21.罪について

 教会から外に出る方法はいくつか存在する。何百年もかけて増築と改築を繰り返されてきた中央教会には、その時々の歴史や流行でいくつかの部屋や通路が作られ、そして消えていった。当初は教会を出入りする扉はたった一つしか作られなかったと言われているが、その扉も既に壁に変わっている。

 今ミゲルが歩いているのは三百年前に作られたとされる通路であり、ミゲル自身はその場所を知ってはいたが、足を踏み入れるのは初めてだった。この先には大きな扉があり、それを開けば広場に出ることが出来る。平素この通路を使うのは教会の中でも限られた人間だけで、少なくとも騎士が通るような場所ではない。


「話はわかったよ」


 前方を歩くレンがそう言ったのは、通路を半分ほど進んだ時だった。僧衣をまとった背中が少し揺れる。


「まさかミゲルの友達とは思わなかったな」

「幼なじみなんだ」


 通路には他に誰もいない。だが他と比べて通路の天井が低いせいか声がよく響く。ミゲルは自然と声量を抑えていた。


「だからというわけじゃないけど、今回の件はスヴェイだけが悪いとも言えない。軽率なところがあったのは否めないが、皆に石を投げつけられるほどの罪ではない筈だ」

「そうだね。それについては同情するよ。ラミーも随分気にしてたし」


 レンの足音とミゲルの足音が混じり合う。扉の前まで辿り着くと、レンはそこで立ち止まった。


「ミゲルはその友達を助けたいの?」

「窮地に陥った友人を見捨てることは出来ない」

「ミゲルらしいな。だったらさ」


 不意にレンが振り返った。口元に薄らと笑みが浮かんでいるが、目は真剣そのものだった。


「もし僕が危険な目に遭ったら、助けてくれる?」

「それは当然だ。護衛騎士の役目でもある」

「違うよ。友達として」


 友達、とレンはもう一度繰り返した。

 試されている、とミゲルは直感した。当たり前のことであるが、レンにとってスヴェイは面識すらない他人である。これから不安を抱える大衆を落ち着かせるために広場に出ようとしている司祭長に、たった一人の輔祭とその家族を救ってくれと言うのは、あまりに図々しいことに違いなかった。もしレンがそれを断ったとしても、誰も文句は言えないだろう。

 だからこそレンはミゲルを試している。ミゲルの行いが純粋に友人を救うためのものなのか、そして自分もその友人と同列であるのかを。


「……守るよ、友人として」


 ミゲルは相手の目を真っ直ぐに見つめながら言った。まるで子供同士の駆け引きのようだと同時に考える。自分が相手にとって大事な存在かどうか確かめたくて、大袈裟な言葉を重ねて言質を取ろうとする。幼い頃にミゲルも似たようなことをした。弟ばかりを可愛がっているように見える母親に対して。今思えば馬鹿げたことだったし母親もさぞかし笑いを堪えるのに必死だっただろうが、当時の自分にとっては死活問題だった。

 レンはミゲルの答えに満足したように微笑む。再会したときからこれまで何度も見てきた幼さの残る言動は、ミゲルへの親愛の証なのかもしれなかった。


「友達想いなんだね、ミゲルは」

「そんな褒められるようなものじゃない。ただ俺は友人に何か出来ることを探しているだけだ」

「同じことだと思うけど。それに敢えて友達の罪を認めた上で救済しようとするなんて、普通じゃ出来ないよ。どうしても親しい人の罪は庇いたくなるからね」

 

 そしてレンはふと思い出したような顔をした。


「ミゲルは罪を犯したことはある?」

「え?」

「人は誰でも罪を犯すと言われているけど、それを自覚しない人もいる」


 扉の外のざわめきに、文字通りを背を向けたままでレンは続ける。大勢の人間より、目の前にいるミゲルだけが重要とでも言うように。


「逆に言えば、周りが罪とは思わなくても自分が罪だと思えば罪になる。神へ懺悔をしたくなる。そういう罪をミゲルは持ってる?」


 ミゲルはそれに即座に答えることが出来なかった。あの日から十年間抱えてきた罪が、一気に重さを増したように感じて胸元を手で押さえる。肯定してしまえば、あるいは否定してしまえば、きっと楽にはなるのだろう。だがそのどちらもレンに対して行うべきものではなかった。


「僕はあるよ、そういう罪」


 答えないミゲルの代わりにレンがそのまま続けた。


「きっと誰もそれを罪とは言わないだろうけど、僕にとっては重罪なんだ」

「……重罪?」

「もしこの先僕がどんなに悪いことをしたとして、それに勝る罪はないと思う。子供の頃の話だけどね」


 琥珀色の目に少し悲しそうな色が混じった。


「どんな罪を犯したんだ?」

「言わない。死ぬまで黙ってるつもりだから」


 でもね、とレンはそこで初めて声を潜めた。誰も何も聞いていないのに、その言葉が少しでも誰かの耳に届くのを恐れるように。


「この街で犯した罪だから、僕は此処で償わないといけないんだ」


 ミゲルはその言葉に驚いたが、何も言うことが出来なかった。レンは再び背を向けると、数歩だけ前に進んで扉に手を掛ける。固く閉ざされた扉が少しだけ開いた瞬間、外からの音が教会の中に雪崩れ込んできた。レンはその中を背筋を伸ばして進んでいく。ミゲルもそれに続きながら、今のレンの言葉の意味を考えていた。

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