25.一夜明けて

 輔祭だった仕立屋が死刑の危機に瀕している。それは神託から一夜明けた街では格好の話のネタとなっていた。それでも話の中に誇張や推測が混じらないのは、仕立屋の「悪癖」がそもそもの原因であることを皆知っているためだった。自分たちまで同じ轍を踏むわけにはいかない。そう考えているのだろう。だから平素は噂話で盛り上がるようなパン屋の店先なども人の影はなく、外に出た子供達が少しでもその話題を口にしようものなら周りの大人達が慌てて家に連れ帰る始末だった。


「それでも話をしたいってんだから、病気だな」


 辛辣に言い切ったのは副団長のリューミルだった。詰所のほぼ中央に置かれたテーブルの上に腰を下ろし、脛当てに付着した泥をナイフの背で削ぎ落としながら、誰にも視線を合わせることなく続ける。


「結局不安なんだろう。黙っていた方がいいとわかっていても、昨日の今日で全く話題にしないのは不自然だしな。それに誰かと話すことが出来れば、少なくともその相手とは共犯になれる。いや、何もしないうちに共犯ってのはおかしいが、まぁそういうことだ」


 泥が床に落ちる音が時折混じる。昨日、広場の門のところにずっと立っていたリューミルは、今日は流石にその役目を免除されていた。かといってそこで怠けるような男ではない。朝、教会に来てから昼近くになるまで、リューミルはずっとそのテーブルの上で武器や装備の手入れを行っていた。


「しかしあの仕立屋には皆感謝をすべきだな。無責任な言葉が娯楽ではなく罪になることにもなると、皆に教えてくれたんだから。そういえば家族はどうなったんだ?」


 リューミルが手を止めて顔を上げる。視線の先にいたミゲルは、落ち着いた態度を崩さないように努力しながら口を開いた。


「彼も含めて、全員教会の地下に。窃盗について家族にも確認しないといけないとのことだ」

「まぁそうだろうな。家族だけ返したところで、また何か問題が起きないとも限らない。しかし哀れなのはあの老婆だよ。かなりの年じゃないか?」

「七十に届くかと」

「可哀想に。俺に賄賂を渡そうとしたことはまだ許せないが、それでもあの年で牢屋に閉じ込められるなんてゾッとしない」

「牢屋なんて言い方はやめろ」


 ミゲルは少し強い口調で言った。

 教会は罪人を裁くが、その裁きが下るまでの間、罪人を教会内に留めておく必要がある。そのために使われるのは教会の地下にある「懺悔の間」で、そこには外から鍵がかかる部屋がいくつも並んでいた。部屋は石畳と石の壁、質素なベッドが一つ、あとは用を足すための穴があるだけで、お情け程度に付けられた天井近くの窓には鉄格子が嵌まっている。一応は懺悔をするための部屋とされているが、誰がどう見てもそれは牢屋でしかなかった。ミゲルもそう思っているが、しかし今だけは牢屋とは言いたくなかった。


「牢屋だよ」


 ミゲルの内心を知ってか知らずか、リュミールは冷たく言い放つ。


「アンテラも言ってたよ、冷たい暗い牢屋だってな」


 その名前にミゲルは唾を飲み込んだ。今朝から姿を見ていない。周りの話を聞く限りミゲルより早く教会に来たようだが、すぐに詰所から出て行って戻ってこないとのことだった。

 だがミゲルには、大体の居場所は予想がついていた。スヴェイの扱いに憤慨し、その身を心配していたアンテラ。恐らく地下にいるのだろう。少しでも長く友人に寄り添えるように。


「団長殿」


 リューミルが鋭い声でミゲルを呼んだ。


「あいつが妙な気を起こさないように気をつけた方がいい」

「妙な、というと?」

「幼なじみなんだろう、あの仕立屋は。まぁつまり三人ともってことになるが」


 脛当ての泥をあらかた払い落としたリュミールは、ナイフを服の裾で拭いながら言った。


「確かにスヴェイは俺たちの幼なじみだが、俺は」

「団長殿の話じゃない。アンテラの話だ。幼なじみのお前のほうがわかってると思うが、あいつには冷静さがない。それだけならいいが、自分で正しい道を選ぶのすら困難と来てる」

「その表現はアンテラに失礼です」


 思わず年上に対する口調に戻ってしまったミゲルだったが、相手はそれを指摘しなかった。


「失礼だからなんだ? 俺はあいつの母親じゃないぞ。欠点に目を瞑り、長所を褒めながら頭を撫でるなんて馬鹿げてる。お前も騎士団長なら隊員に対して平等な評価を持て。幼なじみだからと言って変な温情を持つな」

「そんなつもりはありません。アンテラは確かに冷静さはありませんが、自分で自分の道を選ぶだけの分別はあるはずです」

「その道が間違ってるって話をしてるんだ。生まれたての赤ん坊にペンか金貨か馬蹄のどれかを選ばせて将来を占うってのが余所の国にはあるらしいが、あいつに立ち会わせたら赤ん坊のために勝手に金を握らせるだろうな」


 ミゲルにはリューミルの言いたいことが何となく理解出来た。アンテラは一定以上の良識を持ち、それに従って動くことの出来る人間であるが、それ以上に自分の喜怒哀楽に流されやすい。感情を優先することは決して間違いではないが、アンテラの場合はそれゆえに視野が狭くなってしまう。

 しかし今まではスヴェイのおかげである程度の制御は出来ていた。感情任せのアンテラと無責任なスヴェイという組み合わせは、互いにとって非常に有効だった。片方が何か言えば、もう片方は真逆の方向から意見する。片方が行動すれば、もう片方はその行動を否定する。そうして今まで彼らは道を踏み外さずに済んでいた。

 スヴェイの悪癖とて、アンテラが傍にいれば抑えられたはずである。ミゲルたちが遠征に行っている半年間、スヴェイの無責任な噂話を咎める人間はいなかった。だからスヴェイは加減を忘れてしまった。


「俺はアンテラのことを馬鹿にしたくて言っているんじゃない。寧ろ逆だ。あいつの人格を認めているからこそ忠告をしている。どちらかと言えばあいつを軽んじているのはお前だよ、ミゲル」

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