6.異端なる者

 ミゲルはそれを理解できず、眉間に似合わない皺を作る。


「どういう意味?」

「普通じゃ無いだろ、傷を治しちゃうなんてさ。婆様も気味悪がってたよ」

「だってその人は助けてくれたんだろう?」

「別にターラ爺さんが頼んだわけじゃないからね」


 スヴェイはどこか小馬鹿にしたような口調で言った。その物言いにアンテラが不愉快そうに口を窄める。


「だったら助けないほうが良かったのかよ」

「そうは言ってないよ」


 そこで漸くスヴェイは、どうやら自分の主張が友人たちに受け入れられてないことに気が付いたようだった。人差し指の関節部で鼻を擦り上げ、焦ったような早口で続ける。


「でもさ、ターラ爺さんが怯えたのは本当だし、そうさせたのは誰かって話だよ」

「言ってることが滅茶苦茶だよ、スヴェイ」


 ミゲルは対象的にゆっくりとした言葉で相手を制した。


「お爺さんが怯えたことと、助けてもらったことは別のことだと思うな。それに助けてもらったのに文句を言うなんて良くないよ」

「それは、ターラ爺さんの話だから」

「じゃあスヴェイは関係ないよね」

「それは、そうだけど……っ」


 静かに諭されてしまったためか、スヴェイは悔しそうな顔をする。その様子を見ていたアンテラは、逆に面白がるように明るい声を出した。


「酒飲んで釣りに行ったんだろ? 酔っ払って夢でも見たんじゃねぇか?」

「手当はちゃんとされてたよ」

「だからその後に居眠りでもしたんじゃねぇかってこと」


 アンテラはこの話を終わらせたいようだった。祭りの話の続きをしたい気持ちが透けて見える。それについてはミゲルも同感だった。

 上流に住んでいる人々というのは、間違いなくレンの家族だろう。あんな目立つ黒いローブ姿で歩いていたら、悪い噂の一つや二つは流れるに決まっている。別にそれはレンたちに限った話ではない。街に流れるまことしやかな噂の殆どは、誰かが何かを大袈裟に伝え、そして退屈な人たちが広めたに過ぎない。

 だが流石に今の話の後で、レンのことを二人に伝えることは出来なかった。今の話を聞く限り、スヴェイの家とその周りでは上流に住み着いた人々に好印象を持っていない。下手に今名前を出してしまえば、レンを無責任な噂話に巻き込む羽目になる。ミゲルはそれだけは避けたかった。


「でもさっ」


 スヴェイが声を少し張り上げた。もう少し冷静であれば、アンテラの言葉の意味に気がついて話を終わらせることが出来たのかもしれない。しかしスヴェイは完全に頭に血が昇っているようだった。先ほど諭してしまったことで意固地になってしまったのだろう。ミゲルは少々自分の行動を後悔した。

 だがミゲルのことなど既に眼中にない様子の少年は、そのまま言葉を吐き出す。


「婆様が言ってたよ。その人達は異教徒なんじゃないかって」


 ミゲルは一瞬息を飲んだ。


「異教徒ぉ?」


 アンテラがますます疑わしげな声を出す。そこには話がなかなか終わらないことへの苛立ちも混じっていた。


「そいつらが異教徒だって言うのかよ」

「そうじゃないかな、って話だよ。だってミラスマ教では傷を癒やす呪文なんて存在しないじゃないか。それは全て神様の力で、人間には与えられてないものでしょ」

「じゃあ異教徒だったら神様の力が使えるってことか?」

「神様じゃない。神様じゃないよ」


 スヴェイは考え込みながら言葉を紡ぐ。再び取り戻しかけた話の主導権を離すまいとしているようだった。


「その、ほら、人間を惑わす魔物。バルルセッタとかビガーンとか、そういうのを信仰している人たちがいるって司祭様が言ってるじゃない。きっとそれだよ」


 例として取り上げられた二つの名前は、ミラスマ教の聖典の中で何度か登場する。神とそれに連なる聖人は、甘言で惑わす魔物から人々を守り、そして二度と魔物が近づけないようにエスゴーニュに街を作ったとされている。バルルセッタは人間の魂の代わりに偽神の力を与え、ビガーンは誰かの不幸と幸福を取り替える魔物である。特にバルルセッタは狡猾で欲深く、信者達にとっては忌むべき存在だった。


「バルルセッタを信仰する異教徒が、その力で爺さんの足を治した? 何のために?」

「それはほら、異教徒だからね。自分の力を自慢したくて堪らなかったんじゃないかな」

「爺さんに自慢してどうするんだよ」


 完全に眉唾物だと思っているアンテラと、どうしても自分の主張を通したいスヴェイが言い争うのを聞きながら、ミゲルは少し青ざめた顔で川を見つめていた。

 異教徒。レンと最初に話した時のことを思い出す。レンは異教徒というだけで処刑されるのかと怯えた様子を見せていた。もしかしてあれは自分自身が異教徒だからなのではないか。この国ではミラスマ教だけが唯一絶対とされる一方で、それ以外の宗教を信仰する者も度々現れる。信仰しているだけなら国外追放だけで済むが、ミラスマ教そのものに牙を剥く者も偶にいる。

 わざわざエスゴーニュの近くに住み着いたということは、つまりそういうことなのかもしれない。僧正陛下、あるいはミラスマ教の本山でもある教会に危害を加えるために、街に程近い場所を選んだ。

 そこまで考えたミゲルは身震いをした。幼い頭の中で考えた仮説が、本物でないことを心から祈った。この場合、祈るのは神に対してではない。漠然とした不安や恐怖に対してだった。


「ミゲル」


 不意にスヴェイの声が意識を現実に引き戻した。ミゲルは少し緩慢な動きで友人を見て、そして「何?」と返した。いつの間にか乾いていた喉から出た声は、少年らしい瑞々しさを失っている。


「ミゲルは、その人達が異教徒だと思う?」

「……今の話だけじゃなんとも言えないよ。本当に呪文で傷を癒やしたかどうかわからないし」


 そんな当たり障りのない言葉を返すと、スヴェイは失望したように表情を曇らせた。


「ターラ爺さんが嘘をついてるって言うの?」

「そういうわけじゃないけど。司祭様も仰ってるだろ? 猜疑心と自尊心は神が与えた人間への試練である、って。その人達が異教徒じゃなかったら……その……、失礼だよ」


 どう表現すれば良いかわからず、尻すぼみな表現になった。だが、司祭の言葉を出したことはスヴェイにとって十分な効き目があった。誰かの言うことを信じ込む癖がある少年は、目上の人間、特に教会関係に弱い。


「……まぁ、そうかもね。証拠はないんだし」


 渋々ながらも認めた相手に、ミゲルは微笑を向けた。


「その人達のことは、子供の僕たちが気にすることじゃないよ。僕たちが今気にすべきなのは祭りのことだ」


 その言葉にアンテラが嬉しそうな声を出して手を打ち鳴らした。待っていたと言わんばかりだった。


「そうそう、その通り。こんな話はおしまいにして、さっきの話の続きをしよう。大道芸の話は聞いたか?」

「去年と同じような?」


 流れるような話の転換に、今度はスヴェイも素直に従った。

 祭りの日のことを想像し、または去年のことを思い返しながら、三人は夢を膨らませる。聖花祭ではきっと素晴らしいことが起きる。そう信じて疑わない純粋な笑みがそこにはあった。

 だがその笑いの中にいながら、ミゲルはまだ先ほどの話が心に引っかかっていた。レンは異教徒なのかどうか。もしそうだとしたら自分はどうすれば良いのか。レンという人間に対する想いと、十年間培われてきた宗教観や正義感はどうにも上手く混じりそうになかった。

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