3.石と硝子

「これはどうかな」

「いいんじゃない? 良く飛びそうだよ」


 レンも石を一つ見つけて右手に持っていた。赤い色をした石は表面が少し土で汚れていて、それが白い指に滲むように付着している。

 川縁まで歩み寄ったレンは、腰を落として右手を真っすぐに後ろに引いた。細い腕が宙を薙ぐ。その手から放たれた石はそのまま川面に着地し、四回大きく跳ねてから五回目で川の中へと消えた。

 ミゲルはそれを見届けてから、自分の石を川へと投げた。風を石が切る音がして、大きな音と共に一回跳ねる。だがそのまま右に逸れてしまい、二回目は訪れなかった。


「力が入りすぎなんだよ」


 レンが笑いながら言った。ミゲルは、手に汗をかいていたせいだと主張しようとして、しかし口を閉ざした。


「川に叩きつけたら駄目なんだ。撫でるような感覚じゃないと」

「頭ではわかってるんだけど、どうしても力が入っちゃうんだよ。才能がないのかな」

「大袈裟だな。慣れだよ、こんなの」


 次の石を探しながらレンは言った。その顔に水面に反射した光が細かな粒子のように降り注いでいる。


「俺も兄ちゃんに教えてもらった頃は下手くそだったよ」

「兄ちゃん?」

「本当の兄弟じゃないけどね。父さんのお兄さんの子供。小さい頃はよく一緒に遊んでくれた」

「レンは兄弟は?」

「いないよ。だから母さんも父さんもすっごい心配性なんだよね」


 レンの細い指が、平たい石を摘まみ上げた。褐色の石に白い筋が入っている。


「今日だってさ、川に行くって言ったら「溺れるな」とか「雨が降ったら帰ってこい」とか煩くて」


 煩い、と言う割にはレンは嬉しそうだった。両親のことを心から愛し、そしてその愛情を素直に受け止めている。そんな表情だった。


「ミゲルのところは?」

「母上が心配性なのは同じだけど、僕には弟が二人いるから、そっちに構うことが多いかな。父上はなるべく早く自立するように、っていつも言ってるし」

「へぇ。お父さん厳しいんだね」

「僕は騎士の息子だからしっかりしなきゃいけないんだってさ」


 その言葉を聞いたレンは首を傾げた。


「それって僧正様を護衛する騎士団のこと?」

「うん。父上はその団長なんだ」

「凄い」


 純粋な驚きと尊敬を顔に浮かべてレンが言う。ミゲルは何となくくすぐったい気持ちで笑った。

 父親の立場は、あくまで父親のものであり、自分のものではない。そこは勘違いしないように、と父親には何度も言われてきた。だがそれすら忘れそうになるほど、レンが向ける感情は澄み切っていて、ミゲルは自分自身が騎士になったかのような錯覚を覚える。

 去年見た、聖花祭のパレード。背筋を伸ばして馬に乗る騎士たちを全員が憧れの目で追っていた光景を思い出す。あの時の騎士達もこんな喜ばしい気持ちだったのだろうかと、ミゲルは考えていた。


「騎士団長って偉い人なんでしょ?」

「偉い、のかな。僕にはよくわからないや」


 わざと謙遜してみせれば、レンはますます興味を惹かれたようだった。


「ミラスマ教の信者の中でも、特に僧正様から信頼を得ている人しか騎士になれないんだよね」

「うん。それだけじゃなくて馬術や剣術も優秀じゃないといけないんだ」

「いいなぁ。馬術って馬を操るやつでしょ? 俺、農耕馬しか見たことないけど、そういう馬とは違うんだよね」

「全然違うよ。父上の愛馬は濃い葦毛をしていて、足首なんか本当に彫刻みたいに完璧なんだ。尻尾の毛が一部だけ白くてね、丁度レンが持ってる石みたいな見た目をしてる。だから遠くからでも目立つんだ」

「それは目立ちそうだね」


 石を見ながら見たこともない馬の姿を想像しているのか、レンの目に笑みが浮かんでいる。しかし、ふと興味を失ったようにその石を手放してしまうと、再び視線をミゲルに向けた。


「ミゲルも騎士になるの?」

「うん」


 ミゲルは迷いもせずに言った。これが例えば近所の人相手であれば、子供らしい無邪気さと狡猾さを滲ませた愛想笑いでも浮かべて「なれればいいと思います」と言っていたに違いないが、どういうわけだかレンに対しては、そのようなことはしたくないと思っていた。

 レンはそれを聞くと破顔して、どこか嬉しそうに頷いてみせた。


「ミゲルにはぴったりだと思う」

「そうかな」

「うん、きっと格好いいよ」


 心底からのその言葉にミゲルは我に返った。

 そして恥ずかしさと焦りで、顔を耳まで真っ赤に染めあげる。レンの言葉を嬉しいと思ってしまった。それだけならまだしも、騎士になるという夢を一瞬忘れてしまうほどに舞い上がった自分に気付いたためだった。


「ミゲル?」


 様子のおかしいミゲルを心配するように、レンが首を傾けて顔を覗き込む。絹糸のように柔らかな美しい黒髪が肩から落ちて、その向こう側で川面が光っているのが見えた。


「どうしたの?」

「なんでもない。なんでもないよ」


 言い訳するように早口で繰り返せば、レンはそれ以上追求はしなかった。


「次の石はどうする?」


 何もなかったように水切り遊びに戻ってしまったレンに、ミゲルは少し安心した。あれ以上見つめられていたら、余計なことまで喋ってしまいそうだった。レンの瞳には抗えない光がある。その光が例えミゲルにしか感じ取れないものだとしても。

 日がだんだんと頭上へと昇り、それに伴い気温が緩やかに高くなってきた頃、レンが石を探す手を止めて立ち上がった。その右手は石を触り続けたせいで真っ黒になっていて、手首の白さが余計に際立っていた。


「母さんだ」


 レンの言葉に、ミゲルはその視線を追った。前にも見た背の高い女が、川の向こうで手を振っているのが見えた。遠くて殆ど表情などはわからないが、ゆっくりと左右に揺れる手が優しげな印象を与える。


「そろそろ帰らなきゃ」

「まだ昼前だよ」


 思わず未練がましい言葉を口にしたミゲルだったが、レンはそれに笑って応じた。


「もうすぐにお昼になるよ。これから昼食の支度をしないと」

「レンが作るの?」


 驚いて問いかけたミゲルだったが、相手は首を左右に振った。


「そんなんじゃないよ。うちは家族が多いから大きな鍋にいっぱい作らないといけなくてさ。子供も皆手伝うことになってるんだ」

「あぁ、そうなんだ」

「だから今日はもう帰るね。また今度遊ぼう」


 今度がいつなのか、ミゲルは聞こうとしたが、それは相手が急に手を取ってきたことで弾け飛んでしまった。


「これあげる。さっき拾ったんだ」


 右手に押し込まれたのは、真っ白な硝子の破片だった。川の流れにより研磨されて、当初は鋭かったであろう縁が丸くなっている。川では偶に見つかる物だが、レンの渡してきたそれは今までミゲルが見てきたものの中でも一番大きかった。手のひらの半分を埋めるほどの白い破片をミゲルは優しく握り込む。


「要らなかったら捨てていいよ」

「いや、大事にするよ」

「大袈裟」


 レンは明るく笑って、河原から立ち去った。

 取り残されたミゲルは、掌の上の硝子に指を滑らせる。指先の水分が一瞬だけ硝子の表面に軌跡を描くも、すぐに蒸発してしまった。レンは何のためらいも無く硝子をくれたが、ミゲルには到底真似できそうになかった。子供にとって河原で拾う硝子は「宝石」のような存在だった。これほど大きくて立派な硝子が手に入ったら、まず誰しもがそれを独占することを考えるだろう。友達を集めて、もったいぶって咳払いなどしてから、ほんの数秒だけ見せつける。そして羨望の眼差しをその身に受けて高揚する。宝石を手に入れた幸運な者にはそれを受け止める権利がある。

 しかしレンはその権利をあっさりと手放した。ミゲルはその意味するところを考えて、いくつか浮かんだ可能性に心を躍らせる。そしてその可能性を自分の中の少し冷めた部分が台無しにしないうちに、ポケットからハンカチを取り出して丁寧に硝子を包んだ。それこそ宝石のように丁重にポケットの中へと仕舞い込み、零れ落ちないようにポケットの上辺を内側に折り込んだ。

 よく知った二つの声がミゲルを呼ぶのに気付いたのは、その直後のことだった。

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