6.異端または奇跡
「何だ、驚くかと思ったのに。ラミー様のこと知ってたの?」
「いや、そういうわけじゃない。その神託というのは何だったんだ?」
「マクヌーヤ様に不治の病が現れる、って内容だったらしいよ。聞いたのはうちの司祭様を含めて十名ほどだったけど、当然ながら誰も信じなかった。マクヌーヤ様はこれまで祭事を欠席したこともないし、朝から晩まで常に教会にいらっしゃることで有名だったからね。病気どころか咳の一つもしないような人が不治の病なんて、冗談にしたっておかしすぎる」
「でも実際、マクヌーヤ様は病気になられた」
「翌日、朝のお祈りを捧げている時に倒れたんだ。驚いたのは神託を聞いていた司祭達だよ。神託の内容が的中したこともそうだけど、病に倒れたマクヌーヤ様をどうやってお救いすればいいかわからない。医師が呼ばれたけど、殆どお手上げ状態でね。でも新しい司祭長のレン様は、献身的に看病をした」
「それで回復したのか」
「完治はしなかったけど、一時期は呼吸すら満足に出来なかったのが、ベッドの上に起き上がって食事を取れるぐらいには回復した。マクヌーヤ様はとても感激なさってね。見舞いに訪れた僧正陛下に、次の司祭長をレン様にするように進言したんだよ」
レンが司祭長になった経緯は、それでなんとなく理解出来た。だが、いくら献身的に看病をしてもらったからといって、すぐに司祭長になるのは不自然である。ましてその時、マクヌーヤは病み上がりで、精神的に弱っていた可能性も捨てきれない。僧正陛下であれば、それも思いやったうえで冷静な判断をする筈だとミゲルは考えていた。
「わかるよ」
考えが顔に出ていたのだろう。スヴェイが大きく頷いた。
「わかる。とてもよくわかる。レン様が何故、司祭長になったのかってことだよね?」
「いや、俺はただ」
「レン様は奇跡を起こしたんだ」
スヴェイは口角を持ち上げながら言った。ミゲルはカディルが「彼らの力は本物だ」と
言っていたことを思い出す。あの時は単にラミーの神託のことを示しているのかと思っていた。
「奇跡?」
「そう、奇跡。レン様はね、人の怪我や病を治すことの出来る手をお持ちなんだ」
頭を思い切り殴られたかのような衝撃がミゲルを襲った。グラスを持っていた手が震えるのを隠すようにカウンターの下へ移動する。目の前で話をしているスヴェイと、十年前のスヴェイの姿が重なった。
「マクヌーヤ様のご病気も、カディル陛下の膝の痛みも、その手で治してしまったんだってさ。凄い話だろ? だから陛下も、レン様は女神が使わした聖人に違いないってことで司祭長に任命したんだよ」
十年前の噂話の詳細を、スヴェイはすっかり忘れているようだった。恐らく、噂話をしたことと、処刑が行われたことだけが記憶に残っているのだろう。
人の怪我を手で癒やした。あの時、スヴェイはそれを「気味が悪い」と言って、異端視していた。それは明確に覚えている。なのに今は、それを敬うような態度を見せている。それこそ気味が悪いほどの転身だった。
それを指摘しようとして口を開いたミゲルは、しかし自分の口の中の水分が殆ど失われていることに気付いた。どうにか震えの収まった手でグラスを再び手に取り、中身を傾ける。殆ど味などしなかったが、それにより少し気持ちが落ち着いた。
「それは……凄いことだな」
「そうでしょ? 他にも色んな人が傷を癒やしてもらったそうだよ」
もしスヴェイに十年前のことを思い出させたら、レンが生き残りだとわかってしまうかもしれない。噂好きな友人は、すぐにそれを周囲に言いふらすだろう。下手をすれば、レンが処刑されてしまうかもしれない。あの時、ミゲルの些細な嘘がレンの家族を殺したように。
「巫女は結局、ずっと中央教会にいるのか?」
「司祭長の身の回りのお世話をするためにね。まさかもう帰れなんて言う人はいないよ。ラミー様のおかげで助かった人間は大勢いるんだからね」
「助かった人間?」
「あ、そうか。それも説明しなきゃね。なんだか僕、観光所の案内人にでもなった気分だよ。皆様、こちらが奇跡を起こす司祭長、こちらが神託を受ける巫女でございます、ってね」
軽口を叩きながら、しかしそのことを話すのが楽しくて仕方ないといった表情でスヴェイは続けた。
「ラミー様は他にもいくつもの神託を受けていて、それを僕たちみたいな庶民にも教えてくださるんだ。少し前にファーティ川が洪水を起こしてね。雨が多かったわけでもないのに突然あふれ出したんだ。ラミー様が事前に教えてくださらなかったら、川沿いに住んでいる人たちの命が危なかったと思うよ」
「だから様付けで呼んでいるってことか」
「そういうこと。洪水のことだけじゃない。風邪が流行り出すことや、大雨が降ること、そういったことまで教えてくださるんだからね。今じゃラミー様が街を歩くだけで、どこもかしこも祝福の嵐だよ」
神託と、癒やしの力。どちらもまるでお伽噺の世界だった。だが、少なくとも後者については若干の信憑性があった。無論、十年前の噂話の内容と一致しているためである。レン達は元々そういう力を持っていた一族だったのかもしれない。その力を知られないように、定住せずに転々としていたとも考えられる。
「……そういう力を」
ミゲルは視線をカウンターの木目に注いだまま口を開いた。
「怖がるというか……そういう人もいると思うんだけど」
「もしいたとしても口にはしないだろうねぇ。最初の頃は兎も角として、今じゃお二人はこの国にとってなくてはならない存在だし。うっかりそんなこと言おうものなら、次の瞬間には袋叩きだよ」
快活に笑う友人の横で、ミゲルは作り物の笑みを浮かべる。十年前も、レン達がミラスマ教徒であれば、聖人のような扱いを受けていたのかも知れない。だが余所者であった彼らは聖人どころか異教徒にも劣る存在として処刑されてしまった。
理不尽だ、と口に出したかった。だがそれを必死に笑顔の奥に閉じ込める。半年前と変わってしまった故郷。離れていたのはたった半年なのに、ミゲルは自分が異邦人のように感じていた。今の自分の想いを吐露したところで、誰も同意はしてくれない。そんな予感がしていた。
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