4.騎士として
護衛騎士の詰所はいつもは朝と夕方を除けば人は殆どいない。伝令用の年の若い騎士見習いと、書類の整理を行う老騎士が数名いるだけである。まだ昼を少し回った時間に、二十人を超える人間が集まるのは異例のことだった。
アンテラにより集められた騎士たちは、一様に苛立ちと疲労の混じった表情をしていた。これがまだ、騎士団長であったハルスや副団長が招集したのであれば、まだその表情は柔らかいものだっただろう。いくら遠征隊の隊長に任ぜられていたとはいえ、ミゲルはあくまで副長補佐という身分であり、任務が無事に終わった今となってはミゲルの指揮権も効力を失っている。つまり、こうして全員を詰所に足止めすること自体、反感を買っても仕方ないことだった。
「ミゲル」
一人の中年の騎士が口を開いた。
「皆を集めるとは、どういう意図だ? 僧正陛下から何かお言葉でも賜ったのか」
表情は穏やかだったが、目には苛立ちが浮かんでいる。大した用事もなく足止めしているのであれば許さない、と語っているようだった。ミゲルはその目を見返してから、少し息を吸った。
「はい、陛下からの言葉を皆に伝えるために集まっていただきました」
「労いの言葉か」
「それもありましたが、それだけで集めたりはしません」
ミゲルは全員の顔を見回した。遠征隊と、伝令係と、そして数名。当然だがこれで全員ではない。護衛騎士団は百名余りの人間で構成されているが、教会の警備で常に半数は駆り出されている。彼らが自分に下った任命のことを知っているのか、ミゲルは少し気にはなったものの、それを確認出来そうな相手は此処にはいなかった。
「陛下からはハルス団長のことを知らされました」
その言葉に、殆ど全員が呆れたような顔をした。そんなことは知っている、と言いたいのだろう。ミゲルは誰かがそれを口にする前に急いで次の言葉を紡いだ。
「そして次の団長に、俺が任命されました」
一瞬、間が空いた。騎士達の疲労した頭では、その言葉の意味をすぐには理解出来なかったようだった。
「……はぁ?」
どこか空気の抜けるような声を出したのはアンテラだった。
「こんな時に冗談は止せよ」
「俺が冗談を言うなら、もっと状況を考える」
「だって騎士団長になるには、少なくとも副団長になってないと……」
「いいや」
否定を挟んだのは壁際の本棚の前で目録を整理していた老騎士だった。視線を分厚い目録に通しながら、右手の人差し指でゆっくり宙をかき混ぜるような動作をする。
「そういう決まりはない。騎士団長は陛下が任命するものだからな。極端な話、陛下がその辺の犬を騎士団長にすることだって出来る。ミゲルよ、命令書は受け取ってきただろうな?」
「はい」
ミゲルは謁見の間で受け取った紙を全員に見えるように掲げた。平素は殆ど触れることのない上等な紙に、黒々とした文字が並んでいる。一番近くで見ていた一人が命令書の最後に書かれたカディルの名前を目にして「本当だ」と呟くと、そこで初めて全員が驚いた声を出す。まだ二十歳になったばかりの副長補佐が、騎士団長に任命された。その異常な事態を漸く認識出来たためだった。
詰所の中が一気に騒がしくなる。ミゲルは命令書を掲げたまま、どうすれば良いか悩んでいた。皆が静かになるのを待つか、それとも騎士団長として命令を下すか。どちらもあまり良い考えとは思えなかった。特に後者の場合、彼らが騒がしくなった原因がまさにそれなのだから、今ここでミゲルが団長として振る舞ったところで彼らに通じるとは考えにくい。かといって、いくら放っておいたところでこの場が静まる気配もなかった。
何故ミゲルが。皆がそう思っているのは明らかだった。ミゲルは優秀な騎士であったし、だからこそ遠征隊の隊長にも抜擢された。だがそれは所謂、優秀な若い騎士に与えられる通例のようなものであって、ミゲル一人が特別優れているわけではない。
「あの!」
騒がしくなる一方の状況を打破したのは、一つの甲高い声だった。ミゲルは集まった騎士たちの一番後方へと目を向ける。革鎧を身につけた伝令係の騎士見習いがそこにいた。全員がそちらへと視線を集めると、騎士見習いは顔を赤くした。護衛騎士になるには十八歳以上でなければいけないが、騎士見習いは十六歳から許可される。勿論、見習いになったからと言って必ずしも騎士になれるとは限らないし、重要な仕事も任されることはない。伝令や調達が彼らの主な仕事であり、作戦会議などに参加することも許されない。
彼が此処にいるのはあくまでも緊急の連絡を受けた時に伝令を行うためであり、アンテラによって集められたわけはなかった。だがそれを気にする人間はいない。全員、この異常な状況の中でいくつかの常識が麻痺してしまったようだった。
「団長になられたということは、僧正陛下がミゲルさんのことを評価したということでしょうか」
純粋な疑問。だがそれは問題の本質を突いているように思えた。
ミゲルはどう答えるべきか悩み、口を閉ざす。神託という言葉を軽々しく口にして良いかわからなかったし、それを彼らに伝えたところで余計な混乱を招くような気がした。今更ながら、任命を受諾したことを後悔する。しかしあの状況で断れる人間がいるとは思えなかった。
「まぁ、そういうことになるだろうな」
そう言ったのは、最初に口を開いた中年の騎士だった。身分としては副団長の一人であり、つまり次期団長に近い位置にいた人間である。長年、護衛騎士として鍛錬と功績を積みながらここまでやってきたのを横から浚われる形になったのだから、内心は腸が煮えくりかえっているに違いない。だが年上のプライドなのか、それをどうにか顔には出さないように努力している。目尻のあたりが痙攣しているのがその証左だった。
「陛下がお認めになったことだ。そこに間違いはない」
その言葉は副団長が放ったからこその効力を見せた。全員が自分の中に生まれた戸惑いや嫉妬や疑念を、段々と飲み込んでいくのがミゲルにはわかった。納得はしていないが、意義は述べない。殆どがそんな態度で黙り込んだ。
「……俺が騎士団長になったことで、皆さん言いたいことはあると思います」
ミゲルはその中で、敢えて口を開いた。誰がどう思おうとも、自分が騎士団長であるという事実は今更覆せない。ならば、かつて父親がそうあったように堂々と振る舞うことが義務のように思えた。
「ですが、任命されたからにはハルス団長に恥じることのないよう、精一杯務めるつもりです。至らない点はあるかもしれませんが、護衛騎士が統率されないことは即ち陛下の身の危険に繋がります。どうか、俺を信じていただけないでしょうか」
レンは「自分を信じろ」と言った。神託を否定することは出来ても、レンの言葉までは否定出来なかった。あの時の過ちを、あの時の苦悩を、その行為が救ってくれるとミゲルは信じていた。
しばしの沈黙の後、目録を机の上に置いた老騎士が両手を何度か打ち鳴らした。
「ミゲル、いや、騎士団長殿。それでこそ護衛騎士というものだ。我らが陛下の決定に疑義を述べても詮方なきこと。大事なのは騎士団長がミゲルになったという事実だけだ」
老騎士はそう言い切ると、「ミラスマの加護を」と結んだ。それを契機に他の騎士たちも同様に祈りを捧げる。それはミゲル本人に祈りを捧げているわけでもなければ、ミゲルという人間自身を皆が認めたわけではなかった。だが、その光景はミゲルには初めての体験だった。胸の底から形容しがたい興奮が込み上げてくる。騎士団長になったという実感が、初めて現実に追いついた瞬間だった。
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