7.魔物の断罪

 スープを一口飲んだ父親が顔をしかめる。だがそれはスープの中に髪の毛が入っていたとか、味が悪いとかそういう理由ではなかった。ミゲルがそれを理解出来たのは、父親が自分を射貫くような目で見ていたからだった。


「ミゲル」

「はい、父上」

「先ほどから気が散っているな。食事には真剣に向き合いなさい。特に夕食は一日を振り返り、様々な出来事を食べ物と共に体に取り入れる大事な時間だ」

「ごめんなさい、父上」


 素直に謝った息子に父親は眉間の力を抜くと、優しい声音で問いかけた。


「朝はそのような顔はしていなかったな。何かあったのか?」


 母親は小さな弟二人を相手に、食事の作法をたたき込むことに夢中になっている。一度だけミゲルの方を見たものの、すぐに視線を逸らしてしまった。夫であるユージンが相手をするのであれば自分は不要だと考えたのだろう。騎士団長の妻に相応しい、実に控えめな態度だった。


「父に話せることであれば話すといい。そうでないのなら、神にお話することだ」


 ミゲルはそこで少し悩んだ。自分の中にある漠然とした苛立ちや焦りを父親に全てさらけ出して良いかわからなかったからである。もし友人と喧嘩をしたとか、買って貰ったばかりのハンカチを枝に引っかけたとかであれば、これほどには悩まないに違いない。幼いながらにミゲルは自分の悩みの、所謂重さというものを理解していた。知り合ったばかりの少年が異教徒ではないかという疑惑は、少年の胸にはあまりに重い。

 暫く悩んだ後に、ミゲルは父親の目を見て背筋を伸ばした。


「異教徒というのはどのような人間なのでしょうか」

「何だと?」


 ユージンは再び難しい顔になった。突拍子も無い質問を投げつけてきた息子の口元をまじまじと見つめる。


「何故そのようなことを聞く」

「ちゃんと聞いたことがないと気付いたからです。一度気になりだすと……ずっと気になるでしょう?」


 それは事実だった。小さい頃から一つのことが気になると、そこから離れられなくなってしまう。一番最初にそれで大人を困らせたのは六歳の時だとミゲルは記憶していた。「どうして神様は神様なの?」という問いに大人達が苦笑していたのを覚えている。あの時も父親が懇切丁寧に神のことを説いてくれた。言っていることの半分以上は理解出来なかったが、子供の言うことだと一蹴しないでくれたことにミゲルはその時心から感謝した。父親であれば自分の悩みに向き合ってくれると、そう信じていた。


「また悪い癖が出たな」


 ユージンは仕方なさそうにしながらも、どこか嬉しそうだった。


「お前にはまだ難しいところもあるだろう。わからなかったことは後で自分で学びなさい。それがお前の心を豊かにする」

「はい」

「異教徒とは、乱暴な言い方をしてしまえば神に背くものだ。ミラスマの神を否定し、他の何かを崇める。この国ではそれは罪になる。なぜならこの国はミラスマの神によって創造されたからだ」


 ミゲルは頷いた。ここまでは子供向けの教本にも書いてあることである。


「神は最初に異教徒が現れた時、それを断罪しなかった。なぜだかわかるか?」

「断罪しては可哀想だと思ったから、ですか?」

「いいや、違う。神は彼らを正しい道に引き戻そうとした。彼らが悪いのでは無く、彼らを惑わした魔物が悪い。そう考えたからだ」

「そうすると異教徒には罪はないのですか?」

「いや、罪は罪だ。しかしミラスマ教徒になることで罪は浄化される」


 浄化、というのはミゲルには少し難しい表現だった。だが何となくの意味はわかるため、そのまま耳を傾ける。


「だからこの国でも異教徒が見つかった場合は、まずは反省を促し、贖罪をさせる。しかしそれでも教徒にならなかった者は、その罪を償うために国外に追放される」

「追放が罰になるのですか?」

「当たり前だ」


 父親は愚問と言わんばかりに返した。


「ミラスマの神のご加護を受けられなくなるのだぞ。異教徒がこの国で生きて来れたのは、正しく神の加護によるものだ。神を否定する者も、神はお守りくださる。それが理解出来ない者には去ってもらうより他はない」

「加護を受けられなくなると……死んでしまうのでしょうか?」

「あぁ、勿論」


 ミゲルは、一体誰がそれを確かめたのだろうと疑問に思ったが、父親の堂々とした話しぶりを見ていると、自分の考えがあまりに矮小な気がしてきて口を閉ざしてしまった。


「しかし時に追放するわけにはいかない者もいる。僧正陛下を傷つけようとしたり、教会に対して攻撃をするような異教徒のことだ」

「そういう人たちは処刑されるんですよね」

「その通り。彼らは自ら魔物になってしまったのだ。魔物を国の外に出すわけにはいかないだろう?」

「人間なのに、魔物になってしまうのですか?」

「神や教会に牙を剥き、人々の心を乱すのは魔物だ。そのような存在は許されない」


 そこまで饒舌だった語り部は一度言葉を区切ると、冷めかけたスープを口に運んだ。


「理解出来たか?」

「大体は。魔物になってしまうと、もう人間には戻れないのですか?」

「戻れないから処刑するんだ。神は慈悲深い。人間に戻れるのであれば、そのように人を導くだろうからな」


 ミゲルはそこまで聞くと、胸の中を占めていた悩みが少しだけ軽くなったのを感じた。もしレンが異教徒だったとしても、ミラスマ教の信者になれば罪は消える。父親が今話してくれたように、真摯に語りかければレンは聞き入れてくれるだろう。何の根拠も無い考えに、しかし少年は自信を持っていた。それはやや傲慢ですらあったが、子供ゆえの直情のほうが勝っていた。


「魔物は最高の供物になるんだがな」


 ふと、ユージンがそう呟いた。ミゲルが視線で問い返すと、スープを匙で掬いながら父親は言葉を続けた。


「魔物を人間が退治出来ることはそうはない。だからこそ、聖花祭の日に魔物と化した異教徒を供物として捧げると、神はとてもお喜びになるんだ」

「パンや刺繍などよりも?」

「比べものにならないな」


 珍しく声を立てて笑ったユージンにミゲルは呆気に取られた。しかし、それだけの価値があるということなのだろう。神は供物を身につけるとされているが、魔物のことはどうするのかミゲルには想像出来なかった。頭の中に浮かんだのは、血まみれの魔物を掲げた神々しい姿だけだった。

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