16.夜明けの後

 太陽が昇り始めた頃、漸くアンテラが詰所に現れた。前日酒を飲み過ぎたのだと周りには言っていたが、足取りも顔つきもしっかりとしていて、恐らく夜明けより随分と前に起きていたのは明らかだった。すぐに詰所に来なかったのは、神託を信じない男のせめてもの抵抗なのだろう。招集命令がかかったわけでもないのだから、アンテラが遅くに来たことを責める理由はない。

 しかしミゲルはアンテラを呼び寄せると、詰所の隅で小声で問い詰めた。


「何故すぐに来なかった」

「理由が聞きたいのか? すぐ来て欲しいなら、伝令でも走らせればよかったんだ。風が吹いてるぐらいでいちいち詰所に集まってたら、雪が降ったときには全員卒倒する羽目になる」

「半年より前ならそれでいい。今は事情が違うだろう」


 アンテラはそれを聞いて舌打ちをした。


「それが気持ち悪いんだよ。たかが風に、どいつもこいつも騒ぎやがって。此処に来るときにも寝間着のままの爺さん婆さんが空に祈ってるの見たけど、何の意味があるんだか」

「お前は騎士にしては信仰心が足らない」

「それは悪うございましたね。俺はお前みたいな優等生じゃねぇんだよ」


 昨日に引き続き不機嫌を隠しもしない友人に、ミゲルは少々苛立ちを覚えた。騎士の仕事には私情を持ち込むべきではない。ましてこのような時であれば尚更である。だが、先ほど他の騎士達に「風が吹いているだけ」と言ってしまっただけに、アンテラの態度を強く咎めることも出来なかった。


「これが悪しき風だって言うなら、何が起こるか見物だな」

「……アンテラ」

「わかってる。わかってるよ、団長殿。警邏でもなんでも命じてくれ」


 両手の先を揺らすようにしながらアンテラがおどけた調子で言う。ミゲルは溜息をついて首を左右に振った。


「頼むから、街の人にはそういう態度は出すな」

「大丈夫だよ。それぐらいはわきまえてる」

「お前が思ってる以上に、人々は不安を感じているんだ。俺が此処に来たとき、門の前に誰がいたと思う?」

「僧正陛下でもいらっしゃったか?」

「スヴェイのところの婆様だ」


 短い笑いがアンテラの口から漏れた。


「流石だな。あの家の人間は誰かしら騒いでるだろうと思ってたけど、まさか婆さんとはな」

「巫女様に会わせろとリューミルさんに賄賂を渡そうとするものだから、慌てて止めたんだ」

「賄賂か。そりゃ副団長はお怒りだろうなぁ」


 笑いは長くは続かなかった。誰かが詰所の扉を叩いたからである。廊下に向かって開け放たれたままの扉をわざわざ叩いて存在を知らせるような人間は、少なくとも騎士にはいない。

 ミゲルとアンテラは同時に扉の方を振り返ったが、廊下にいるであろうその人間は入る素振りを見せなかった。アンテラが眉間に皺を寄せて、口を開く。


「どうぞ。入って構わない」

「失礼。話し中だったようだから」


 透き通るような声と共に、一人の男が顔を出す。扉の近くに置かれたランタンの光に照らされたその姿を見て、ミゲルは一瞬だけ東域教会のステンドグラスを思い出した。五百年前の行軍を表現したステンドグラスは白と黒の硝子だけで作られているにも関わらず、繊細な陰影と線を描いていて、軍を率いて裸足で歩く聖リトラの白い僧衣が目に痛いほどだった。

 そのステンドグラスの幻影に重なるようにして、麻の僧衣を身に纏ったレンが立っていた。司祭が畑仕事などをする際に着用する略式のもので、色は純白とは程遠い。だがランタンの少し赤みを帯びた光と薄暗い部屋が、その服を本来の価値よりずっと高く見せていた。


「司祭、長」


 ミゲルがなんとか言葉を紡ぐと、アンテラが驚いた声を出した。


「嘘だろ。なんで此処に司祭長が来るんだよ」

「俺に言われても……」


 予想外のことに戸惑いながら、ミゲルはレンを見る。レンは少し困ったような表情を浮かべていた。


「騎士団長ミゲル殿。少し話があります」

「話、ですか? そちらに伺いましょうか」

「いいえ、ここで結構」


 レンはそう言ってから、アンテラに視線を向ける。アンテラは初めて見る司祭長に驚き、その場に立ち尽くしていたが、やがて自分が見つめられていることに気がつくと一歩後ろに後ずさった。今、詰所にいるのはミゲルとアンテラだけだった。


「すみません。俺は席を外します」

「いいえ、貴方も此処に居て構いません。寧ろ、一緒に聞いて頂きたい」


 静かな、それでいて強い響きを持つ声だった。アンテラが黙ったまま二度、首を縦に振る。昨日、酒場であれほど疑惑と文句を並べていたのが嘘のようだった。滑稽とも言える態度に、ミゲルは逆に少し安心をする。本人が言うとおり、それなりにわきまえてはいるようだった。


「騎士団長がいてくださって助かりました。普段はいらっしゃらない時間でしょう?」

「昨日は夜番ではありませんでしたから。風の音で目が覚め、参上した次第です」


 アンテラがいるため、二人とも丁寧な言葉を紡ぐ。それがまるで、芝居でもしているような感覚をミゲルに与えた。

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