第二章 青年期

1.騎士団の帰還

 雲一つ無い青空に花火の音が六回連続で鳴った。それは遠征に出ていた騎士団が無事に戻ってきたことを知らせるためのものだった。音を聞いた人々が往来に出てくる。特に子供達は目を輝かせて、街の入口から近付いてくる一団を待ち構えた。その子供の殆どが、口の周りに食べている最中だった昼食の残骸を散りばめていた。

 その一団は馬に乗り、白い旗を掲げていた。旗にはミラスマ教の騎士団の象徴である蔓薔薇と月が黒く染め抜かれている。かつて三人の女神が泉の中で蔓薔薇を沈めて、隠れていた月を掬い上げて空に放った。その創世神話に基づくものである。

 騎士団の先頭にいるのは白銀の鎧の上に黒いマントをつけた男だった。半年に及ぶ遠征のために少々その頬には疲労の跡が見えるものの、その両の目には誇りと自信が溢れている。遠征中に二十歳になったばかりのその男は、自分より年上の騎士が混じる一隊を見事に統率して馬を進めていた。


「祝福を」

「ミラスマのご加護を!」


 往来で待ち構えていた人々は、自分たちの前を騎士が通るとこぞって声を張り上げた。無数の声による祝福に騎士達は胸を張る。この国を守り、そして僧正陛下を守る護衛騎士団は皆の憧れだった。

 大通りを真っ直ぐに進むと、そこには広場に繋がる門が騎士団を迎え入れるために大きく開いていた。鉄製の門に飾られた双子の神のレリーフが微笑んでいるようにも見えた。広場に入った男は、馬を止めるとその場に降り立った。そして眼前にそびえる教会を見上げて目を細める。白い壁も青白い三角錐の屋根も半年前と全く変わりは無い。今までも、これからも。

 広場の門と同じように教会も既にその入口を開いて騎士たちを待ち構えていた。男がそちらに近付くと、中から司祭が一人現れた。中年太りを膨らんだ僧衣に隠した男は丁寧な仕草で頭を下げる。


「お帰りなさいませ。長らくの遠征、まことにお疲れ様でした」

「ありがとうございます、司祭殿。女神ミラスマのご加護により、無事に戻ることが出来ました」

「僧正陛下もまことにお喜びです。急ぎ、ご報告を」


 司祭の言葉を聞いた騎士は戸惑いの表情を浮かべた。


「陛下に謁見せよと?」

「はい、陛下はそれを望んでおられる」

「しかし、俺は、いえ私はこの度の遠征の隊長を任ぜられはしましたが、身分としては副長補佐で……」

「ミゲル殿」


 静かな声が遮った。それには有無を言わさない響きがあった。


「陛下はそれを望んでおられるのです。応じるのが護衛騎士の役目でしょう」

「……わかり、ました」


 ミゲルはそう言ったものの、まだ不安が拭えなかった。僧正陛下に単独で謁見出来るのは限られた人間だけで、騎士団の中では隊長しか認められていない。なのに騎士になってわずか二年足らずのミゲルに謁見命令が下るのは異例のことと言えた。

 背後にいる他の騎士たちも戸惑いを隠せない様子でミゲルを見つめている。そちらを振り返ればまた司祭に止められそうで、ミゲルは仕方なく一歩前へ進んだ。


「陛下は謁見の間に?」

「案内しましょう」


 司祭が先に立って歩き出した。大教会の中は明るい光に満ちているが、それは窓から取り入れた自然光を鏡に反射させているためで、夜になると今度は月明かりで照らすように出来ている。入口を入ってすぐにあるのは礼拝の間。左右に並んだ椅子の列は五十を超え、千人は座れると言われている。奥にはミラスマ教が信仰する女神像が、その最後の姿とされる体半分を羽に覆われた姿で立っていた。

 ミゲルは女神像が見える位置で一度立ち止まり、祈りを捧げる。それについては司祭は何も言わず、寧ろ満足そうな表情を見せていた。

 礼拝の間を抜けると、今度は長い廊下が続く。今度は左右に扉がいくつか並んでいて、扉の間隔はほぼ一定だった。此処は騎士団や司祭などが仕事に従事するための場所であり、いつもは人が多いはずだが、今は殆ど姿が見えなかった。だが扉の向こう側に人の気配は感じ取れる。謁見を行うミゲルに気を遣い、中に籠もっているのかもしれなかった。

 廊下の先にある階段を昇り、何度か折り返しながら上へと進む。進みながら司祭が少し苦しそうに息を吐いた。


「ミゲル殿」

「はい、司祭様」

「僧正陛下がなぜ貴方を呼んだと思いますか?」

「遠征の報告を直接お聞きになるためでしょうか」

「その程度のことで呼びつけたりはしないでしょう。何か重要なお話があると、私は考えています」

「司祭様はご存じなのですか?」


 そう訊ねてから、ミゲルは今のは少し悪手だったと気付いた。しかし既に遅く、司祭は面倒そうな顔でミゲルを一瞥する。どうにもその表情だけは前から好きになれなかった。


「考えている、と言っただけです」

「申し訳ありません」

「陛下のお考えは私などにはわからない。ですが、恐らくは司祭長が関わっている」

「マクヌーヤ様ですか?」


 この国において僧正陛下の次に力を持つとされる司祭長の名前を出す。しかし返ってきたのは否定だった。


「貴方が遠征に行った後、司祭長が変わりました。それからというもの、僧正陛下はどうにも様子がおかしい」

「その司祭長というのは……」

「陛下がどこかから見出してきた者です。いいですか、ミゲル殿。これは決して陛下たちの前では言えませんが、私はあの司祭長を全く信用してはいません。ミゲル殿がどうお考えになるかは自由ですが、地位のみで相手の人柄を見ないようにお願いします」

「それは勿論です。ですが事前にそのようなことを聞かされてしまうと身構えてしまいますね」


 ミゲルの言葉に司祭は少し表情を緩めた。


「いつも通りで問題ありません。貴方は父上と同じように立派な騎士です」


 階段を昇った先で司祭は足を止めて、ミゲルに一人で行くように促した。謁見の間に入ると、白い部屋の一番奥に金色の椅子が置かれていて、その前に銀糸で刺繍した僧衣を纏った老人が立っているのが見えた。ミゲルは緊張しながらそちらに進んでいくと、老人の前で膝をついて頭を下げる。


「護衛騎士団第七遠征隊、ただいま帰還いたしました」

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