18.災難の後に
「酷いもんでしたよ」
戻ってきた騎士の一人が、肩についた泥を払いながら言った。恐らくどこかで転んだか、誰かが投げた泥を受けてしまったのだろう。ミゲルの座るテーブルに置かれた報告書も泥の汚れがついていた。警邏をしたという事実だけを書き残した報告書が何の役に立つのか、それは誰にもわからない。しかし教会の決まり事になっている以上、それを破ることは許されなかった。
「集団心理とでも言うんでしょうかね。誰が言い出したかわかりませんけど、仕立屋の男が無責任な流言流布をしているって話が瞬く間に広がって」
「窓が割られたそうだな」
「割ったなんて可愛らしいものじゃないですよ。窓枠ごとです」
こうやって、と騎士は石を投げる仕草をした。
「皆で一気にやったもんですから、ひとたまりもありませんでしたよ。元々、噂好きで有名な家族のようでしたから、それが災いしたんでしょう」
「……そうだな。だからといって危害を加えて良いわけではないが」
夜明けから暫く時間が経っていた。詰所には警邏から戻ってきた者達が休憩を取っている。街の方は、仕立屋への襲撃で一度は大混乱に陥ったものの、騎士団がその一家を保護したことで収束に向かった。ミゲルはその現場を見たわけでは無いが、目の前にいる騎士曰く「まるで悪い夢から覚めたような顔」で全員が去って行ったらしい。
「仕立屋の一家はどこに?」
「教会の空いている部屋に。幸い、全員大きな怪我はないようですが、襲撃の件で随分と憔悴していますね」
「無理もない。家の方はどうなっている?」
「ええと」
騎士は寝不足と疲労により隈の浮かんだ目元を、指の腹で一度擦った。
「クイルタ司祭とその従者が。何でも、仕立屋の息子が輔祭を務めているとかで」
「その誼で、ということか」
司祭達が家の留守を預かっているのであれば、当分は問題ないだろう。ミゲルは少しだけ胸を撫で下ろした。
「クイルタ司祭もついこの前、家が火事になったばかりですからね。他人事ではないんですよ、きっと」
「火事?」
「クイルタ司祭の家が、俺の実家の近くでして。数ヶ月前に火事で納屋と書斎の一部が燃えてしまったんですよ。大事にしていた本が燃えてしまったとかで落ち込んでいたようですが、結局あれはどうなったのかなぁ」
この国は周辺諸国と比較すると識字率は高いとされているが、それでも家に本を置いているような人間は少ない。ミゲルの家には本棚があるが、半分は食器棚として使われている有様だった。それでも家に来た人間はそれを見て、流石は騎士団長の家だと感心する。それほどに本というのは貴重なものだった。司祭が大事にするような本ともなれば、その価値は相当に高いことが推測出来る。
「まぁそのこともあるので、仕立屋の家から何か持ち去られる事を心配しているんでしょうね」
「高価な布もいくつかは持っている筈だからな」
ミゲルは詰所の中に視線を巡らせる。アンテラの姿はどこにもない。恐らくはスヴェイのところにいるのだろう。小さい頃から何かと小競り合いを繰り返している関係であるが、二人の間には確かな友情が存在する。
友情。ミゲルはついさっきまで此処にいたレンのことを思い出す。騎士達が戻ってくるまで、レンはミゲルから離れようとしなかった。華奢な体や柔らかい髪の感触が、まだ指や手のひらに残っているように感じた。
自分とレンの間にあるのは友情なのだろうか。少なくとも、ミゲルはレンに対して愛情と言って良いものを持っていた。それが十年前の悲劇を引き起こしたと言っても良い。あの時、ミゲルは幼いながらに友情以上の何かを求めていた。
しかし、レンがミゲルに同じような気持ちを持っているのかはわからない。幼い時も今も親愛を見せてはくれるが、それが特別なものかどうかは判断しようがなかった。少年時代のレンには友達がいなかった。自分より年上の大人に囲まれて暮らしていた少年からすれば、馴れ馴れしすぎるほどの触れあいも自然なことだったのかもしれない。そしてそれが今も続いている可能性はある。
友情か、愛情か。どちらでも良いとミゲルは思っていた。自分に向けられる感情が憎しみでなければ何でも構わなかった。
「ところで団長。広場の門はいつ開かれるんです? てっきりもう開いているものだと思って戻ってきたら、まだ門の前に人が大勢いて驚きましたよ」
「僧正陛下がお目覚めになったら、お許しを得て門を開く予定だったんだ。だが仕立屋の襲撃の件をお聞きになった陛下が懸念を示されたようで」
門を開くことで、今度は群衆が教会の内部まで詰めかけるのではないか。カディルはそれを心配したらしい。もしそんなことが起きれば、司祭や巫女に危険が及ぶだけでなく中央教会としての信用にも傷がつくことになる。
「でも、いつまでもこのままではいかないでしょう。今は仕立屋襲撃の熱が収まったばかりで落ち着いてはいますけど、あまり長く門を閉じていたら、今度は仕立屋を教会が庇ってると思われるかもしれませんよ」
「……そうだな。だが、騎士が口出しをすることではない。どちらにせよ、門が開く時に俺たちがすることは決まっている」
ミゲルはそう言ったものの、未だに何の知らせもないことに内心焦りを感じていた。今、相手が言ったとおり、長く門を閉ざすことで次の流言が生まれる可能性がある。騎士は目の前で起きる暴力や破壊を止めることは出来ても、人の噂話まで押さえ込むことは出来ない。
「でも一度、確認してきたほうがいいんじゃないですか」
相手の目がミゲルを探るように見る。このテーブルで意味の無い報告書を集めるのが団長の仕事ではないだろう、と言っているように思えた。
「あぁ。司祭長からも警備について相談も受けているしな」
ミゲルは端からそのつもりであったかのように立ち上がった。スヴェイの様子を見に行きたかったという理由もそこには混じっている。最初の見習い騎士の報告から今に至るまで、ミゲルはスヴェイのことを一方的に聞くだけだった。一目でも良いので、会って話をしたい。それが友人として出来る唯一のことだと信じていた。
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