27.籠の中の甘味

「騎士団長様」


 レンを探して二階まで昇ってきたミゲルを呼び止めたのは、神託の巫女だった。天井から降り注ぐ陽の光のためにいつもより白さが際立って見えた。両腕に平たい籠を抱えていて、その上には焼き菓子や果物が並んでいる。甘酸っぱい匂いが廊下に広がっていた。


「……司祭長を探しているんだが」

「レン様でしたら、お部屋にはいらっしゃいませんよ」


 柔らかな笑顔を見て、ミゲルは心がざわつくのを感じた。あの神託さえなければ、とアンテラのような考えが浮かぶ。元はと言えば神託が全てを引き起こしたのに、ラミーはそれを気にしていないように見えた。


「何か御用ですか?」

「用も無いのに探したりはしない」


 思わず冷たい言い方をしてしまったミゲルだったが、ラミーは全く気にしていないようだった。寧ろ可笑しそうに含み笑いをする。


「そうですわね。私ったら変なことを言いました」

「いや、すまない。少し焦っていたもので」

「騎士団長様が謝ることなどございません。仕立屋の方のことで?」


 ラミーが赤い目を細めながら問う。


「レン様も気にしていらっしゃいます。このお菓子も仕立屋のご家族に差し入れるようにと」


 籠が少し持ち上げられる。匂いが一層強くなった。教会で作られる菓子は本来は参列者に対して特別な日に配られる。小麦粉と牛乳で作られる簡素なものだが、形によって意味合いが変わる。籠の中に並べられているのは百合の花を模したもので、「幸あれ」という意味を持っていた。


「形は、貴女が?」

「本当は救済の意味を持つ小鳥の形も作りたかったのですが、あまり器用ではないので」


 よく見るとラミーの指には薄く火傷の痕が出来ていた。器用でないというのは本当なのだろう。それを見てミゲルは、先ほど自分の中に浮かんだ考えを恥じた。


「私にはこんなことしか出来ませんから」


 ラミーは悲しそうに目を伏せた。白い睫毛の隙間から虹彩の赤色が鮮明に浮かぶ。


「神託を信じて貰いたい、レン様のお役に立ちたい。私にはそれしかないのです」

「そんなことは」


 ミゲルはそう言いかけたが、昨日の朝のことが頭を過った。それと同時に、殆ど無意識に言葉を切り替えていた。


「……貴女は、俺に神託を信じて欲しいのか?」

「え?」


 ラミーが不思議そうに首を傾げた。ミゲルの言葉の意味が咄嗟には理解出来なかったのだろう。すぐにその頬が、首が、赤く染まっていって、最後には恥ずかしそうに唇を噛んだ。


「お聞きになったのですね」

「盗み聞きをしたわけじゃない。そこは信じてくれ」

「はい、それは勿論」


 籠を握る指の関節が強く浮かび上がる。


「信じて貰う、というのがあまりに傲慢な考えであることはわかっています。ですがレン様がそう望まれた以上は叶えなくては」

「何故」

「神への信仰以上に、私にとってのレン様は重要だからです」


 紅潮した頬が口の動きに合わせて揺れる。


「神よりも大事だと? 貴女にとって司祭長はどういう存在なんだ?」

「私はレン様に命を救って頂いたのです。あの御力で」


 癒やす能力のことを言っているのだろう。命の恩人としてレンを慕い、それゆえにその命令に従う。確かにあり得そうな話ではあるが、ミゲルはそれをすぐには信じなかった。


「それはいつ頃の話か聞いても?」

「六年前ですから、十歳の時です」


 ミゲルはその言葉で初めてラミーの年齢を知った。最初に会ったときに十代半ばだと想定したが、概ねその通りだったと言える。


「不幸な事故に巻き込まれて母と父は亡くなり、私も怪我を負いました。冷たい雨に晒されながら、自分の血が流れていく音を聞いていました。それも段々聞こえなくなってきた時に、誰かが私の体を持ち上げました。死んでしまったのかなと思って、その瞬間に意識を失いました。でも違いました。次に目を覚ました時に見たのは心配そうに私を見ているレン様でした」

「司祭長が貴女の怪我を治した?」

「はい。今私がこうして神託を受け取ることが出来るのも、神に仕える事が出来るのも、全てはレン様のおかげです」

「……だから司祭長の命令で、俺に神託を信じさせようとしている。そこに貴女の意志はない。そうだろう」


 意地の悪い聞き方だとわかってはいたが、他に上手い言い回しが思いつかなかった。ラミーの顔からは赤色がいつの間にか失われていて、元の真っ白な肌に戻っている。


「私はレン様の命令には従います。だからそこに意志がないと言われたら、そうなんでしょう」


 思いの外あっさりとラミーは認めた。だが声や態度に指摘されたことによる戸惑いや怒りといった感情はない。寧ろミゲルの指摘を心地よく受け止めているようだった。


「でもそれはレン様のことを信じているからです。レン様は騎士団長にどうしても神託を信じて欲しいと望んでいます。というより、私たちを信じて欲しいと」

「それは何故だ」

「レン様にとってミゲル様は何よりも大切な存在だからです」


 ミゲルは言葉を失った。それは一体どういう意味なのか。友人としてか。騎士団長と司祭長という関係故か。あるいは。

 指輪を嵌めてやった時のことを不意に思い出す。華奢な指と嬉しそうな笑顔。あの時、確かにそれはミゲルだけのものだった。


「大切というのは……」


 どういう意味か。そう問い直そうとした時に、誰かが階段を駆け上ってくる音が聞こえた。ミゲルがそちらに視線を向けると、その誰かが二階に踏み込んだのが見えた。途端にミゲルは血の気が引くのを感じた。そこにいたのが例え魔物だったとしても、これほどまでには驚かなかっただろう。赤茶色の髪に騎士装束の男は、紛れもなく先ほどまで地下にいたはずの友人だった。その右手には抜き身の剣が握られていて、それが陽光を反射していた。

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