11.太陽の祝福
本日三度目のあっさりとしすぎた回答だった。ミゲルは驚いて呼吸を忘れてしまったが、やがて息苦しさと共に思い出して慌てて深呼吸をした。
「ち、違うの?」
「うん、違う」
レンは、何故そんなことを聞くのかと不思議そうにミゲルを見ながら言った。
「噂ってあれかなぁ。この前兄ちゃんが川で転んだ人を治療した時のこと? 何でかわからないけど、走って逃げちゃったって言ってたから」
「うん、その人が……えっと、言いふらしていたっていうと言葉が悪いんだけど……」
「へぇ」
レンは少し気の抜けたような声を出した。
「変わった人もいるんだね」
異教徒ではなかった。ミゲルはこの数日間悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなった。もっと早く聞いておけば、無駄な時間を過ごさずに済んだかもしれないのに、と自分の愚かさを少し呪ったりもした。
しかしその反省が一通り終わると、今度は喜びの方が勝ってきた。空からの太陽の光が自分への祝福のように感じられ、川の流れが喝采に聞こえた。その喜びを抱えたまま、ミゲルはレンの手を取った。そして手の熱で少し暖かくなっていた水晶の隣に、自分が拾った指輪を添えた。
「これ、あげるよ」
「いいの? ミゲルが拾ったんでしょ?」
「僕は指輪にはそんなに興味ないから。レンが持っていた方がいいよ」
レンは顔を輝かせると、指輪を左手で取って自分の右手の中指へと通した。それは大人の女性用のものに思われたが、レンの華奢な指には大きすぎた。落ちてしまいそうになるのを指を曲げて阻止しながら、レンは親指でその表面を軽くなぞった。
「嬉しい。ありがとう」
「大事にしてくれる?」
「うん、大事にする。俺もとっておきの宝物あげないと、釣り合いが取れないね」
「そんなの、いいんだよ」
指輪を受け取ってくれたなら、それで。ミゲルがそう言おうとしたときに若い男の声がレンの名前を呼んだ。
「あ、兄ちゃんだ」
レンの言葉でミゲルが振り返ると、川の土手に若い男が立っていた。黒いローブを着たその男は手を滑るように降りてくると、軽い足取りでミゲル達の近くまで近付いてきた。
背が高く、細身で、顔立ちは精悍さと繊細さが入り交じったような絶妙な造りをしている。レンと同じ髪の色だが、長さは随分と違っていて、ローブの色と同化してわかりづらかったが背中まで伸びているようだった。
「レン、伯父さんが呼んでいるよ」
「どうして?」
「ヤギが逃げたから探しに行くって」
それから男はミゲルに気がついたように顔を向けた。
「お友達と遊んでたの?」
「うん。ミゲルって言うんだ」
ミゲルは慌てて背筋を伸ばして挨拶をした。男はそれに対して丁寧に返す。
「レンと遊んでくれてありがとう。聞いたかも知れないけど、うちは色々な場所を転々としていてね。年頃の友達が出来ないことを気にしていたから」
大人の男の声だった。低くて優しい響きを持っている。
ミゲルは何か返そうとしたが、それより先にレンが甘えるように男の服の袖を引いた。
「兄ちゃん、早く戻ろうよ。ヤギ捕まえるんでしょ」
「そうだけど、お友達と遊んでいるなら」
「ううん、もう大丈夫」
ミゲルはその言葉に、自分の中の何かが傷ついたのを感じた。途端に、怒りにも似た何かが胸の内で燻り始める。それはレンにではなく、男の方へと向いていた。自分からレンを奪い取っていくような真似をする男を、ミゲルは許すことが出来なかった。
「そう。じゃあ、一緒に戻ろうか」
男はレンの頭を撫でると、そのまま指で黒髪を梳いた。レンがそれに嬉しそうな顔をするのが、ミゲルを堪らなく嫌な気持ちにさせた。レンにとってその男がどれだけ大事か、そんなことはわかりたくもなかった。なのに現実は容赦なく目の前に存在する。
そんなミゲルの心の内など知るよしも無く、レンは無邪気な声を出した。
「また明日ね、ミゲル」
「……うん、また明日」
それだけ静かに言うことが出来たのは、ミゲルの努力の賜物と言えた。河原にミゲル一人を残して、二つの黒いローブ姿は上流に向かって消えていく。
そして本当に一人になってしまった後、ミゲルはずっとそこにいるわけにも行かずに家に向かって歩き出した。太陽の祝福も川の喝采も、もう何も感じなかった。
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