26.懺悔の間
その言葉にミゲルは胸の辺りを棍棒で殴られたような衝撃を受けた。唖然としているミゲルに対して、リューミルは一度大きく溜息をついた。
「俺はアンテラを心配しているし、あいつを制御出来るのはお前だと思っているから話をしているんだ。それを失礼だのなんだの」
「しかし、実際に彼の尊厳を傷つけています」
「尊厳? 尊厳か」
リューミルはテーブルから降りると、ナイフを持ったままミゲルの傍まで歩み寄った。
「欠点から目を逸らすのが尊厳だと思っているなら、お前は心底あいつを見下してる」
「そんなつもりはありません」
「お前はアンテラが何もしやしないと思っているんだろうが、それは信頼じゃない。何も出来ないと思っているだけだ」
貫くような言葉だった。ミゲルは何も返せずに黙り込む。相手の言い分をそのまま受け入れたわけではない。ミゲルは決して友人を見下してなどいない。ただ、今の状況から少しでも目を逸らしたかっただけである。地下に放り込まれたスヴェイのことも、それに憤っているであろうアンテラのことも。
自分が騎士団長という身分でなければ、なりふり構わずに友人たちを止めるか諫めるか、あるいは司祭の足元に傅いて慈悲を求めただろう。だが、父親のような騎士団長になるという幼い頃からの志がそれを邪魔してしまっていた。あれほどまでに憧れていた今の地位は、まるで手足を縛る鎖のようだった。
「だったらどうしろと?」
随分長い沈黙の後にミゲルが言うと、リューミルは呆れたように眉尻を下げた。
「どうするも何もないだろう。さっきも言ったが、俺は母親じゃない」
「自分で決めろと」
「それ以外何がある? 何も起こらないのが一番だが、起こったときに後悔しても遅いからな」
ミゲルは椅子から立ち上がると、リューミルに一礼をした。そして壁に立てかけていた剣を腰に提げ、詰所の外に出る。そしてそのまま、脇目も振らずに地下に続く階段へと向かった。
地下には懺悔の間の他にも祭事に使う道具をしまう倉庫などがあるが、それらは普段は堅く閉ざされているため、訪れた者を拒むかのような雰囲気に満ちている。懺悔の間も使用者がいない時には閉ざされているが、今はその扉は大きく開かれていて、中に並んだ小部屋を確認することが出来た。どこかカビ臭い空間にミゲルは足を踏み入れる。懺悔の間は中央に大きな通路があり、その左右に部屋が並んでいるだけである。身を隠す場所などどこにもない。通路の中央付近にアンテラが立っているのを見つけたミゲルは、まずは少しだけ安堵した。
「アンテラ」
名前を呼ぶと、アンテラはゆっくりと振り返った。昨日と比べるといささか疲れているように見えた。しかしミゲルの顔を確認すると口元に小さな笑みを浮かべる。
「悪いな、報告もしないで此処にいて」
「いや、そんなことはどうでもいい。今更だ」
「それもそうだ」
並んだ部屋には厚い木の扉がついていて、格子のついたのぞき窓と食べ物などを差し入れるための穴が開いていた。ミゲルはアンテラが見つめていた扉へ視線を向ける。暗い部屋の中、ベッドに座って俯いているスヴェイが見えた。他の部屋も概ね同じような状態だろう。ミゲルはそれを全て見る気力はなかった。
「スヴェイ。平気か?」
馬鹿げた問いだったが、スヴェイはそれでも顔を上げて首を左右に振った。そして、それだけでは不十分だとでも思ったのか、わざわざベッドから立ち上がると扉の傍まで来て、くすんだ金髪に相応しい青白い顔をミゲルに見せた。
「平気とは言いがたいね。昨日も今日も、司祭様に尋問を受けているんだから」
「それは放火のことか? それとも窃盗?」
「どっちもだよ。アンテラにも話したけど、僕は絶対にそんなことしてない。本の価値なんかわからないし、どこで売ればいいのかも知らないんだから」
「わかってる。俺だってお前がそんなことをするとは思ってない」
ミゲルは宥めるように言った。しかしスヴェイは格子の間から覗く唇を歪める。
「でも司祭様たちは思ってる。僕がやったことは噂話だけなんだ。それが罪になるなんて思わなかったけど、本当にそれだけなんだよ。なんでうちの店から本なんか出てきたのかわからない」
「そのことなんだが」
ミゲルはなるべく相手を刺激しないように努めながら口を開いた。
「お前でも家族でもないとしたら、誰かが家に本を隠した可能性もあると思う。心当たりはないか?」
「誰かが僕を陥れるために本を隠したってこと?」
「可能性の一つだ。まさか勝手に本が歩いて行ったわけでもないだろう」
「それは傑作だね」
スヴェイは全くそう思っていないとわかる冷淡な表情で言った。
「数日前だったら、僕は胸を張って心当たりなんかない、って言えたんだろうけど。今はあまり自信がないな。僕の……その、悪い癖で気分を害した人がいるかもしれないし」
「その程度で人の家に放火までするか?」
横から口を挟んだのはアンテラだった。
「そんなことまでしなくても、いくらだって方法はあるだろ。逆に言えばクイルタ司祭の家にウサギの死体でも投げ込んで、それをお前の仕業に見せかけるだけだって十分な嫌がらせになるんだし」
「確かにそれはそうなんだが」
尤もな反論にミゲルは眉を寄せた。どんなに可能性を論じても、行き着くべき結論に辿り着かない。それは恐らく放火ならびに窃盗が、流言という罪に全く釣り合わないためだった。例えば放火と窃盗であれば同等の罪になる。窃盗された仕返しに放火をする。これなら理解出来る。だが流言という罪になるかどうかも曖昧なものに対して放火や窃盗をするのか。放火も窃盗も流言も一人の罪であるほうがまだ納得出来る。それが司祭たちの考えだろう。ミゲルとて犯人とされているのが友人でなければ、同じ結論に飛びついたに違いない。
「このまま誰も信じてくれなかったら」
スヴェイが暗い口調で言った。
「死刑になるのかな、僕」
「そんなことはさせない」
殆ど反射的にミゲルは返した。すぐ隣でアンテラも大きく頷く。
「お前が火をつけて盗んだという証拠はないんだ。クイルタ司祭だって今は腹を立てていらっしゃるが、冷静になれば取り下げていただけるかもしれない。だからあまり悲観するな」
「そうだな。スヴェイが輔祭として真面目に働いていたのは、誰よりも司祭が知っている。お前が盗みなんかする人間じゃないって思い出してくれるさ」
「そうだといいけど」
すっかり意気消沈している友人を前に、ミゲルはどう励ましたらいいか考える。そうして思いついたのは、昨日と全く同じだった。
「司祭長に掛け合ってくる」
それしか思いつかない自分に内心で歯噛みしながら、しかしそれ以上の良策が見つからなかった。騎士団長である自分には、頼るべき上役がいない。かといって司祭全員を相手に弁論を振るったり、まして僧正陛下に直接話をしにいく資格はない。となればやはり頼れるのはレンしかいなかった。
「この件を預かり、陛下に報告したのは司祭長だ。彼を説得出来れば、陛下に口を利いてくださるかもしれない」
それが精一杯の励ましだったが、格子の向こうでスヴェイは皮肉っぽい笑顔を浮かべる。期待半分、猜疑半分といったところだろう。昨日のことを考えれば無理もない反応だった。上手くいく保障なんてどこにもないのに、それに縋らなければいけない絶望感。それはミゲルにも十分理解出来た。
「アンテラは此処にいてくれ。くれぐれも勝手に行動したりするなよ」
「なんだそれ」
アンテラはミゲルの言葉を軽く笑い飛ばした。
「大丈夫だ。スヴェイを此処に置き去りになんてしない。大事な……友達だからな」
照れたように笑いながら言ったアンテラに、ミゲルもつられて微笑む。スヴェイはそんな二人を、きょとんとした顔で見つめていた。
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