第31話 覚悟

 焼き菓子の入った籠を持ち、レアンの邸宅へと向かいながら里桜は考えた。


 ——私、日本に戻ったらどうすればいいのかな。

 宝くじ、当たってたんだっけ。十八歳になったんだし、どのくらいまで一人でできるのかな。大学に行くのも私だけで手続きとか出来るのかな。住むお家も探さなきゃ。でも、荷物もあるしやっぱり叔父さんの家には一度行かないと。留守の時にこっそり行くしかないかな。

 私が居なくなって叔父さんはどうしてるんだろう。気にもしてないのかな? 前の『にいに』と呼んで慕っていた頃のあの人に戻ってくれていたら、そうしたら、私ももう少し戻りたいって思うのに……。


 ふと立ち止まって辺りを見渡した。


 賑やかな街道は多種多様な魔族達が行き交い活気に満ち溢れている。その人混みの中、里桜はポツンと立ち尽くして自分が孤独だということに改めて気づいた。


 ——私、魔族じゃないし、そもそもこの世界の人間でもない。でも、じゃあ、日本に帰ったら……? そしたら、もっと……


 血塗れの母。警察に連行される父。ひそひそと噂話をするクラスメイト。乱暴をはたらいた叔父。


 ————怖い


 この世界に居る孤独よりも、もっとずっと、ずっと怖い!!


 どうしよう。ファメールさんにどうにか謝ってお願いして、ここに居させて貰えないか頼んでみよう。根は優しい彼だからきっと解ってくれるはず。もっと沢山お仕事の手伝いをしますからとひれ伏す勢いでお願いすれば、受け入れてくれないかな。


 菓子の入った籠を抱いて里桜はパタパタと駆けた。まずは邸宅の皆にお菓子を届けて、それからだ。


 レアンの邸宅に到着すると、皆久々の再開に大喜びで里桜を出迎えてくれた。里桜の焼いたバターケーキを頬張って、皆楽しそうにあれやこれやとテーブルを囲んで会話し始めて、里桜は少しホッとした。


「リオ様、もうここにはお戻りにならないのですか?」


デュランの言葉に里桜は困った様に微笑んだ。


「戻りたいよ。すっごく、でもレアンがきっと赦してくれないの。どうしてかな」


沈む里桜を気遣ってイリーは里桜の肩を優しく撫でた。


「レアン様も、本当はリオに戻ってきて欲しいくせにそれを言い出せないのよね。リオが大事だから尚更に」


そう言ったイリーをツンとデュランが突いたので、里桜は小首を傾げた。


「もういいじゃない」

「ですが……」

「だって、知らないままだとリオだってかわいそうだわ」

「イリー、何の話?」


 イリーがデュランに目配せをし、デュランは仕方ない、といった様に両腕を組むと、どうぞと言わんばかりにクイと顎を動かした。


「レアン様はね、何かの拍子にリオの血を吸ってしまったら取返しが付かないって、それを心配してリオをお城に住まわせる事にしたのよ」

「……え?」

「大事なのよ。リオが大事過ぎて、自分の存在すら否定しちゃってるの」

「存在を否定って、どういうこと?」


 聞くのが怖いと里桜は思いながらも、聞かなければならないと考えた。優しいレアンが、一体自分のせいで何をしようとしたのか。デュランがため息交じりに里桜に説明をした。


「牙を折ろうとしたのです。それで、私と喧嘩になってしまいました」


 瞳を見開き、動揺して里桜は絶句した。


「悲しかった。なんだか、眷属の私たち皆が否定された気分だったもの。でもね、私は仕方ないかって思っちゃった。私もリオが大事だもの」


肩を震わせるイリーにデュランが触れると、その手をイリーが触れた。イリーの言葉や雰囲気から、牙を折るということはただ事ではないのだろうと里桜にも伝わった。


「牙を折ると、どうなっちゃうの……?」


里桜の問いにデュランが頷きため息交じりに答えた。


「……ヴァンパイアが牙を折ると、確かに眷属を増やす事が困難になるでしょう。ですが、それはレアン様ご自身に深く影響を及ぼすのです。魔力量が格段に下がり、上位魔族の階級では居られなくなります」

「いくら剣の腕が優れているとは言っても、ここは魔国よ。魔力量の下がったレアン様は騎士団には居られなくなるわ。もし、そうなってしまったら……」

「城に居られなくなり、最悪王都からも去らねばならないでしょう。ですから、それは何の解決にもならないと喧嘩になり……」


レアン、私なんかの為に、貴方は一体どれほどのものを失おうとしていたの……? と、里桜は愕然とした。


「大丈夫。そんなことしなくていい。絶対に」


 そう、自分が日本に帰れば全て問題が無いのだ。アルカの死のことも、レアンの魔力の事も。ファメールもそれで心が落ち着く事だろう。


「皆、有難う。お邪魔しちゃったね。私、


 里桜は微笑んで皆に別れを告げ城へと向かった。向かう足取りは心なしか早足で、城に到着する頃には駆けだしていた。


 ——この決心が鈍る前に、早く帰らなきゃ……!

 余計な事を考えてはダメ。今私が考える事は帰る事だけ。自分の事を考えたら負けちゃう。


「リオ?」


城に到着すると息を切らせている里桜にレアンが心配そうに声をかけた。


「そんなに急いでどうしたんです?」


 ——マリンブルーの優しい瞳で見つめるレアン。この優しい人に、私は何一つお礼ができないばかりか苦しめてしまっていたんだ。

 里桜は呼吸を整えるとレアンの前へと行き、微笑んだ。


「ファメールさんに時間を貰って、邸宅の皆にお菓子を届けてきたの」

「それは皆喜んだでしょう。ありがとうございます」

「久々に皆に逢えて嬉しかった」

「しまった。私の分はきっと残ってはいないでしょうね」


残念そうにため息をつくレアンを見て里桜は笑い、両手を伸ばした。レアンの口を両手でぐいと押し上げ、レアンの牙を見つめる。


「……ひぃお(リオ)?」

「レアン。私、レアンの牙大好き。大事にしてね」

「え?」


パッとレアンの口から両手を離すと、彼の両肩を掴んで軽くジャンプし唇にキスをした。


「……え……!?」


顔を真っ赤にして硬直するレアンにニッコリと微笑むと、里桜は手を振った。


「全然、キスの邪魔になんかなってないよ! 自信持って大丈夫! じゃあね。レアン!」

「え? ……え!?」


 呆然と立ち尽くすレアンをその場に残し、パタパタと廊下を駆けて里桜はファメールの部屋の前へとたどり着いた。

 呼吸を整え、よし、と意気込んで扉をノックした。


「里桜です」

「どうぞ」


 ファメールの声がして里桜は扉を押し開けた。ファメールの部屋には星見の塔の研究室の様に本棚が並んでおり、部屋の一角は研究スペースの様に薬品が陳列されていた。

 そのどれもがキッチリと整頓されていて、ファメールはその研究スペースの側の椅子に腰かけて、薬品の入った瓶を見つめていた。


「アルカはまだ帰らない? お別れをいわなくちゃと思って」

「お別れだって?」

「うん。私、帰るよ。自分の世界に。帰り方分かったんでしょう?」


薬品の入った瓶を持ったままファメールは里桜へと視線を向けた。


「帰り方はそうだけれど……けれど、本気で帰りたいのかい?」

「うん」

「……僕が止めてもかい?」


里桜は一瞬躊躇ったものの、力強く頷いた。その姿を見てファメールの手から力が抜けた。


「おっと」


 カチャンッと音を立て、ファメールの手から落ちた瓶が割れた。すると、炎が噴き出しファメールの衣服に燃え移った。


「ファメールさん!」


 里桜は慌てて室内に駆け込むと、ソファの上からクッションを取り炎を消さんと必死でファメールを叩きまくった。


「ちょっと、痛いよ。もう消えたから大丈夫だよ」

「火傷! 大変っ! 早くそれを脱いで、冷やさないと!!」


里桜は部屋の隅にある水差しを取り、ファメールに水をかけた。


「……ちょっと」


ポタポタと水を灰色の髪から滴らせ、ファメールはあきれ顔で里桜を見つめた。


「あっ!! ご、ごめんなさい!」


 ずぶぬれになったファメールをみてやり過ぎたと、里桜は慌てて謝った。

 ファメールは顔を拭うと上着を脱ぎ、椅子の背もたれへ掛けた。中に着込んでいる開襟のシャツも脱ぎ、やれやれとした様子で里桜を見た。

 女性の様な美しい顔と白い肌を持つというのに、しっかりと鍛えられた男性的な肉体はまるで美術館に置かれている彫刻の様な美しさで、嫌に色気を醸し出している。

 しかし、意外な事にその肉体にはいくつもの深い傷跡が刻まれており、中には傷を負った当時を想像すると死にすら値しそうな程の、痛ましくも深く生々しい傷跡があった。

 外交や軍師で戦前に出ないはずのファメールが何故? と、不思議に思ったものの、里桜は赤面して顔を背けた。


「全く、ずぶぬれだよ」

「ごめんなさい。悪気は無かったの! 火傷が心配で……」


 ぐっと手を引かれ、『え?』と思う間に、里桜はベッドの上へと押し倒された。

 両手をつき、ファメールは里桜を見下ろす。灰色の髪からポタリと里桜の頬に水滴が零れ落ちた。


「ふぁ……ファメールさん?」

「男に脱げと言ったんだ。キミ、わかっているよね?」

「な……なにを?」

とぼても無駄」


 ファメールは里桜の服へと手を伸ばし、スルリと胸元に結んだ紐を解いた。


「え!? ちょっと……! な、何!? 冗談キツイよ!」


慌てて逃れようとする里桜の手を抑え込むと、金色の瞳でじっと見つめた。


「僕は気が短い方なんだ。ふた月以上もよく耐えたと思わないかい?」

「……耐えるってどういうこと?」

「キミが警戒を解く隙を見計らっていたのさ」

「どうして!?」


いつもと違うファメールの様子に恐怖が里桜を襲う。


「隙って何のこと!?」


 ぎゅっと抑え込まれる手首が痛い。叔父に襲われた時と重なり、余りの恐ろしさに歯がカチカチと音を発した。


 体が強張る。優しいはずのファメールが今の里桜にとっては恐怖の対象でしかない。それが心を抉るような痛みを感じた。やっと打ち解けられた気がしていたのに、どうして……


「ファメールさん……一体どうする気なの?」

「簡単さ。キミが処女じゃなくなれば聖剣を使うことができない。つまりキミはアルカを殺す事ができなくなるんだからね。レアンの警戒も不要になる」

「やめて! そんなの嫌だ!!」


叫ぶ声が震えた。その声に里桜は情けなくて、ボロボロと涙を零した。


「帰るって言ったでしょう!? アルカを殺したりなんかしない! だから止めて! ファメールさんっ!」

「約束なんか宛てにならないね。言っただろう? キミの存在が邪魔なんだ。それなのにカインの刻印のせいで僕はキミを殺す事ができない」


里桜の手首を握るファメールの手に一層力が込められた。


「いや!! 離してっ!! いやだっ!!!」

「静かにしなよ。殺しはしないと言っているだろう? それとも眠りの魔術を掛けられて、知らないうちに処女じゃなくなっている方がよっぽどいいとでも言うのかい?」


 里桜はガクガクと震えながらも、ファメールの放ったその言葉を必死になって考えた。


 ——『眠りの魔術』を、何故使わなかったのか……

 ファメールの金色の瞳はどこか悲しみを帯びている。何故彼はそんな目をしているのか。


 ファメールは自分の利益の為に行動を起こすような人ではない。彼の抱える痛みはいつも、人の為。

 ——アルカや、レアンの為では無いか……?


「嘘だ。ファメールさんはそんなことしない!」

「……何?」

「アルカの事が大事だからこんなことするんでしょう? でも、その大事なアルカに嫌われちゃうんだよ!? それでもいいの!?」


金色の瞳を細めると、ファメールはくっと唇を噛んだ。


「沢山あるその傷痕だってそう。きっとファメールさんは自分の為じゃない、アルカや皆を守る為に傷ついてばかりいるんでしょう!? レアンが牙を折ろうとしたのだって、知ってるんでしょう? だから貴方は……」

「キミに僕の何がわかるっていうのさ!!」


珍しく声を荒げたファメールに、里桜は当たったんだと確信した。


「今だってそうでしょう? 本当はこんなことしたくないくせに! いっつも飄々として影で動いているフリして一番矢面に立っているのはファメールさんじゃない!」


怯むファメールに里桜は更に言葉を放った。


「一人で傷ついてたらダメだよ!」

「黙れったら!!」

「アルカも、レアンも、ファメールさんも、皆仲良しじゃない! 私が居るからその関係が崩れるなら、私を早く元の世界に帰せば済むことでしょう! 早く帰してよ! この世界から、私をさっさと追い出せばいいっ!」


 帰りたくない……。けれど、ファメールを苦しめているのは自分なのだ。レアンを苦しめているのも。

 ——アルカも、もしかしたら気にしない風を装っているものの、私に殺される事を恐れているのかもしれない。だから避けているのかもしれない……。


「そうさ! 来なければ良かったんだ。キミなんか!」


ファメールの金色の瞳からポタリと涙が零れ落ち、里桜の頬を伝った。


「キミを元の世界に戻す為には、やはりアルカを殺すしかないんだよ!」

「……えっ?」


里桜は心臓が止まりそうな程にぎゅっと痛んだ。


 ——なにそれ。どうしてそんな。私、帰りたくないのに帰らなきゃって。それなのに、私が帰る為にはやっぱりアルカを……? それじゃあ元も子もないじゃない!!

 里桜は抵抗するのを止め、ふっと力を抜いた。瞳から沢山の涙が零れ落ちる。


「なにそれ、酷いよ。そんなの……」


どうして? と、里桜は嗚咽を漏らした。


「……アルカを殺されるくらいなら、嫌われた方がマシさ。そうだろう?」


ファメールは震える手で里桜の細い首へと触れた。


「僕はこの罪を隠すつもりもない。キミに嫌われ、アルカやレアンに恨まれたのだとしてもね。最低の悪役なんて上等じゃないか。正に僕にピッタリの配役だ」


里桜は涙を流し抵抗する気力も無く、悲しみに打ちひしがれて暗い闇の中に落ちるような感覚を味わった。

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