13.聖花祭
雨雲は朝にはまだ少し残っていたが、朝日が昇りきる頃には風によって殆ど吹き飛ばされてしまった。聖花祭に相応しい晴れ空を見上げて、アンテラが満足そうな声を出す。
「晴れてよかったな。祭りは晴れじゃないと」
「え、お祭りの日って絶対晴れるんじゃないの?」
スヴェイが鼻を啜りながら言うと、アンテラは小馬鹿にしたような笑みを放った。
「そんなわけないだろ。雨が降った時のために供物を入れる場所まであるんだから」
「でも今まで雨だったことないよ」
「それは偶然ってやつだ」
街はどこも祭り一色で染められていた。立ち並ぶ家の扉には花飾りが取り付けられ、商店街には紙細工で作られた花輪が張り巡らされている。昨日までは半分ほどしか埋まっていなかったであろう供物台には、今日はこぼれ落ちんばかりに肉やら野菜やらが積み上がっていた。
三人がいるのは商店街の入口にある聖人像の前だった。右手を高く天に掲げた聖レイキーの首にも、誰かが作った花の刺繍のスカーフが巻き付けられている。どこを見ても何を見ても祭りに取り残されている場所はないように思えた。
「さてと、では改めて」
アンテラが勿体ぶった口調で切り出した。
「本日の我々の作戦を発表する」
ミゲルとスヴェイは騎士団の真似をして敬礼をした。アンテラは大人ぶって「うむ!」と大きく頷く。
「まずは『卵の家』で特製卵焼きを入手する。これはいつもより砂糖を倍使っていると噂である。我々としてはまずこれを手に入れて戦力としたい」
「隊長!」
スヴェイが手を挙げた。
「砂糖では無く蜂蜜ではないかと言われておりますが」
「美味しければよし!」
「了解しました!」
子供らしいおふざけを気に留める者はいない。そもそも、今日みたいな日にそんなことを気にしていたら何も出来なくなることを皆知っている。
「そして次に向かうのは『リット』である。我々としてはここで是非ともミルクを飲みたい。なぜだかわかるかね、ミゲル君」
ミゲルは「はっ」と敬礼をした。父親が騎士なだけあって、ミゲルのそれは他の二人よりも本格的だった。
「早めに行かないと、そのあと小遣いを使いすぎてしまうからです」
「その通り。我々は勇敢であると同時に慎重でなくてはならない」
アンテラは隊員の模範解答に満足そうに頷いた。
「しかし事前の入念な調査に関わらず、リットのミルクの値段は不明である。万一我々の小遣い全てをかき集めても足らない場合は、速やかに作戦を変更し、『小夜啼鳥』に向かう」
「あれ? 『ティーレンス』じゃなかったっけ」
ミゲルが疑問符を上げると、アンテラは「あ、そうか」と呟いた。
「昨日、スヴェイと話して変えたんだよ。ミゲルいなかったから伝えるの忘れてた」
「なんで変えたの? ティーレンスの揚げ砂糖は去年も食べて美味しかったのに」
「だからだよ。毎年同じじゃつまらないだろ。小夜啼鳥ではお祭り限定の小さいタルトが出るらしいぞ」
「しかもフルーツタルト」
横からスヴェイが付け加える。確かにそれは揚げ砂糖より美味しそうに思えた。それに小夜啼鳥は普段は大きな焼き菓子ばかりを売るため、ミゲルの家でも滅多に買いにいくことはない。そこのタルトを食べれば母親への土産話にも出来る。
「いいね。じゃあリットに入れなかったらそこに行こう。他に変更は?」
「他は無ぇな。リットに行けたら、その後は『パリッシュ』で射的して、『ロートン』でナッツのつかみ取り」
「アンテラ、その前に割引券をもらうこと忘れないでよ」
隊長と隊員の小芝居は自然消滅してしまったが、三人はそのまま今日の予定について話し終えた。最後にそれぞれ親から貰った小遣いを見せる。
「やっぱり今年もミゲルが一番金持ちだな」
「これならリットにも入れるかもね」
「どうかな。あまり期待しないほうがいいと思うけど」
三人は小遣いを大事にしまい直すと、聖人像から離れた。アンテラが握りこぶしを突き上げる。
「じゃあ出発!」
気合いの入ったかけ声に応じて、ミゲルたちも拳を上げた。
「出発!」
祭りという戦場に勇ましく踏み込んだ三人だったが、すぐに出鼻を挫かれる羽目になった。最初に行った『卵の家』は少し前に朝の仕込み分の特製卵焼きが完売してしまっており、作り直すまでに時間がかかるということだった。
流石にそれを待っているわけにはいかない三人は、代わりに茹で卵を買った。酸味のあるソースがかかったそれは意外と美味しくて、目当てのものが買えなかった悔しさをどうにか誤魔化すことが出来た。
「まぁほら、これはきっと神様のお告げだよ。特製卵焼きを買うお金をリットで使いなさいって言う」
スヴェイが口の周りに黄身をくっつけたまま言った。ミゲルは手振りでそれを拭うように伝えてから短い肯定を返した。
次の目当てである『リット』は、教会前の広場から程近い場所にある。言うまでも無く一番混む通りで、三人は一歩そこに踏み出すと同時にかなりの注意力と忍耐力で進まなければならなくなった。
「人が多いなぁ」
アンテラがわかりきったことを言うので、横に並んだスヴェイが笑う。
「そりゃそうだよ。広場に皆行くんだから」
「大人になったら入れるんだよな。成人の儀式を広場でやるから」
成人とされる年まではあと八年。まだ十歳の少年達にとって、それは途方も無い年数に思えた。ミゲルは行き交う大人達の顔を見上げる。どこかギラついたような高揚した表情で歩いているように見えた。
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