20.不幸な発端
「昨日、リットで店員や他の客と話したのは本当だよ。ほら、アンテラが酔っ払って絡み出したから逃げたとき」
アンテラが小さく「絡んでない」と呟いた。
「カウンターで食べ物と飲み物を注文して、それを待っている間に知り合いが話しかけてきたんだ。最近、あの店でよく会う人でね。僕と同じで酒は飲まない。いつもカウンターで山羊のミルクを水で割ったものと、クルミの砂糖和えを食べてる」
「それはどうでもいい」
ミゲルがそう言うと、スヴェイは一瞬だけきょとんとした顔をしたが、すぐに「あぁ」と声を零した。
「そう、だね。どうでもいいね。えーっと……」
膝の上で手を組み、落ち着きなく床を爪先で叩く。スヴェイは噂話や世間話ならいつまでも喋るような人間であるが必要事項だけ話すのは不得手だった。
「その人と、神託についての話をした。何が起こるのか、とか、教会が心配だ、とか。それで僕、司祭様から聞いたことを話したんだよ。勿論、ただの世間話みたいなものだよ。真剣味も何も無い」
「司祭様が、風から病気を連想したことか」
「こういうこと言うと怒られるかもしれないけど、司祭様から聞いた話って皆面白がってくれるんだよ。昨日も、それで結構盛り上がってさ。途中から店員も混じってきて……」
スヴェイは暗い表情になり、溜息をついた。
「でも僕が噂を言いふらしたって言ったのは、その店員なんだよね。なんだか……それが凄く悲しい」
「司祭様から聞いた話だと、ちゃんと相手に伝えたんだな?」
「勿論だよ。僕は噂話は好きだけど、自分で言ってもいないことを騙ったりはしない」
ミゲルはその言葉を信用した。スヴェイの噂好きは、一種の無責任の上に成り立っているものである。真偽は二の次で、誰かがこう言ったらしい、とか、それを誰かから聞いた、とか、そんな伝聞を面白おかしく話すことで話を盛り上げる。スヴェイは決して自分を噂の中心に据えようとはしない。責任のない第三者でいることが楽しいと幼いころから知っている。
暫く考え込んだ後に、ミゲルは天井を見上げて息を吐き出した。
「言うまでも無いことだが、今回のことはお前にも少しは罪がある」
「ミゲル!」
アンテラが耐えかねて大声を出した。しかしそれを封じたのは他ならぬスヴェイだった。アンテラのほうに手を向けて制止し、首を左右に振る。
「いいんだ。わかってるんだよ、アンテラ。僕の噂好きは二人だって前から文句言ってたじゃないか。それを改めなかったのは僕の責任だ」
「でも、たかが噂だろ。罪なんて大袈裟なもんじゃない」
「それでも」
スヴェイは静かに言った。
「僕にも悪いところがあるって思わないと、耐えきれないよ」
言葉が途切れて、沈黙が流れた。アンテラは何か言おうとして口を開いたり閉じたりすることを繰り返していたが、結局は眉間に深い皺を刻むだけで終わる。ミゲルは二人の友人がそれ以上何も言わないのを確認してから、再び口を開いた。
「相手にも、そして暴動を起こした人々にも罪はある。落としどころをつけるとすれば、そこだ。どちらにも罪があることにして、それを教会に諭してもらう。事の発端は神託だ。教会だって知らん顔は出来ない」
「……司祭長に頼むのか?」
アンテラが訊ねる。ミゲルは素直に頷いた。
民衆が耳を傾けてくれそうな人間、そしてミゲルが直接頼み込める人間となればレンしかいない。
「アンテラは面白くないだろうが、それが一番良い方法だと思う」
「別に俺は何だって文句をつけて回っているわけじゃない。ただ少し気に入らないってだけだ。でも……」
アンテラの目が一瞬、スヴェイを見た。
「それでスヴェイが救われるなら、俺が口を挟むことじゃない」
「なら決まりだな」
一際強い風が窓を叩いた。それに重なるようにして、スヴェイが嗚咽を零したのが聞こえた。年甲斐もなく顔をみっともなく歪めて、背中を丸めて両手で顔を覆っていた。
「ごめん、二人とも」
「謝ることはない。俺もアンテラも、友達を助けたいだけだ」
顔を隠したまま、スヴェイは何度も頷いた。ミゲルは慰めようかと思ったが、それより早くスヴェイの母親が駆け寄ったため、一歩退いた。母親に優しい言葉を掛けられ、スヴェイは肩を振るわせている。本人もどうすればいいのかわからないのだろう。ここは肉親である母親に任せたほうが良さそうだった。
「アンテラ。悪いけどもう少しここにいてくれ。俺は司祭長と話をしてくる」
「わかった」
短く承諾を返したアンテラだったが、視線を少し彷徨わせてから言葉を重ねた。
「俺が言えたことじゃないが、頼んだ」
「あぁ、任せてくれ」
スヴェイに背中を向け、部屋の扉を開く。そしてそこにまだ立っていた巫女へと振り向いた。
「司祭長はどちらにいらっしゃる?」
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