19.静かな部屋

 二階にある司祭用の部屋の一つ、今は使われていない部屋の前に白い髪に白い肌の巫女が立っているのが見えた。ミゲルがそちらに近付くと、あと数歩のところで相手は気がついたらしく、恭しく頭を下げた。


「……貴女が、此処の見張りを?」

「はい。皆様が外に出るべきではないと仰られたので。騎士の方々がお忙しい中、申し訳ないとは思っているのですが」

「貴女のせいではないだろう。その……神託を告げただけなのだから」


 ミゲルは明け方のことを思い返しながら言った。申し訳なさそうにこちらを見上げる赤い瞳からは嘘や誤魔化しは一切感じられない。だがそれも自分の神託をミゲルに信じて貰うための態度だと考えられる。明け方に聞いたラミーの言葉は、間違いなくミゲルの心に疑惑という楔を打ち込んでいた。


「司祭長様から聞きました。悪しき風とは人の流す噂話のことではないかと」


 レンのことを口にした相手に、ミゲルは良い機会だと思って質問をした。


「司祭長とはいつからの知り合いなんだ?」

「五年前です。西域教会に私が身を寄せた頃から。両親が亡くなり、天涯孤独となった私に親切にしていただきました」

「だから中央までついてきたと」

「神託をお伝えしたかったのが一番の目的ですが、レン様と離れがたかったのも本当です。私にとってレン様は……大事な方ですから」


 微笑みながらラミーが言った。その言葉に含まれるのは恋愛的な意味合いではなく、親兄弟に対するようなものに近かった。

 その笑みが、十年前に見たレンの親族の男と重なる。子供の頃にもこうして人の表情や愛情を見極められるだけの力があれば、あんなことにはならなかっただろう。ミゲルは胸中に苦いものを抱えたまま口を開く。


「スヴェイ……、仕立屋の家族は中に?」

「はい。それとお友達と仰る騎士の方が」


 アンテラのことだろう。しかしミゲルは、部屋の中から殆ど人の声がしないことが気にかかっていた。スヴェイの家族が全員いるのであれば、その姉夫婦の子供も合わせて六人。アンテラも入れれば七人になる。少しぐらい人の声が聞こえても良さそうなものだった。訝しげな表情を浮かべたミゲルを見て、ラミーはその理由を察したようだった。


「レン様が仰ったんです。事の発端は噂話。この部屋に仕立屋の家族がいるとわかれば不調法に耳をそばだてる者もいるかもしれない。可能な限り静かにすべきだと」

「司祭長がそう言ったのか」

「それを私が伝えました」


 少し嫌な予感がした。目の前の扉を開いて中に入ったミゲルが見たのは、予想通りというべきか、苦虫を噛みつぶして酸を飲み干したような顔をしているアンテラだった。

 ミゲルが入ってきたことに気がつくと、アンテラは目線で扉を閉めるように促す。再び扉が閉ざされると、ミゲルが何か言うより早くアンテラが一歩詰め寄った。


「巫女と何を話した」

「大した話じゃない。神託のこととか、司祭長の話だ」

「司祭長ね」


 アンテラは鼻で笑う仕草をした。


「出来たお人だよ、司祭長は。ただでさえ弱ってる仕立屋の方々に、人に聞かれるかもしれないから黙ってろ、だってよ。お陰で新月の夜みたいになっちまった」


 部屋の中にはスヴェイを始めとして六人が、それぞれ椅子に腰を下ろしていた。あまり出来がいいとは言えない木製の椅子は、誰かがその重心を変える度に床と脚が触れて乾いた音を立てる。

 アンテラは部屋の中央にいたが、そのすぐ傍にスヴェイが疲れ切った表情で座っていた。髪が乱れて服も汚れている。昨日見たときより十歳ぐらい老け込んだようにすら思えた。他の五人も似たようなもので、特に窓際にいる老婆が際だっていた。ミゲルが夜明け前に見たときと全く同じ格好で、あの小さな袋を大事そうに握りしめていた。中の小銭の量は変わっていないように見える。それが老婆が辛うじて自分の家から持ち出せたものなのだろう。


「大体、巫女が無責任な神託をしたからこうなったんだろ。スヴェイの噂好きなんて今に始まったことじゃない。そんなの近所の人間なら誰だって知ってる」

「近所の人も石を投げてきたよ」


 スヴェイが小さな声で呟いた。


「全員、誰かに命令されたみたいに必死で僕たちの家に石を投げて、必死で叫んでた」

「安心しろよ。暴動は収まった。もうじき家に帰れる」


 アンテラが敢えて明るく声を出したが、スヴェイは愛想笑いすらも返さなかった。風はまだ窓を叩きつけるように吹いている。その音にアンテラは文句をつけるように舌打ちをした。


「いつになったら収まるんだよ、この風は。神託だって言うなら、風が止む時も教えてくれればいいのに」

「……この風そのものは神託とは関係ないかもしれない」


 ミゲルがそう言うと、アンテラが目を剥いた。


「じゃあ風ってのは何だ?」

「スヴェイ達が今置かれている状況のことだ。誰が言い出したともわからない噂が風のように襲いかかった。そのことを示しているんじゃないかと」


 それを聞いたスヴェイが顔を手で覆って、低い声で嘆いた。


「だったら僕が原因ってことになる。僕が家族をこんな目に遭わせたんだ。リットであんなこと、喋らなきゃよかった」

「風が病を連れてくる、と話したらしいな」


 ミゲルが確認するために訊ねると、アンテラが「おい」と憤った声で遮った。


「お前までスヴェイを責めるのか」

「そうじゃない。そんな単純な話じゃない。もしこのままスヴェイ達を家に帰したところで、「噂話で人々を惑わせた一家」という印象は残ったままになる。下手をすればスヴェイ達が言っていないことまで流布する可能性もある。だからこそ、今の段階でスヴェイが何を言ったのか整理すべきなんだ」

「俺にはお前がスヴェイを傷つけるようにしか見えないね。それが友人のすることか?」

「友人だからするんだろう。スヴェイが何を言って、何を言わなかったか。それを心から信じてあげられるのは俺たちだけだ。ただ庇うだけならその辺の慈善家にやらせておけばいい」


 ミゲルは強い口調で相手を黙らせると、改めてスヴェイに向き直る。ついさっきまで憔悴しきっていたスヴェイの目に、少しだけ光が戻っていた。


「話してくれるか?」

「……守ってくれるんだよね?」

「正直に話すならな。保身に走るような真似はするな。それと、いつものように誇張もしなくていい。話したことだけをそのまま言ってくれ」


 それは命令するような言葉遣いであったが、実際には懇願だった。スヴェイはそれを敏感に読み取り、真剣な表情で頷く。相変わらず赤い鼻先がゆるりと震えた。

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