17.司祭長の願い
「司祭長、この風は巫女様の神託によるものなのでしょうか」
「それはわかりません。ラミーはそう言っていますが……、そんな簡単なことではないと思います」
レンは長い睫毛を伏せる。
「夜明けと共に教会の外に人が集まっていると報告を受けました。なるべく早く、彼らの不安を取り除かなければなりません」
「その通りだと思います。ですが、なぜ俺のところに?」
「陛下はまだお休み中でしたから。誰かに相談をしたかった。でもラミーには少し荷が重い。貴方なら、公平な目で事態を受け止めてくれると考えました」
柔らかく微笑んだレンは、頬にかかった黒髪を指で掬い上げて右耳にかけた。肌理の細かい白い肌がランタンの光で淡く輝く。
「神託が人を惑わせてしまったとするなら、それは神ではなく人が過ちを犯したのです。彼らの不安を煽ったのは教会。ならば教会がその不安を払拭すべきでしょう」
「何をされるつもりですか?」
「僧正陛下がお目覚めになったら、門を開いて広場に人を入れます。そこで皆を不安にさせたことに対する謝罪と、これからのことを」
レンはミゲルを見た。琥珀色の瞳には信頼が浮かんでいるように見えた。何か言おうとしたが、上手く言葉がまとまらなかった。その隙にアンテラが口を挟む。
「謝罪は巫女様が?」
「ラミーに罪はありません」
驚くほどはっきりと否定が返された。
「神託を伝えて良いと言ったのは僕です。彼女には何の罪もない」
「……司祭長は神託を心から信じてらっしゃる」
アンテラが視線を逸らしながら、呟くように言った。これがもし正面を向いて言っていたなら、その根底にある小馬鹿にした態度は隠しようがなかっただろう。
だがレンはそれを気に留める様子すら見せなかった。
「騎士団長にも以前同じことを言いましたが、神託は人に信じて貰うものではありません。信じられないのは、個人の信仰の問題です」
突き放すような言葉にアンテラは鼻白んだように黙り込んだ。レンの言葉に納得したようには見えない。だが、司祭長相手にこれ以上の言葉を重ねることを危惧したのだろう。ミゲルは再び友人が口を開く前に言葉を割り込ませた。
「広場に人を入れるなら、騎士団はその警備をすべきですね。その話をしに?」
「えぇ。お願い出来るでしょうか」
「我々は教会の命令を断ることはありません」
ミゲルはレンの顔を見つめる。その表情はどこか緊張感を持っていて、それでいて冷静さも失ってはいなかった。今起こっている問題を的確に対処しようとする、誠実なものが見て取れた。
レンは続けて何かを言おうと、濡れたように赤い唇を開く。だが先ほどアンテラの言葉を扉を叩く音が遮ったように、今度は見習い騎士が息を切らせて詰所に走り込んできたために言葉が立ち消える。
随分と急いで走ってきたらしい見習いは、そこに司祭長がいるのも気付かない様子で息を荒げながら口を開いた。
「大変です。街の方で騒ぎが」
「神託についてだろう? そこまで慌てることか」
アンテラが、どうにか感情を押し殺した声を出す。
「今のところ風しか吹いていないんだから、多少怯える人がいてもだな……」
「違います。違うんです」
まだ少年と言って良い年齢の見習い騎士は、慌ただしく両手を振り回す。宙に散らばってしまった言葉の欠片を必死に集めようとしているようにも見えた。
「落ち着けよ。何が違うんだ」
「風が病を運んでくると街中で噂になっているんです。そのせいで薬屋に押しかける人達まで出てきていて……」
「だからそれをどうにかするために警邏してるんだろ?」
呆れたように言うアンテラに対して、少年はまた否定を返した。なかなか言葉がまとまらないことを自分でももどかしく感じているのだろう。耳まで真っ赤にして首を左右に振る様子は、子供が地団駄を踏んでいるようにも見えた。
「違います。それはどうにか抑えることが出来たんです。でも今度は、誰がそんな噂を流したのかって話になって、皆で犯人を探し始めてしまって」
「皆って?」
今度はミゲルが訊ねる。見習い騎士はそこで少し言葉を止めると、自分自身を落ち着かせるように何度か深呼吸をした。
「街の人たち、皆です。特に夜明け前から教会に詰めかけていた人たちが怒り狂っていて」
「怒り狂うとは穏やかではないな。それでどうなった」
「はい。噂を流した人がわかって、今度はそちらに人が詰めかけています。四人ほど現場にいますが、人が多すぎて抑えきれない様子で」
「それを早く言え」
ミゲルは叱責するように言ったが、相手の混乱も理解は出来たため語尾はそれほど強めなかった。
「アンテラ、応援に向かってくれるか」
「承知しました。場所はどこだ」
「はい。街の外れにある仕立屋です」
その言葉に二人は動きを止めた。しかし見習い騎士は気付かぬまま口を動かし続ける。
「そこの家に住んでいる輔祭が、噂を流した犯人だと。昨夜、リットで店員に話しているのを聞いた人がいるそうです」
アンテラが少年を押しのけて、慌てて詰所を飛び出していった。ミゲルもそれに続こうとしたが、その腕をレンが強く掴んで止めた。振り払おうとしたが、レンが不安そうな顔をしているのに気付くと、ミゲルはそれ以上動くことが出来なかった。
「悪しき風……。もしかしたらこれが本当の「風」なのかもしれない」
レンはミゲルの体にしがみつくように身を寄せる。ミゲルはその肩を抱き寄せて、ただ唇を噛むことしか出来なかった。
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