8.白き巫女
司祭長が使う部屋は教会の二階にあり、詰所からは階段を使っても殆ど時間はかからない。しかしそこに広がる光景は一階とは全く違っている。床には二種類の細木を魚の骨のように組み合わせた模様が延々と続き、壁には化粧石が使われている。通路は吹き抜け部分の周りを囲むように作られているため、どこを歩いていても一階にある礼拝の間を覗くことが出来た。これは二階にある部屋の殆どが司祭によって使われているのが理由である。祈りを捧げるために一階までわざわざ降りずとも、部屋の扉を開ければ事足りる。と言うとまるで怠慢のようにも聞こえるが、ミラスマ教は太陽の光を尊ぶ宗教である。二階は一階よりも当然のことだが太陽に近く、司祭が祈りを捧げるには適していると言えた。
司祭長の部屋は女神像を正面に据える場所にあった。ミゲルは一度足を止めると、女神像の方を見る。太陽の光を浴びた石像は自分に微笑んでいるように見えたが、それが錯覚であることは十分にわかっていた。女神像の表情は独特で、笑っているようにも怒っているようにも見える。どちらの顔に見えるかは、その時の己の心次第。小さい頃に気難しい司祭が教えてくれたことを、ミゲルは今更思い出していた。
「あっ」
不意に小さな声がした。司祭長の部屋の扉がいつの間にか開いていて、その前に一人の若い女が立っていた。ミゲルは思わずその女のことをまじまじと見つめる。均整の取れた体に白いチュニックを纏い、フードと肩掛けが一体化した黒い布を両肩に引っかけている。
それはミラスマ教における女性の聖職者の衣装で、別に珍しいものではない。ミゲルが見つめてしまったのは、彼女の容姿のためだった。雪のように真っ白な髪を長く伸ばし、髪と同じぐらい白い肌は陶器のようだった。鮮やかな赤い瞳は大きく、白一色の顔立ちの中で存在感を際立たせている。
女は色のない睫毛を上下させた後に、少し慌てたようにミゲルよりもかなり低い位置にある頭を下げた。
「お待ちでしたか。失礼しました」
声は滑らかな響きを持っていた。独特の容姿のためにわかりづらいが、まだ十代の半ばのようだった。ミゲルは少し考えた後で口を開いた。
「貴女は巫女のラミーですか」
「あっ、はい。そうです」
ラミーは目を細めて笑った。色素の殆どない髪や肌は、ミゲルがこれまで見たことが無いものだった。つまり遠征で不在だった間に現れた人間ということになる。そしてその人間が司祭長の部屋から出てきた。余程の鈍い人間でもなければ、彼女がラミーであると推測するのは容易い。
「貴方はミゲル団長ですね。レン様から伺っております」
ミゲルはあの噂好きのスヴェイが、巫女の容姿について何も言わなかったことを思い出して、少し不思議に感じた。神託の内容などより先に興奮気味に言ってきたとしても驚きはしない。しかし、それは裏を返せばその話題は半年の間にすっかり語り尽くされて、「普通のこと」として民衆に受け入れられているとも考えられる。
自分が知らない半年の間に、何かが変わってしまった。大袈裟かつ曖昧な表現だったが、そうまとめるしかない。
ラミーはミゲルが黙っているのを見て、不思議そうに首を傾げた。あどけない可愛らしい顔立ちで、特に小ぶりな唇を見ると、そこから神託が出てくるとは到底信じられないほどだった。
「どうかなさいました?」
「あぁ……いや、別に」
口ごもったミゲルに、ラミーは小さく笑ってから自分の髪を指で一房持ち上げた。
「生まれつきなんです。変わっているでしょう?」
「何も俺は」
「いいんです。小さい頃はこの見た目に悩まされたりもしましたけど、今では感謝しています。レン様に出会うことも出来たし、皆に顔を覚えてもらえますから。女神様のおかげです」
そう言ってラミーは手すりの向こう側に見える女神像に祈りを捧げる。天井から差す光と相まって、その姿は宗教画のように完璧に見えた。祈りを終えると、ラミーは再びミゲルを見た。
「ごめんなさい、お引き留めしてしまって。レン様は中でお待ちです」
「ありがとう」
では、とラミーはミゲルの傍らをすり抜けて階段の方へと向かう。その時、ミゲルは殆ど無意識に相手を呼び止めていた。
既に五歩以上離れていたが、ラミーは不思議そうに振り返る。赤い瞳がミゲルを見つめていた。
「何でしょうか?」
「……こんなことを言うと、無礼に聞こえるかもしれないが」
ミゲルはそう前置きをしてから続けた。
「神託というのはどうやって受け取るんだ?」
赤い瞳が何度か瞬いた。まるで屋外で天気を聞かれたかのような、その問いの意味がわからないとでも言うように。しかし三度目か四度目の瞬きでラミーは動きを止めた。代わりに口元に笑みを作る。
「神様が書簡でもくだされば話は早いのですが、そういうわけには行きませんから。神のお言葉は常に存在します。私はそこに取りにいくだけです」
「それは……その、どこに?」
「信仰の上にあるのです。ミゲル団長は神に祈りを捧げるときに、神はどこにいると考えますか?」
ラミーは歌でも歌うかのように滑らかに言葉を紡ぐ。しかしそこには理屈っぽさや自慢気な様子は微塵もなくて、幼い子供が無邪気に話すような空気が漂っていた。
「空でも地でも、あるいは両親の中でも構わないでしょう。神がいらっしゃらない場所などないのです。私は私の信仰の上に置かれた神のお言葉を読んでいるだけです」
ミゲルにはその感覚がわかるようなわからないような、曖昧な気持ちで聞いていた。信仰は何処にあるのか。人の心の中だろう。そして神はどこにいるのか。神は何処にでも存在し、そして神は太陽を、月を、そして全てを人に与えた。どこに神を見出そうともそれは人の自由である。しかしそこに神託があると言われても、具体的なイメージは浮かばなかった。
悩むミゲルをそこに置いて、ラミーは静かにその場を立ち去る。質素な革のサンダルが軽快な音を立てながら遠ざかっていった。その姿が完全に見えなくなってからもミゲルはその場で考え込んでいたが、再び背後で扉が開く音がした。そして悪戯を見つけた子供のような、含み笑いがミゲルの耳に届く。
「どうしたの、そんなところで。ラミーに見とれてた?」
「そんなんじゃない」
「冗談だよ。怒らないで」
レンはミゲルの右手を掴む。その手はとても暖かく、柔らかかった。
「中に入ろう。此処は冷えるから」
「……あぁ」
ミゲルはその手を握り返したい気持ちを必死に抑えながら、部屋の中へと入った。
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