15.巫女の祈り
「どうするのが最適だと思う? ここでは貴方が一番の古株だ。意見を尊重したい」
「えぇ、勿論。経験の浅い者だけで組ませるべきではないことは、団長もすでに理解されていると思います。熟練の者と若い者で組ませるのが良いかと」
「二人一組がいいだろうな。数としても」
「えぇ、あまり多いとそれはそれで不安を煽ります。団長と見習いはここに残り、他で警邏を行うことにします」
「リュミールは、副団長はどうする」
「門のところにもう一人寄越します。交代はすべきではない」
ミゲルは視線だけで「何故」と問いかけた。リュミールは随分前からあの場所に立っていたようだった。誰かと交代しても良い頃合いだと思ったためである。
だが相手はその疑問を受け止めると、ミゲルにしか見えない程度に笑った。
「もし誰かと交代して、その後で再び人が集まった時に、副団長と異なる態度や対応を取っては混乱の元となりますから」
「……そうだな。その通りだ」
どんなに堂々と振舞っても、こうして自分の経験の浅さが露呈してしまうのは避けられないことだった。
ミゲルはすぐさまにでも嘆きたいのを堪えて、代わりに息を吸い込んだ。特に空気を求めていなかった肺が余計に膨らむのを感じる。
「問題ありませんよ。副団長はあぁ見えて思慮深いですからね。少しばかり感情が昂りやすいこともありますが」
「それについては心配していない。警邏のルートは、通常の物を使用することでいいか」
「団長が決めたことならよろしいかと。皆も問題はなさそうですし」
警邏の組み合わせもルートも、結局はその騎士によって殆ど決められた。年嵩の騎士は、何とかミゲルが決めているように見せようと心を砕いていたようだったが、恐らくそれは成功とは言えなかった。偶にミゲルに向けられるいくつかの視線が、あからさまな不安を帯びていたからである。
しかし、誰もそれをはっきりとは口にしなかった。若い騎士団長に対する疑念は、今に始まったことではない。今、騎士団に必要なのは何かしらの統制であり、統制がされるのであれば、それを行う人間が誰であろうと構いはしない。そんな空気が流れていた。
ミゲルと見習いだけを残して全員が街に出てしまってからも、その空気は続いているように感じられた。その殆どはミゲルの自己嫌悪が導いているもので、きっと扉の傍で落ち着きなくしている見習いに尋ねれば、即座に否定が返ってくるのもわかっていた。手持無沙汰に自分のテーブルの上に置かれていた書類を手に取る。騎士団の名簿、教会の見取り図、年に一度だけ行われる特別な儀式の進行表。それらは全て、騎士団長になってから教会により渡されたものであるが、そのどれ一つとして今は役に立ちそうになかった。
意味も無く何度もそれを捲り、視線を上から下へ動かす。しかしやがてそれを止めると、紙の四隅を整えてテーブルに戻した。一度小さく息を吐き、見習い騎士の名前を呼ぶ。
「は、はいっ!?」
見習いは年相応に薄い肩を跳ねて返事をした。
「何でしょうか」
「そんなに驚かなくていい。少しその辺りを見てくるから、ゆっくりしていてくれ」
「見回りなら、俺が」
「眠気覚ましだ」
ミゲルは笑みを浮かべながら言うことで、相手の無垢な申し出を封じた。
「誰かが来たら、すぐに戻るから待っているように言ってくれ」
「わかりました。えっと、お気を付けて」
何に、とミゲルは思わず聞き返しそうになって、すぐに口を閉ざした。敢えて平然を装いながら詰所の外に出る。あの見習いも、巫女の神託を信じているか、あるいは恐れているのだろう。普通、たかだか強風が吹いている程度でそんな言葉を掛ける者はいない。
詰所より奥に行けば、教会で寝泊まりしている巫女や司祭の部屋があるが、ミゲルはそちらには向かわなかった。というよりそちらからは殆ど何の音もしなかったし、誰かが起きて歩いているような気配も感じられなかった。それほどまで深い眠りにいるのか、あるいは起きていながらも祈りを捧げたり瞑想をすることで心を落ち着けているのか。どちらにせよ騎士が邪魔をするような時間ではない。
ミゲルは礼拝の間へと戻った。扉を開ける時に教会の窓を風が叩きつける音がした。その不意打ちに思わず手を止めたため、扉は少しだけ開いた状態となる。その微かな隙間から、誰かの声が聞こえてきた。
「神託の通り、悪しき風がやってきました」
女神像に話しかける細い声。ミゲルはそれに聞き覚えがあった。
「この風は災いを呼ぶと、人々は思っています。神が寄り添うと伝えたのに」
ラミーの声だった。ミゲルは扉を開けるべきか悩んだが、その間にも巫女は淡々と言葉を続ける。
「お許しください、神よ。これは私の力が及ばないがためです。もっと、人々に寄り添い、そして神のお言葉を信じて頂かなければならないのに」
悲しむような声は、もしかしたら泣いているのかもしれなかった。気まずくなったミゲルは扉を閉めようとしたが、その時ラミーが「嗚呼」と少し大きな声を出した。
「こんなことでは騎士団長様にお言葉を信じて頂けることなと、夢のまた夢です」
自分のことが巫女の口から出てきたことに驚き、再び動きを止めてしまった。なぜラミーが自分のことなど気にするのか。僧正陛下や他の有力な司祭の名を挙げるのであれば、まだわかる。彼らに神託を信じて貰うのは、巫女にとっても重要なことに違いないからだった。だが騎士は違う。護衛騎士としての名誉はあれども、騎士は神職ではない。
扉の隙間に耳を近づけ、少しの声も聞き漏らすまいと神経を集中する。そのためか、次の言葉はまるで耳元で囁かれているかのように大きく聞こえた。
「……レン様に頼まれたのに」
風が再び窓を揺らす。ミゲルは漏れそうになった声を必死に飲み込んだ。
ミゲルが神託を信じるように、レンがラミーに頼んだ。今の言葉はそういう意味だろう。しかし意味はわかっても理由がわからなかった。騎士団長が神託を信じようが信じまいが、レンには関係のないことだろう。何故なら、騎士団は教会の命令を無視することは出来ない。神託に関わる命令を受けた場合、それを疑問視したとして拒否する権利はないからである。
「騎士団長様に信じて頂くことが、私がレン様から与えられた使命というのに、それを果たせておりません。神よ、どうかお力を」
祈りの言葉が聞こえてきた。ミゲルはそれを聞きながら、レンの真意を考えていた。脳裏に浮かぶのは、数日前に見た寂しそうな顔だった。
レンはミゲルに信じて欲しいと言った。だがミゲルは応えなかった。レンはそれが許せなかったのかもしれない。だからラミーを使って信じさせようとしている。癒やしの力にも神託にも、明確な意見を述べていないミゲルを、自分の味方に引き入れるために。
違う、とミゲルは己の考えを打ち消した。そんな簡単な話ではない気がした。否定と同時に脳裏を過ったのは、自分が過去に犯した罪のことだった。自分の家族を殺したのが誰か、本当はレンは知っているのではないだろうか。ミゲルに対して復讐を企み、その一環として神託を信じさせようとしているのかもしれない。
だが、何のために。どちらの考えを取ったとしても結局はそこに行き着く。それに対する答えは出なかった。ラミーの祈りが耳の中を素通りしていく。ミゲルは漸く手に込めていた力を緩めて、開きかけていた扉を元通りに閉ざした。
今、この扉を開けてラミーを詰問することは簡単だった。だがミゲルはその手段は取れなかった。それこそ過去の繰り返しになってしまうかもしれない。自らの軽率さで誰かを傷つけてしまうのは避けたかった。扉の向こうで祈りはまだ続いていた。
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