29.すれ違い

 夕焼けが皮肉なほどに美しかった。その鮮やかな赤色にミゲルは吐き気を覚えたが、胃の中にはもう何もなかった。空腹な筈なのに何も口にする気にはなれない。謁見の間を後にしたミゲルを待っていたのは不気味なほどに静まりかえった空気と、心配そうな顔をしたリューミルだった。


「陛下は何か仰ったか」

「……労いのお言葉を」


 そう言うとリューミルは眉間に皺を作った。求めていた答えとは違ったのだろう。ミゲルはもう一度考え直し、それから口を開いた。


「アンテラのことは残念だったと。俺が剣を抜いたことについては、お咎めはありませんでした」


 仕方なかった、と言ったカディルの悲しそうな声が脳裏に蘇る。遠征から戻ってきた時にも同じような声を聞いた記憶がある。あの時はミゲルに対して前騎士団長の死が告げられ、今回はミゲルから騎士の死を告げた。

 まるで誰かの死のために謁見をしているようだと思った。勿論そんなことは僧正陛下の前では言えるはずもなかったし、言ったところで何かが変わるわけでもないのはわかっていたため、ひっそりと胸の奥へと仕舞い込んだ。


「アンテラはなんであんなことをしたんだ」


 リューミルが苦々しい表情で呟いた。それを聞いたミゲルは、相手が本当に聞きたかった内容を悟る。昼頃からずっと、ミゲルの思考は鈍ったままだった。そのくせ感覚だけは鋭敏になっていて、アンテラを刺した感触がしつこく手のひらに残っている。血まみれの鎧と服は取り替えたと言うのに、まだどこか血なまぐさいような気がした。


「わかりません。スヴェイの傍にいると約束したのに」


 ミゲルはその名前を口にしてから、あることに気がついた。スヴェイはまだ地下にいる。アンテラが出て行った後のことは知らない筈だった。誰かが知らせていない限りは。


「スヴェイにはこの事は」

「まだ知らせてはいない。刺激が強すぎるだろうからな。友人が友人を殺したなんて話は、牢屋で一番聞きたくないだろうよ」


 そう言ってリューミルは少し笑った。冗談のつもりだったのかもしれないが、ミゲルは全く笑えなかった。


「ですが、どうしてアンテラが地下から出て行って巫女を殺そうとしたのか……。スヴェイとその家族に尋ねるべきではないでしょうか」

「それならもう済ませた。あくまで、アンテラの行方を確認する振りをしてな」


 溜息をついたリューミルは、しかし愚痴などは零さなかった。それにより話が冗長になるのを避けたのだろう。


「お前が地下を出てから暫くの間、アンテラはそこにいたらしい。そしてそこに今度は違う人間が現れた」

「違う人間? 騎士団の誰かですか」

「いや」


 首を横に振って否定を示し、そのまま言葉が繋げられる。


「司祭長だ」


 ミゲルは息を呑んだ。それと同時に、レンがアンテラを追ってきたことを思い出す。


「司祭長は、どうして地下に」

「お前を探していたらしい」

「俺を、ですか?」


 今度は首が縦に振られた。


「その前に司祭長は詰所に来たんだ。お前が何処にいるか聞いてきたら、地下だと思うと答えた。お前がその時に司祭長に会いに行ったとすると、見事なすれ違いだな」

「それで、アンテラはどうしたんですか」


 ミゲルが知りたいのは何よりもそこだった。リューミルは「わかってる」と言わんばかりに同情的な眼差しを向ける。


「あいつは幼なじみの処遇について、司祭長に詰め寄ったらしい。地下に閉じ込めるな、とか、無実の人間を陥れるのか、とか。スヴェイはアンテラを止めようとしたらしいが、何しろあの性格だ。一度火が点いたらなかなか止められるものじゃない。挙げ句の果てに司祭長に掴みかかったそうだ」


 思いも寄らぬ言葉にミゲルは目を見開いた。いくらなんでも、と思う自分と、アンテラならやりかねない、と考える自分がいる。昨日からアンテラの様子は明らかに不安定だったし、元々レンのことも敵視していた。あり得ない話ではない。


「司祭長はアンテラを宥めようとしたらしい。らしい、というのはアンテラの声が大きすぎたためだがな。何か言っていた司祭長を、アンテラは突き飛ばして走り出した。司祭長は暫くその場で呆然とした後、慌てて追いかけていったとのことだ」

「司祭長はその件についてなんと?」


 なんとか声が震えるのを抑えながらミゲルが問うと、相手は難しい表情になった。


「力を使って疲れたとのことで、部屋から出てこなかったからな。まさかこっちから扉を蹴破るわけにもいかないだろう。明日、聞かせてくれると」


 ミゲルは必死にあの時のことを思い出そうとしていた。二階に現れた時のレンは、どんな顔をしていただろうか。焦っていたのか、怯えていたのか、それとも。思い出そうとしても、それはすぐにアンテラの苦悶の表情にすり替わってしまって、うまくいかなかった。この数日、レンの姿は常にあった。神託で街が混乱に陥った時も、スヴェイが告発された時も、アンテラが死んだ時も。司祭長という職務を差し引いたところで、それらが偶然とはどうしても思えなかった。

 考え込むミゲルに、リューミルが心配そうに声を掛ける。


「大丈夫か? 酷い顔色だ」

「いえ」

「まぁ無理もないか。今日はもう帰れ。明日、一緒に司祭長に話を聞きに行こう」

「……わかり、ました」


 そのまま相手の傍らを通り抜けて階下に向かう。一人にしておいたほうが良いと判断したのか、リューミルは追いかけてこなかった。その気遣いが有り難かった。

 静まりかえった教会を出て、家に向かう。いつの間にか夕日は落ちて、代わりに月が空に浮かんでいた。街も同じように静かだった。皆家の中に閉じこもり、これ以上の災いが起きないように祈っているかのようだった。街の中心から離れた場所にある三つ叉に差し掛かったとき、ミゲルは自然と足を家の方角ではなく、川のほうに向けていた。幼い頃から親しみ、幼い頃から存在する川を見たいと思ったためである。それがどういった心情に即するものなのかは、ミゲル本人にもわからなかった。

 空には月が明るく輝き、川面を黄色がかった紺色に染めていた。街で起きていることなど何も知らないであろう川の景色は、ミゲルの心を少しだけ癒やしてくれた。砂利の中に足を踏み入れて川へと近付いていく。しかしその足は途中で止まった。河原に横たわる太い木に、誰かが座っていた。月明かりを浴びた黒髪の後ろ姿に、ミゲルは考えるより先に声を出していた。


「レン……」

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