11.幼馴染たち

 窓に雨が打ち付ける音がする。ミゲルはグラスの中の酒を少しだけ口に含んだ。初めて酒を口にしたのは騎士になった時だ。父親がとっておきの酒を出して祝ってくれた。いつも厳格な父親が、まるで子供のようにはしゃいでいたのを見たのはあれが初めてだったかもしれない。騎士団長の任命を受けた時にも喜んではくれたが、あの時ほどではなかった。父親は上機嫌で酒を飲みながらミゲルに言った。酒は悪いものではない。ただ、酒を飲むために仕事をしたり、酒を褒美にして仕事をすべきではない、と。そのためミゲルは十日に一度だけ、慣習として酒を飲んでいる。父親が好きな銘柄を選び続けているのは、ミゲルがあまりそういった「冒険」を好まないからだった。


「これうまいなぁ」


 テーブルの向かい側に座ったアンテラは、そういう意味でミゲルとは真逆だった。肉屋の息子として育った男は、パンでも菓子でも酒でも、兎に角美味いものを求める。飲食店で食事をする時には、前と同じものは極力頼まないというポリシーがあるらしく、メニューと睨み合っていることも多い。

 今も初めて頼んだという赤みがかった酒を飲んで、お気に入りの青カビチーズを口に含んだところだった。


「ミゲルもどうだ?」

「遠慮しておくよ」

「相変わらずだな。まぁ騎士団長様が酒に溺れたら洒落にならないし、いいと思うぜ」

「別に同じ銘柄だけ飲んでいたら酔わないわけでもないだろう?」


 そう言いながら、青カビチーズには手を伸ばす。遠征の時に初めて口にした代物だが、癖が強いまろやかな風味はミゲルの味覚によく合った。


「このチーズは?」

「タリ地方の洞窟で作られてるチーズだってさ。多分これ、クラッカーにも合うと思うんだよな」


 アンテラがそう言うのと同時に、テーブルの上にクラッカーを乗せた皿が置かれた。


「多分そうだろうと思って持ってきたよ」

「流石は輔祭殿。気が利くねぇ」


 からかうようなアンテラの言葉に、スヴェイは鼻を啜った。そして二人の間に腰を下ろす。幼馴染の三人がこうして顔を合わせるのは久しぶりのことだった。


「ミゲルは最近は少し落ち着いたの?」


 薬草の入った水を飲みながらスヴェイが訊ねる。ミゲルが答えようとすると、アンテラが横から言葉を掠っていった。


「騎士団長就任から半月経ったからな。毎日毎日、団長の引き継ぎとやらで引っ張り回されて忙しそうだったけど、漸く最近じゃ詰所にいてくれるようになってな。このままじゃ俺たち、ミゲルの顔を忘れるところだったよ」

「大袈裟な……。空いた時間にはちゃんと戻っていただろう?」

「いやいや、殆どいないようなもんだって」


 クラッカーを手にしたアンテラはチーズをその上に丁寧に乗せる。そしてまとめて口に入れると、何度か咀嚼してから顔を輝かせた。


「やっぱり最高に合うぜ、これ。二人も食ってみろよ」

「僕、あんまりチーズ好きじゃないんだけどなぁ」


 スヴェイは眉を寄せながらも、友人への礼儀としてかクラッカーを取る。そして申し訳程度にチーズを擦りつけてから口に運んだ。


「どうだ?」

「まぁ悪くないんじゃないかなぁ」

「なんだその答え」

「別に不味いとは言ってないんだからいいじゃないか。じゃあアンテラはこっち食べなよ」


 スヴェイはクラッカーと一緒に運んできた皿を相手の前に押し出した。茄子のフリッターが乱雑に積み上がっている。アンテラは一瞬だけ顔をしかめたものの、その中の一際小さいものを選んで手に取った。

 右手にフリッター、左手には酒。その格好でまずはフリッターを口に入れると間髪入れずに酒を飲んだ。茄子をそのまま喉奥に流し込もうとするような仕草にスヴェイが笑う。


「どう?」

「……悪くないと思うぜ」

「何、その答え。ミゲルもどうぞ」


 ミゲルは大きくも小さくもないフリッターを手にして、すぐに口に入れた。茄子の持つ甘さと爽やかさが油によって軽い食感となっている。美味しいと言えば美味しいし、物足りないと言えば物足りない。黒胡椒でも掛ければ更に美味しくなるとは思ったが、口には出さなかった。


「そういえば、今日もラミー様が神託を受けたらしいよ」


 世間話の一つとしてか、スヴェイがそう切り出す。アンテラは口直しにチーズをたっぷりクラッカーに乗せながら鼻で笑った。


「あの巫女のことか」

「声抑えた方がいいよ、アンテラ。リットを出禁になりたくないだろ?」

「構うもんか」


 アンテラはそう言ったものの、やはり少しは気になるのか周囲を一度見回した。店の中はほぼ満席。誰も三人の会話に気を止めていないが、気をつければ十分に声を聞き取れるような距離である。


「……巫女の神託が本物かどうかわかったもんじゃねぇよ」


 結局声は抑えたアンテラだったが、口を閉じるという選択肢はないようだった。ここが騎士団の詰所ではないからだろう。


「司祭長も巫女も、どうにも胡散臭い」

「胡散臭いって何が」


 スヴェイが首を傾げる。ミゲルはアンテラが、またあの持論を繰り返すのではないかと警戒したが、予想はあっさり外れた。


「俺はまだ、どっちの力も見てないからだ」


 その言葉はアンテラにしては随分と慎重であるようにミゲルは感じた。恐らくは噂好きのスヴェイの性格を考慮した結果だろう。マクヌーヤに毒が盛られたのではないか、という持論を口にしたが最後、明日には悪気もなく吹聴されるのは目に見えている。

 この悪い癖さえなければ、スヴェイ自身は非常に気が利くうえに優しい男だったし、二人ともそんな彼を友人として好いていたが、それとこれとは話が別だった。友人の悪癖を引き出さないのも、友としての努めである。


「だったら明日確かめればいいんだよ」


 その配慮を知るよしもないスヴェイは、何でも無いことのように言った。

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