23.盗人の告発
ミゲルは一瞬、自分の体の中の血や空気が全て失われたかのように感じた。それが収まると、今度は耳元で何かを激しく打ち鳴らすような音が襲ってきた。何の音か最初はわからなかったが、自分の吐く息の音がそれに混じったことで、心臓が早鐘を打つ音だと気付く。
「これが仕立屋の家にあったんですよ。司祭長、神託における「悪しき風」と「寄り添う神」というのは、まさにこのことであったと私は主張いたします」
広場にどよめきが走る。突然の出来事に、何が何だかわからないような顔をしている物が大半であったが、辛うじて理解出来た者が近くにいる者に伝え、それが一気に広がっていった。
「仕立屋の家に失われた書物があった。確認ですが、貴方が預けたわけではないのですよね?」
「司祭にならともかく、輔祭に預けたりするものですか」
クイルタは吐き捨てるように言った。
「全く騙されましたよ。いかにも善良な振りをして、人の家に火を放ち、それだけでは飽き足らずに本まで盗み出した。いや、逆かもしれませんがね。兎に角そういうことですよ」
「仕立屋の彼が、貴方の家に火を点けたと?」
レンが再び問う。その横顔は真剣だった。何かを必死に考えながら喋っているようにミゲルには感じ取れた。今から救おうとしていた仕立屋が更なる窮地に立たされたことに対する混乱か、それともどうにかしてその窮地を切り抜けようとしているのか。恐らく後者だろうとミゲルは考える。レンの表情からは諦めや失望などは見受けられない。
「それは確かなのですか、クイルタ司祭」
「確かですとも。いいですか、司祭長。火は書斎に放たれたのです。そして本も書斎にあった。ご覧ください、この本には焦げた後の一つすらもない」
高く掲げた本の表紙を手で叩き、クイルタは主張する。
「ただの火事場泥棒であれば本は黒焦げ、よくて煤まみれでしょう。しかしこの本が無事ということは火を点ける前に盗み出したことを意味するんですよ。そして彼は仕事柄、この本が何処にあるのかもよく知っていた」
「ですが……他の誰かが火を点けて盗み出したものを彼が手に入れた可能性もあるのでは?」
「なるほど、司祭長の仰ることも尤もです」
クイルタはその質問を予想していたとばかりに胸を張った。
「しかしですね。火を点けた盗人が他にいるならば、その人間はなぜ本だけを盗み出したのでしょうね。あまつそれを私の輔祭である男に売りつけ、そして彼は私に一言もそんなことを言わなかった。もうこれで何もかも十分ではありませんか」
興奮とともにまくし立てられる言葉にレンは気圧されたように黙り込む。ミゲルはそれを見て、思わず壇上に駆け上がった。
「クイルタ司祭」
突然の乱入者に対して、クイルタは面倒そうな顔をした。その表情は騎士が口を挟んだことへの不快も混じっていたが、それでも司祭としての誇りがそうさせるのか、口調だけは穏やかに返す。
「何ですか、騎士団長殿」
「スヴェイ……仕立屋が盗み出したという主張は理解しました。しかし誰かが彼の家に放り込んだ可能性はないのでしょうか。それこそ今日の暴動に乗じて」
「なるほど。確かに私はこの本を、店舗となっている場所で見つけました。窓から放り込めないこともない位置です。しかし、だとしたらその人間は神託により暴動が起きるのを予想していたことになりますな」
「……その人間が暴動を起こした可能性は?」
苦し紛れのミゲルの反論に、クイルタは呆れたような溜息をついた。
「騎士団長殿は随分賢いようだ。私のような凡人の考えを真っ向から否定なさる」
「そんなつもりは」
「それではその賢さを頼って質問しましょう。その人間は、どうして苦労して盗み出した本を投げ捨てる真似をしたのですか」
ミゲルは言葉を飲み込んだ。単純に考えるのであれば、その誰かがスヴェイに罪を被せようとしたと言えるだろう。だが最初から本が盗まれていたとわかっていたならまだしも、今日の今まで本は焼失したと思われていた。そんな状態でわざわざ誰かに罪を被せようとするだろうか。可能性としては非常に低い。そしてそのために暴動を起こしたとするなら、常軌を逸している。
何も言えずにいる騎士に対して司祭は嫌味にならない程度に笑みを浮かべた。
「ご意見はないようだ。司祭長もよろしいですかな」
「よろしい、とは?」
レンが静かに問い返す。もう反論できる材料は尽きてしまったと、その青白くなった顔が語っていた。
「罪人の処罰ですよ」
処罰、とレンの赤い唇が声も無く呟く。
「司祭である私の家に放火し、高価な書物を盗みだし、あまつさえ神託について無責任な流言を流した。それも私の名前を使って。これを大罪と言わずになんと言いますか」
「……流言はまだしも、放火と窃盗では軽刑では済まないでしょうね」
「えぇ、それが同時に行われたとなれば尚更です。慣例に従えば……死罪でしょうな」
また広場がどよめいた。先ほどよりも更に大きく長いものだったため、空気全体が何かによって揺さぶられたかのように感じられた。その反応に満足したようにクイルタが頷く。
「罪は裁かれるべきです。司祭長、異論がありますか?」
ミゲルは今すぐにでも大声を上げてクイルタに掴みかかりたいのを、なんとか抑えながら成り行きを見守っていた。今自分がそんなことをすれば、余計にスヴェイの立場を悪くしてしまう。
祈るように、願うように、ミゲルはレンを見た。レンはミゲルの方には一瞥すらくれぬまま考え込んでいたが、やがて短く息を吐いてから口を開いた。
「異論を述べるには、まだ早いと思います」
「……何ですと?」
クイルタが不愉快を露わに聞き返す。しかしレンはそれには取り合わずに静かに続けた。
「まだ彼の言い分を聞いていません。そして、死罪かどうかは僧正陛下がお決めになることです。私たちではない」
そうでしょう、とレンが確認するように言う。クイルタは反論しなかった。この国において死罪は最も重い。それゆえに執行にあたっては僧正陛下の決定を要する。いくら此処で司祭や騎士が喚き立てたところで、その仕組みが覆るわけではなかった。
「この件は、私から陛下に伝えます。勿論、貴方が受けたいくつもの不幸や嘆きも一つ残らず報告しましょう。それでいかがですか」
「……結構ですな。陛下の決定であれば、死罪だろうと追放罪だろうと、異論は挟みませんよ」
クイルタは思ったよりもあっさりと引き下がった。此処に乗り込んできた時より、怒りが鎮まってきたのかもしれない。ミゲルはそれに少し安心したが、かといってスヴェイにかかった嫌疑が晴れるわけでないこともわかっていた。
「それと騎士団長殿」
思い悩んでいるミゲルに、クイルタが冷たい声を掛ける。
「いつまでそこに立っているんです。貴方の仕事は護衛でしょう。壇上に登り、持論を垂れ流すことではない」
「……仰るとおりです」
頭を下げたミゲルを押しのけるようにして、クイルタは壇上から去って行く。その姿はすぐに見えなくなったが、ミゲルは頭を上げなかった。上げたら、まだクイルタがそこにいるような気がしたためである。そのまま暫く経った頃、人々のざわめきに混じってレンの声が小さく呟くのが聞こえた。
「どうしようかな」
それがスヴェイの事を指しているのか、それとも収拾がつかなくなった広場の人々の事を指しているのか、ミゲルには判断出来なかった。ざわめきは留まるところを知らず、いつまでもそこに在り続けた。
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