる状況を想像したことはあったが……。まさか庭園で脱がされるとは想定外だった」

「変なこと言わないでください!」

 セイリーンは顔が赤く染まるのを感じた。


 客観的に見れば、嫌がる男性の服を強引に脱がせて襲っている女だ。

 赤面しながら包帯を取る自分を、ディアラドが面白そうに見つめているのを感じる。

 セイリーンは目を合わせられず、顔を伏せた。


(勢いで思わずやってしまったけれど……)

(自分でも信じられない)

(強引に男性の服を脱がして、素肌を見ようとしている!)

(しかも、相手は異国の王……!!)


 だが、セイリーンはどうしても自分の目で傷を確かめたかった。

(本当に大したことはないのだろうか?)

 そっと包帯を外し、当てられた布を取る。


「あ……っ!」

 ディアラドの引き締まった腹部には、横一線に赤い傷があった。

 確かに深い傷ではなく、もう出血もしていない。

 だが、傷跡はうっすら赤く腫れており、痛々しい。


「な? 大したことはないだろう?」

「……」

 確かに命にかかわる傷ではなさそうだ。

 だが、さっきのように痛みはあるだろう。


 セイリーンはきちんと包帯を巻き直し、上着のボタンを留め直した。

 ディアラドは大人しくされるがままになっている。


「失礼しました」

 いったん落ち着くと、セイリーンは自分の所業に愕然とした。

(ああ……。嫌がる王の服をはだけ、包帯を取って、体を見てしまった……)

 その場で斬り殺されても文句は言えない

 今更ながら、自分のしたことに震えが走る。


「いや、構わない。びっくりしたが、面白かった! そなたの新たな一面を見られた!」

 ディアラドが楽しげに言う。

「お怒りにならないのですか?」

 セイリーンは驚いた。

 令嬢として、人として、あり得ない暴挙のはずだ。


「なるわけがない。むしろ嬉しい。俺に興味を持ってくれて。他者に踏み込むのは勇気がいるものだ。それに、本音などめったに聞かせてもらえるものではない」

 ディアラドが嬉しそうに微笑む。

「……っ!」

(全部……受け入れてくれた)

(私のみっともない本音も、強引な行動もすべて)


 庭園に大きく風が吹き、セイリーンたちの髪を優しく揺らせる。

 同時にセイリーンの心にも一陣の風が吹いた。

 もやもやしたものがすべて飛び去っていくのを感じる。


(不安も欲望も、自分の思うままにさらけ出した……)

(めちゃめちゃだったけど、すっきりした……)


 爽やかな青空のもと、お気に入りの庭園にいて、向かい合うディアラドは微笑んでいる。

 セイリーンは今まで感じたことのない多幸感に包まれた。

(こんな自分でも、そのままの自分でもいいのなら。 答えは一つだ)


「ディアラド様……」

「なんだ、セイリーン」

 銀色に輝く髪を押さえ、ディアラドが優しく問う。


「私と婚約してください」

「へ?」

 ディアラドが呆然とセイリーンを見る。


「私……婚約に対する恐怖感がぬぐえなくて……。束縛され、支配され、挙げ句にさらし者にされて……。悪いイメージにとらわれてしまっていたんです。でも、良いこともたくさんあるって気づきました。婚約者であれば、あなたのそばにいられる。あなたに堂々と触れられるんですよね……」

「セイリーン……」

「私は魔物に殺されかけました。ディアラド様は暗殺されかけ、傷を負った……」


 死を覚悟したとき、最後に一目会いたいと思ったのはディアラドだった。

 セイリーンはまっすぐディアラドを見つめた。

「明日が必ず来るという保証はありません。だったら、一日でも長くあなたといたいです」

「俺が恐ろしい人間でもか」

「ディアラド様はおっしゃいました。人の本性はふとした言動に滲み出ると。私にはあなたが恐ろしい人には見えません。穏やかで優しくて、それにお人好しです」


 ディアラドの顔がふっとほころんだ。

 その金色の目が歓喜に満ちていく。


「そなたは本当に、どうしてこうも俺を惹きつけて放さないのか……!」

 セイリーンはいきなり抱きすくめられた。

「はは! いつも驚かされてばかりだ! 俺の知らない一面を見るたび、喜びに胸がわく!」


 ディアラドの腕の中で、セイリーンは顔を上げた。

「では……婚約していただけるのですか?」

 ディアラドがふきだした。

「忘れたのか、セイリーン。俺の方が先に結婚を申し込んだんだぞ」

 ディアラドが布に包まれた石を取り出す。

「あっ、そうでしたね……。宝石、ありがとうございます」

 セイリーンはいそいそと石を受け取った。


 そして、二人は同時にふきだした。

「はは……。ようやく受け取ってもらえた……。しかもそなたからも婚約を申し出てもらえるとはな。そなたと過ごしたこの数日、信じられないくらい幸せだった。だが、もっともっと幸せなことがあるとは……」

 ディアラドが声をつまらせ、セイリーンを抱く手に力を込める。

 ディアラドのぬくもりに包まれながら、セイリーンはそっと目を閉じた。


(ああ、そうだ。本当にこの数日は奇跡のような日々だった……)

 セイリーンの脳裏に数々の思い出が浮かんだ。


 不安と期待に胸を膨らませ、ケイトと共にグレイデン王国を訪れた。

 賑やかな街、巨大な城、優しいグレイデンの人たち。

 美しい花園や湖に癒やされた。

 港町では女子会をして、皆で一緒に歌った。

 おいしい食事や狩りを共にし、たくさん話した。

 すべてが輝くような思い出ばかりだ。


「すごく楽しくて幸せでした。でも、それはディアラド様がそばにいてくれたからです」

 ディアラドがそっとセイリーンの額に口づけた。

 愛情に満ちた優しいキスだった。

「セイリーン、そなたを幸せにすると誓う。だから俺のそばにいてくれ。一緒にいろんなものを見て、話して、お互いを知っていこう」


 セイリーンはじっとディアラドを見つめた。

 これからずっと彼と一緒にいられる――そう思うだけではちきれんばかりの喜びに胸が満ちる。


「婚約って、こんなにいいものだったんですね……。私、ずっとあなたのおそばにいます」

 セイリーンはそっとディアラドの胸に顔をうずめた。

 

 柔らかな日の光が、幸せな二人を慈しむように降り注いでいた。


 

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