5.リットにて
若き騎士団長の任命の報は、翌日には街中に知れ渡っていた。そのことに対する反応は人によって様々で、特に年齢が高くなればなるほど不安と不信を滲ませ、年齢が低くなれば低くなるほど興奮を露わにしていた。特に子供達にとっては「二十歳の騎士団長」という存在は絵本に出てくる英雄のように感じられるらしい。昼過ぎ頃には木の棒を剣に見立てて、騎士団ごっこに興じる子供が至る所で確認された。
「前例がないってわけじゃない」
カウンターの上に置かれたグラスを手に取って、くすんだ金髪を長く伸ばした男は言った。鼻先と頬が赤いのは幼少の頃から患っている鼻炎のためであり、酒に酔っているわけではない。そもそもグラスの中身はハーブを溶かし込んだ水なので、これで酔うのは難しい。
空は暗くなり始めていて、先ほどまで近くで聞こえていた子供が騒ぐ声もすっかり聞こえなくなっていた。その代わりと言わんばかりに『リット』の店内は段々騒がしくなっていく。
「五百年ほど前にアヴァリという若者が、二十二歳で騎士団を率いたという記録があるからね」
「それは知ってる。でも臨時のだろ。遠征の道中で騎士団長が亡くなったことによるものだ。僧正陛下からの正式な任命じゃない」
ミゲルはそう言って溜息を吐く。それを聞いたスヴェイは、やや大仰に肩を竦めた。
「そんな不安な顔をしないほうがいいよ、騎士団長殿。ただでさえ、皆不安に思ってるんだから」
「友達の前でぐらい、弱音を吐いてもいいだろ」
「勿論、悪いとは言ってない。弱音を吐いてくれることは嬉しいよ」
スヴェイはそう言って軽く笑った。
「子供の頃からの親友が二人とも護衛騎士になったってだけで、僕としては鼻が高かったのに、まさかそのうち一人が騎士団長になるなんてねぇ。この忌々しい鼻さえなければ、僕も騎士を目指したんだけど」
「
「僕のは運が良かっただけさ。それに輔祭はあくまで司祭の補佐。教会で教育を受けた司祭とは違う」
司祭になるには、この国にある教会のいずれかで教育を受け、年に二度の試験に合格する必要がある。これは難関とされていて、五年以上試験に挑戦する者も少なくない。輔祭には試験の必要がなく、司祭との面談あるいは教会からの推薦によって決まる。仕事の内容は殆ど雑用に近いが、信心深い人々にとっては憧れの職業である。偶に欠員が出て輔祭の募集が始まると、その申し込みのために教会に長蛇の列が出来るほどだった。
スヴェイの場合は、元々の生業である仕立屋が役に立った。往来で木に僧衣を引っかけて破いてしまった司祭と遭遇し、持ち歩いている糸と針で見事にそれを繕った。その縁で輔祭の地位を得たのだから、確かに運が良かったのだろう。
「若いって言えば、新しい司祭長も僕たちと殆ど変わらないそうだね」
「会ったことはないのか」
「司祭様はお会いしたけど、僕はねぇ。輔祭の身分じゃ無理だよ。勿論、遠くから見たことはあるけどさ」
スヴェイはそう言ってから、素早く左右に視線を配った。そして周りに他の客がいないことを確認すると、少しだけミゲルに近付いて、自分の口元に手を添えた。
「前の司祭長の話、聞いた?」
「マクヌーヤ様は引退されたと聞いた。何でもご病気の静養のためだとか」
「何でも酷い風邪のような症状で、ベッドから全然降りられなくなったんだってさ。でもそれを治療したのが、今の司祭長なんだ」
「スヴェイ」
ミゲルは眉を寄せて、一度相手の話を止めた。
「何?」
「また悪い癖か。その噂好きは治らないんだな」
「治す必要はないからねぇ。それに噂話だって馬鹿には出来ないさ。そこには真実が混ざっていることもある。ほら、子供の頃に上流に住んでいた異教徒が処刑されただろ? あれだって噂話があったから、捕まえることが出来たんだ」
違う、とミゲルは言いたかった。あれは噂話が原因ではない。ミゲルが身勝手な理由で父親に伝えてしまったからである。脚色を交えた息子の話を父親は鵜呑みにし、そしてレンの家族を捕らえた。
「それにただの噂話じゃないよ。司祭様から聞いた話なんだから」
スヴェイはミゲルが黙り込んだ隙に話を続ける。
「司祭長は西域教会の推薦で中央教会に来たんだ。向こうの教会長様のお墨付きでね」
この国には僧正陛下の暮らす中央教会の他に、東西南北に一つづつの支部教会がある。中央教会は支部教会を管理し、支部教会は町や村に建っている教会の管理を行う。西域教会は支部教会の一つで、中央への影響力も強い。
「確かミゲルが遠征に出かけてから一ヶ月後ぐらいだったかな。その時、ちょっとした騒ぎになってね」
「騒ぎ?」
「巫女を連れてきたんだよ。西域教会から」
ミゲルは昨日の話を思い出す。神託を行った巫女の名前は、確かラミーと言った。レンの腹心という話だったが、てっきり中央に来てからのことだと思っていた。巫女を連れて教会を移動するなど、今まで聞いたことがない。
「ラミーという名前の巫女か」
「そうそう。ラミー様」
スヴェイはわざわざ敬称を付けた。聖職者に対して敬称を付けることは珍しいことではないが、巫女に対して付ける事は滅多にない。しかしミゲルはそこでは口を挟まず、耳だけを傾けた。
「教会を移る時は、ただその信仰心のみを持て……って言うからねぇ。当然、その巫女を西域に戻すようにって周りは言ったらしいんだ。普通、そう言われたら従うよね。西域教会のお墨付きとは言え、新参者なんだからさ」
スヴェイはグラスを傾けて喉を潤す。
「そうしたら「彼女は僕が連れてきたわけではなく、彼女自身の信仰のために来たのです」って言ったらしいんだよ」
「信仰のため?」
「うん。神託を伝えるためだって」
神託、という言葉にミゲルは相手に気付かれない程度に息を飲んだ。スヴェイは思った通りの反応が得られなかったのか、少しつまらなそうな顔をする。
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