4.祭りの日の計画

 レンが去って行った方とは逆側、つまり下流の方へと目を向ける。幼友達のスヴェイとアンテラがこちらに歩いてくるのが見えた。どちらも同い年で近所に住んでいるため、三人で遊ぶことが多い。しかしここ数日はミゲルは彼らと会っていなかった。


「ミゲル、何してるんだ?」


 アンテラが先に声を出した。父親譲りの広い肩幅とそれに相応しい体躯の少年で、ミゲルより頭半分ほど大きい。しかし体躯の良さの代わりに声については貧相で、特に今のように疑問符を投げかける時などは無意味に声が掠れてしまうことが多かった。

 癖のある赤茶色の髪は少し水で濡れている。顔を洗ったばかりなのだろう。同じ色をした目の端にまだ汚れがついているのは愛嬌というものだった。


「最近見かけないから、風邪でも引いたのかと思ったよ」


 今度はスヴェイが口を開く。アンテラの横に並ぶと体の貧弱さが哀れに見えるほどだった。体つきだけみればそんなことはないのだろうが、幼少期から患っている鼻炎のせいで常に鼻の周りを真っ赤にして、口呼吸が多いために唇に水分がないのが、その容姿を病人じみたものに見せていた。

 くすんだ金髪は肩より少し長く、それを乱雑に紐でまとめている。そこからこぼれ落ちてしまった一房が、居心地悪そうに頬の辺りで揺れていた。スヴェイはそれを煩わしそうに耳に引っかけると、母親譲りの見事な紅玉色の目をしばたかせた。


「でも此処にいるってことは風邪じゃなさそうだね。それとも治ったの?」

「風邪なんて引いてないよ」


 ミゲルはそう答えてから、自分の口調があまりにぞんざいな事に気がつくと、それを誤魔化すように笑みを作った。


「父上の仕事の手伝いをしていたんだ」

「あぁ、なるほど」


 スヴェイが鼻を啜り上げる。


「聖花祭が近いもんね。うちの婆様もずっとレースを編んでるよ」

「今年もレース?」

「去年も今年も来年も。きっと百年先だって婆様はレースを編んでるんじゃないかな。今だって一年の半分はレースの糸選びやら糸染めやらに時間を使ってるんだからね」


 聖花祭では神への供物が求められる。家で収穫した野菜や果実、布や毛糸、伝統的な菓子や民芸品などをそれぞれの家の前か、あるいは居住区により定められた祭壇に置くのが決まりとなっていた。

 スヴェイの家は代々仕立屋をしている。そのため供物もそれにまつわるものが多い。ミゲルはスヴェイの鼻炎がなかなか良くならないのはその家業のせいではないかと薄々思っていたが、口に出したことはなかった。


「レースならまだいいよ」


 声を上ずらせながらアンテラが口を挟んだ。


「俺の家なんて干し肉だらけだ。寝るときに肉を見て、起きて肉を見て、最近じゃ夢の中まで入ってきやがった」

「でもアンテラの家の干し肉は美味しいよ」


 ミゲルはそう言ったが、アンテラは首を左右に振った。そんな言葉は聞き飽きたとでも言いたげだった。


「それでミゲル。祭りの日はどうするんだ?」


 それ以上、家業の精肉について話す気が無くなったのだろう。アンテラは近くにあった大きな石に腰掛けて、少々早口に話題を切り替えた。


「どうするって?」

「決まってるだろ。どの出店を回るのかって話だよ」


 祭りの日は多くの出店が教会の前や広場の周りに並ぶ。殆どの子供達は大人から小遣いを貰い、それを握りしめて祭りへと繰り出す。限られた金額で、如何に贅沢をするか。子供達にとっては非常に悩ましく、そして楽しい問題だった。


「聞いたんだけどさ」


 アンテラの横に座ったスヴェイが興奮気味に口を開いた。

 座る場所が無くなってしまったミゲルは仕方なく立ったまま話を聞く。


「今年はリットが昼間から店を開けるんだって」

「酒場じゃ俺たちには関係ないじゃないか」

「だから、昼間は子供も入っていいんだって。勿論お酒は頼めないけど」


 魅力的な情報にミゲルはアンテラと共に目を見開いた。


「あの店に入れるってこと?」

「そう。あそこって親と行くのも禁止でしょ。でも祭りの日は堂々と入れるんだよ」


 得意気にスヴェイは続ける。


「これね、確かな情報なんだよ。あの店で働いてるアーリィさんがいるでしょ。あの人が店に来た時に話してたんだから」

「で、でもさ」


 アンテラが興奮気味に体を乗り出す。


「何かは頼まないといけないんだろ? 俺たちの小遣いで足りるのかな」

「ミルクぐらいなら大した値段じゃないんじゃないの?」

「あの店は高いって父ちゃんも言ってるぞ」


 その言葉にスヴェイも不安そうな表情に変わった。

 酒屋と名の付く店や、酒を出す店はいくつもあるが、その中でも広場にあるリットは老舗中の老舗だった。その辺の店の扉が板きれに見えるような立派な扉。美しい彫刻が施された看板。それに何よりも店の格を上げているのは店の前の敷石に刻まれた「聖言」だった。かつての僧正陛下が足を運び、薬草を浮かべた水を飲んで喉を潤したという史実。それを保障する内容が刻まれている。

 そんな店で出される物が、例え酒でないとしても安価である訳はない。


「ミゲルはどう思う?」


 アンテラに尋ねられたミゲルは、少し考え込んでから呻くような声を出した。


「多分、その辺のミルクよりは高いだろうね。リットも祭りだからって安物を出すわけないだろうし」

「だよな。流石にリットで飲みたいから小遣いをもっとくれ、なんて言えないし。いつかの父ちゃんの二の舞だ」


 残念そうにアンテラが言う。

 しかしミゲルは更に言葉を続けた。


「でも向こうだって子供相手に高い値段を出したりしないと思うよ。ちょっと高いけど払えないことは無い、ぐらいの値段にするんじゃないかな」

「それってどのぐらい?」

「えーっと……普通のミルクの二倍ぐらいとか」


 特に確証があるわけではないが、具体的なその言葉は友人二人をその気にさせるには十分だった。


「それならいけるかもな」

「マリトーの串焼きチーズを我慢すればいいんだもんね」

「あれは最悪、酔っ払った父ちゃんに頼めば買ってくれるからな。リットに入れるほうがよっぽど価値がある」


 盛り上がる二人の傍らで、ミゲルはレンのことを思い浮かべた。

 レンを誘ったら来てくれるだろうか。聖花祭のことを話した時に「母親に連れて行ってもらう」と言っていたが、母親とてまだこの辺りには不慣れな筈だった。ミゲルは生まれも育ちもこの街だし、祭りのことも子供ながらに理解をしている。レンを案内するには十分すぎるほどだと自負をしていた。

 スヴェイやアンテラにも紹介する良い機会かもしれない。二人とも大事な友達だし、レンのことも気に入ってくれる。子供らしい純真さで、ミゲルはそう確信した。そして、その考えを二人に向かって話そうと口を開いたが、スヴェイの声に遮られてしまった。


「最近、川の上流に住み着いた人たちのこと知ってる?」

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