第34話:王になった理由
被害が出る前にシュネー・ヘルデを掃討できたので、セイリーンたち一行は魔道を使い日が暮れる前に湖へと戻ってくることができた。
「行ったり来たりで疲れただろう。夕食までゆっくり休んでくれ」
湖上のテラスに案内してくれたディアラドのマントの裾をセイリーンはつかんだ。
「あの……よかったらそばにいてください」
「いいのか? 一人でゆっくり休まなくて」
「ディアラド様にいてほしいんです」
セイリーンの言葉に少し驚いた様子だったが、ディアラドは嬉しそうにカウチの隣に腰掛けてきた。
沈みかけた太陽が湖面を赤くそめていく。
ディアラドの銀色の髪が太陽を反射してきらきら光るのを、セイリーンはじっと見つめた。
「港町で王妃になればいいのに、と女の子たちに言われました」
「ああ、民の軽口だ。気にしなくていい」
「……私は王妃の器ではありません。でも、そのままの私でいいと皆さんは言ってくださいました」
「そのとおりだ」
「……本当にそうでしょうか? 大国の王の妻となる女性は――美しく聡明で行動力があり、王を支えるだけでなく視野を広げるような卓越した知見があって――」
「それがそなたの考える王妃のイメージか」
「はい……」
「ふむ。だが、ここはグレイデン王国だ」
「……でも、私には分不相応かと」
うつむいたセイリーンを見て、ディアラドが口を開いた。
「それを言うならば、そもそも、俺が王になろうと思ったのはそなたに会ったからだ」
「え……?」
意外な言葉にセイリーンは顔を上げた。
ディアラドがふうっと大きく息を吐いた。
「本当は話したくなかった。そなたの重荷になるかもしれないからな」
「どういうことですか?」
沈む夕陽に目をやりながら、ディアラドは静かに語り出した。
「俺は15歳になるまで、王になどなる気がなかった。父の苦労を見ていたからな。
父は根っからの人好きで、国中を回って国領民や部族の者たちとの交流を楽しんでいた。それでも、気質も風習も違う人たちの信頼を得るのは難儀していた」
ディアラドが遠い目をする。
「とにかく根気がいる。それぞれ考え方も信念も違う多くの人間をまとめ、なだめ、悩みを聞き、問題を解決し――。そして王は国を統治し、民の飢えさせることなく安全に暮らせるようにしなくてはならない。自分がそんな大層なことをできる気がしなかった」
ディアラドが意を決したように、セイリーンを見つめた。
「……15歳のとき、そなたに会って俺は変わったと、以前話したな」
「はい、覚えております」
花園の東屋で亡き母との話とともに話してくれた。
「そなたは歴史あるミドルシア王国の公爵令嬢だ。貴族や王族でなければ、直接会うことができない
「そんな大層なものでは……」
「事実だ。俺は幸運にも『グレイデン王国の王の息子』だったから、そなたに会うことができた。だが、父が退位すればただの一国民だ。そなたに見合う男になるため、俺は王を目指した」
「え……?」
「友好国の王ならば、公爵令嬢に会う機会が作れるし……。もしそなたが独り身であれば、求婚する資格があるだろう?」
セイリーンは愕然とした。
まさかそれほどの決意で求婚してくれたとは思っていなかった。
「……何度でも言うが、そなたが責任を感じる必要はない。すべて俺が勝手にしたことだ」
セイリーンの驚愕の表情を見たディアラドが静かに言った。
「もちろん、王となるからには国民のために尽くす覚悟はある。動機は隠してはいない。好きな女性に見合う人間になりたいと、部族の
「……っ!」
ある意味、不純な動機とも捉えられかねないディアラドの望みを知ってもなお、皆が王にふさわしいと認めたということだ。
キースの言葉が蘇る。
この広大で問題の多いグレイデン王国の王になるのは、困難で割に合わないと言っていた。
国を治める度量のある人間というものは想像以上に稀少で、国を治めることができるのであれば動機など
「思ったよりも早く父が退位を望んだので、王を継ぐことになったが……」
「お父様はなぜお若くして退位なさったのですか?」
「……そもそも、父も母のために王となったんだ。母は先代の王の娘で、ふさわしい男にならなくてはと
ディアラドがふっと笑った。
「父と俺は外見も気質も似ていないと思っていたが……そういう意味では同じ道を辿っているのだな。母が亡くなり、父は王である意味を失った。だから、ずっと自分に代わる人材を探していたんだと思う。もともと地位や権力など欲していなかったから、今は自由を満喫している」
「ディアラド様もそうなんですね……」
「ああ。俺も別に権力などいらない。ただ、そなたにふさわしい立場の男になりたかっただけだ」
ディアラドの言葉は、これまでの彼の民への立ち居振る舞いからも窺えた。
「ふさわしいなんて……私なんてただ公爵家に生まれついただけの――」
「気品と教養のある美しい女性だ。思いやりがあって努力家、さらには秀でた歌姫。
本来なら俺なんかが近づける人じゃない」
「そんな――」
自分への過剰な評価にセイリーンは臆した。
「でも、この数日一緒に過ごして……そなたへの想いは強くなっていくばかりだ」
ディアラドがそっとセイリーンの手を取った。
「俺は女性への贈り物に狩りの獲物を持っていくような、
セイリーンは自然とディアラドを抱きしめていた。
「あなたは優しく勇敢で誠実で愛情深い。素晴らしい方です」
「でも、俺はルシフォスのような洗練された男ではない」
「そんなもの、いりません」
優雅な仕草やそつのない贈り物がなんだというのか。
「そのままのあなたがいいんです」
思わず口をついた言葉に、セイリーンは真っ赤になった。
セイリーンのおとがいに、そっと優しく手が添えられる。
「セイリーン、愛している」
「ディアラド様――」
セイリーンの唇はディアラドの唇によって封じられた。
重ねられたのは一瞬で、ディアラドはすぐ唇を離した。
「……すまない、無礼な真似をした……」
ディアラドの長いまつ毛が伏せられる。
「謝らないでください」
セイリーンは慌てて言った。
「お気持ちは嬉しいです。でも私……いろんなことが急に起きて混乱していて……」
このまま何も考えずにディアラドの胸に飛び込めたらどんなにいいか。
だが、相手は大国の王、自分は他国の公爵令嬢だ。
気軽に始められる恋ではない。
「俺は急いでいない」
ディアラドが優しくセイリーンの髪を撫でる。
そっと、まるで壊れ物を扱うようにな仕草だった。
「そなたの気持ちが一番大事だ。それに俺は待つのに慣れている。知っているだろう?」
ディアラドの言葉に、セイリーンはくすっと笑った。
「……ありがとうございます」
「日が沈んで冷えてきたな。館に戻ろう」
大きな手が差し伸べられる。
セイリーンは当たり前のようにその手を取った。
すべてが自然で、ずっと昔からこうして手を繋ぎ、並んで歩いていたような気がした。
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