14.幸福と絶望

 人混みをどうにかすり抜けた先に、目当ての店はあった。スヴェイが仕入れた情報の通り、普段は夜からしか営業しない店が広く扉を開けている。扉の前には花飾りをあしらった木製の看板が出ていて、提供される飲み物や食べ物の名前とその値段が書かれていた。


「ミルクの値段、書いてある?」


 スヴェイがそうミゲルに訊ねた。スヴェイはあまり読み書きが得意ではない。


「待ってね。えーっと」


 メニューを上からなぞるように見ていくと、一番下に「ハニーミルク」と書かれているのを見つけた。その横に添えられた値段を見て、ミゲルは思わず歓声を上げた。後ろから覗き込んでいた二人に、ミルクの値段が想定より安いことを伝えると、どちらも同じ表情になった。


「よし、早速入ろうよ」


 スヴェイが明らかに浮き足立ちながら、店の中を覗き込む。すると扉近くのバーカウンターにいた若い男が、白い歯を見せて「いらっしゃい」と言ってくれた。


「ハニーミルクかな?」


 三人は揃って頷いた。恐らくすでに同じような子供の客が何人も来ているのだろう。男は自分の前に並んだ椅子を示し、座るように促した。

 ミゲルは店の中に入ると、思ったより薄暗いことに驚いた。店自体は広いのだが、窓が一つもない。否、天井から下がっている短い黒いカーテンをめくれば窓の一つぐらいは見つかりそうにも見えたが、少なくとも外の光は殆ど中には届いていないようだった。尤も、夜に営業する店なので窓もそれほど要らないのかもしれない。

 店の中は深い茶色で統一されていた。子供の目から見ても高級とわかるランプがいくつもぶら下がり、バーカウンターの中にある大きな棚の中には見たことが無い酒が綺麗な瓶に入った状態で整列している。

 椅子はカウンターの高さに合わせてあるため、子供が座るには少々骨がいったが、三人はどうにか座ることに成功した。自分が大人になったような気分で、ミゲルは背筋を伸ばす。この体験は、後でレンに会ったときに良い話のネタになると考えていた。


「代金だけ先に頂こうかな。うちはそういうルールでね」


 男にそう言われて、三人はそれぞれの財布の中から必要な金額を取り出した。男はそれがきちんと金額分揃っているのを確認してから、三つのグラスをカウンターに出した。

 グラス。それだけで三人は目を見開いて身を乗り出す。家で使うような木や銅のものではない。子供には危ないからと与えられない代物である。そこに白いミルクが注がれていく。


「綺麗だなぁ」


 アンテラがそう呟いた。全く同感だったため、ミゲルは逆に何も言わずにグラスを見つめていた。ミルクを入れ終わると、そこにスプーンですくい取られた蜂蜜が少しずつ垂らされていく。粘性を持った塊が白い液体に飲み込まれた。


「どうぞ」


 それぞれの前に置かれたグラスを、三人はほぼ同時に手に取った。鼻腔をくすぐる甘い匂いを逃がすまいとするように口に慎重に運ぶ。数秒置いてからアンテラが幸福そのものの声を発した。


「旨い。いつも飲んでるミルクなんて話にならねぇよ」

「本当。全然違うね」

「蜂蜜も高級品だよ、きっと」


 盛り上がりながら次々と牛乳を飲み進める。決して多いとは言えない量は、あっという間になくなってしまったが、ミゲル達は大満足していた。


「美味しかったかな?」


 男がグラスを磨きながら訊ねる。スヴェイが興奮気味に頷くと、男は大人相手にするように丁寧に頭を下げた。


「大人になったら是非ご贔屓に」


 大人、という単語にミゲルはふと我に返った。グラスをカウンターに置いて周囲を見回すと、外の通りの混雑に比べて店の中は閑散としていた。今まで入ったことはないが、この店がいつも繁盛していることは知っている。祭りの日にこれだけ人がいないのは珍しいことだった。


「お客さん、少ないですね」


 ミゲルは思ったことをそのまま口にした。男はグラスを磨く手を止めると、穏やかに笑った。


「今はどこもこんなものじゃないかな。広場の方に人が大勢詰めかけてるから」

「祭事か何かやってるの?」

「処刑だよ」


 何でも無いような口調で告げられた言葉は、ミゲルの心臓を冷たくした。


「処刑?」

「川の上流に住み着いていた異教徒を全員捕らえたそうだよ。異教徒の命は最高の供物。仕事がなければ今からでも見に行きたいくらいだ」


 ミゲルは慌てて椅子から飛び降りると、友人二人の戸惑った声を背中に聞きながら通りへと飛び出した。広場に向かう大人に混じり、先へ先へと進んでいく。しかし広場に繋がる大きな門扉の前で騎士に行く手を阻まれた。

 いつもより重厚な鎧に身を包んだ騎士は、いたずらっ子を咎めるようにミゲルの頭に手を置いた。


「こら、子供は入っては駄目だろう?」

「あの、処刑が」


 それだけ口にすると、騎士は「あぁ」と納得したような声を出した。


「誰かから聞いたのかな? 隊長の大手柄だよ。僧正陛下も喜んでいることだろう」

「異教徒、だったんですか?」


 広場の方から悲鳴と歓声が入り交じる。子供は広場に入れないが、処刑がどうやって行われるかぐらいは知っていたし、それにより人が死ぬという当たり前のことも理解していた。だがそれまではまるで実感がなかった。


「異教徒よりも質が悪い連中だよ」


 騎士がそちらを一瞥してからミゲルの問いに答えた。


「何の宗教も信仰していないということだ。あり得ないだろう? まだ信仰心を持っている分、異教徒のほうが救いがあるよ」


 異教徒では無い。

 レンの言葉は嘘では無かった。ミゲルがその意味を取り違えていただけだった。


「さぁ、もう行きなさい」


 騎士に背中を押されて、ミゲルは門から離される。周囲はざわめきに満ちているのに、ミゲルの世界は音が失われたように静かだった。そのまま何も考える事が出来ずに通りを逆行していく。足は自然と、レンとの待ち合わせ場所である三つ叉路へと向かっていた。

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