第3話 翻弄

「里桜、シャワーを借りたいんだけれど、いいかな?」


ファメールの言葉に頷いて、「リビングを出て廊下を右に曲がった所だよ」と答えると、着替え終えたヴィベルがパタパタとリビングに入って来た。


「里桜、ガラスには触らないように。後でお手伝いの人が来るでしょうから、任せてください。それと、今日のパーティで着るドレスを買っておいてくださいね。早めに帰りますから。ファメール様、里桜に妙な真似をしたら許しませんからっ!」


まくし立てる様にそう言うと、慌ただしくネクタイを締めながら「いってきます!」と、玄関から出て行った。


「行ってらっしゃい……」

「心外な言葉をかけられた気もするけど、まあいいか。えーと、バスルームはリビングを出て右だね?」

「うん。あ、タオルの場所を教えるね」


ファメールと一緒にリビングを出ると、廊下を歩きながら、里桜は微笑んでファメールを見た。


「こっちの世界のファメールさんて、プラチナブロンドなんだね。とっても綺麗。銀髪みたいで羨ましいな」

「僕の両親はフランス人じゃないらしいからね。フランスは移民が多いから、どんな血が入っているのかさっぱりさ」


メールの宛先を思い出して、里桜は「そういえば……」と、続けた。


「こっちの世界だとミシェルって名前なのね。天使の名前だよね? 大天使ミカエルだっけ」

「養父が付けた名前さ。レアンの『ガブリエル』もね。ありきたりすぎて嫌なんだけれど」

「そお? 素敵だと思うけど。異世界では魔族だったのに、真逆だね」

「アルカらしいじゃないか。天使と真逆の世界に君臨するなんて。子供染みてるけれど、それだけに自分の名前にコンプレックスがあったんだろうね」

「アルカはカインなんだよね?」

「……うん。フランスではファーストネームがいくつでもつけられてね。もう一つのファーストネームが『サマエル』さ」

「天使の名前なの?」

「いいや」


ファメールは悲し気に金色の瞳を伏せた。


「……アルカは、カインの名も、サマエルの名も嫌がっていたよ。」

「どうして?」

「綴りが独特でね。『Caim』って書くんだけれど。それは、悪魔の名だからさ。サマエルもそう。でもこちらは有名かな? サマエルは、悪魔サタンと同一視されているしね」

「……え?」


足を止めた里桜に、「あとでゆっくり話そうか」と、ファメールは優しく微笑んだ。


バスルームの脱衣所でバスタオルをクローゼットから取り出すと、「これ、使ってね」と、里桜はファメールに手渡そうとした。


「ああ。ありがとう」


ファメールはスーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイを外したので、「あ。ハンガーも要るよね!」と、里桜は再びクローゼットを開いてハンガーを探した。

 クローゼットを閉じ、「はい。コレ……」と、ハンガーを手渡そうとした時、ファメールがYシャツも脱ぎ、上半身がすでに裸となっていたので、里桜は少し気恥ずかしくて目のやり場に困った。

 が、一見華奢な様で筋肉質な、白く美しい背中にある無数の傷に、里桜はそっと触れた。


「どうしたの? コレ。異世界でも沢山傷があったよね」

「僕は実の両親から虐待に遭っていたからね」

「え……?」


ファメールは背を向けたまま僅かにため息をついた。


「さぞ楽しかったろうね。身動き一つ取れなく縛り上げた無抵抗な子供を、ゆっくりと、けれど深くナイフで切りつける」

「覚えてるの?」

「まあね。痛みに耐え、自分の爪で手のひらに血が滲む程に強く握りしめた。痛みは、疑問から悲しみに変わる。何故僕をこの世界に生み出したんだと。この背中、まるで模様でも描いている様だと思わないかい?」

「……酷い」


ファメールの白い肌に赤く鮮血を滲ませ垂れ流しながら傷つける様を想像し、そんな行為をする大人を悍ましく思った。自分が触れる事でその傷痕が消えるのならどんなに良いかと願わずにはいられなかった。

ファメールはフッと笑って里桜に向き直ると、里桜の首筋に触れた。首筋に残る二つの小さな痕を優しく親指で擦る。


「レアンの噛み痕かい?」

「え? あ、うん。あんまり目立たないから気にしてないよ。むしろ、あの異世界での出来事は本当にあった事なんだって、実感が沸くから嬉しいくらい」

「僕やレアンは異世界からの影響は記憶や能力といった程度だけれど、キミには身体的にも影響があるのか」

「そうみたい。こっちの世界での私は眠っていたはずなのに、不思議だよね」

「……すまなかった」

「へ? どうしてファメールさんが謝るの?」

「キミを守りきれなかったからさ」

「そんな、別に……」


チュッと、里桜の首筋の噛み跡にキスをすると、ファメールは里桜を抱きしめた。


「ふぁ……ファメールさん!?」

「逢えて良かった」


カッと顔を赤らめた後、里桜は込み上げてくる涙をぐっと抑え込もうと唇を噛んだ。

異世界では冷たい印象であったファメールが、まさか『逢えて良かった』と言ってくれるとは思いもよらなかったからだ。

里桜がフランスに探しに行き、無事再開できたと何度となく想像した中のファメールは、ツンと澄ました様に眉を吊り上げて、『わざわざ探しに来てくれて、キミも暇だね』とあしらわれる事を想定していた。


ファメールに抱かれながら里桜は頷いた。


「……うん。逢いたかった。とっても」

「ヴィベルからのメールが最初に届いた時、僕はすぐにでも向かいたかったよ」

「ごめんね、沢山メールしちゃって」

「構わないさ。待たせてすまなかったね」

「ファメールさんは忙しいんだもの。私が向かえば良かったの。でも、お父さんの出所の事とか、会社の事でバタバタしちゃって……」

「忙しいのはお互い様さ。女性を迎えに行くのは男の役割だろう?」

「何? その王子様発言」


照れてわざと茶化して見せた里桜に、「ただの魔術師から王子様へ格上げとは、嬉しいじゃないか」と、悪びれもせずに答えたので、里桜はどう返して良いのか戸惑い、ファメールの腕に包まれる温もりが心地よくぎゅっと瞳を閉じた。


「震えているね。怖いのかい?」

「わかんない。でも、そうかも。やっと会えたから、また離れる事になったらって考えたら怖い。なんだか急に臆病になっちゃったのかな」

「……そんなことより、里桜」


ファメールはフッと笑うと、「一緒にシャワーを浴びる気かい?」と、言った。


「浴びません!!」


ぐっと両手でファメールを突き放そうとしたが、ファメールは里桜を抱きしめたまま離そうとしない。


「ちょ……! ファメールさん!」

「どうしようかな。離したくないなぁ。やっぱり一緒に入ろうか。でもキミには暫く処女で居て貰わないと困るしなぁ。まあ、一緒にシャワーを浴びる位なら別にいいかな?」

「全っ然良くないっ!」

「なんてね」


パッと里桜を開放すると、ファメールへの抵抗により息を切らせている里桜の頭を優しく撫ぜた。ニコニコと微笑み、子供をあやすように頭を撫でるファメールに、里桜は顔を真っ赤にして気恥ずかしそうに見上げた。


「ファメールさん、私もう20歳だよ。頭撫で撫でされても」

「分かってるさ。でもね、キミは頭を撫でると……」


 ファメールは里桜の唇にキスをした。


「!!!!!」

「……ほら。すぐ安心して隙を作るのさ」

「ど、どうしてキスなんか」


困惑し、涙目になる里桜を見つめ、ファメールは小さく笑った。


「どうしてって、キミの反応が面白いからさ」

「信じらんないっ!」

「相変わらずだね、里桜」

「もう、知らない!」


プリプリ怒ると、里桜はファメールをその場に残し脱衣所から出た。


 全くもう!ファメールさんてばどうしていつもああして飄々と人を揶揄うのかなぁっ!!どうせ私なんかあのヒトにかかれば掌の上で転がされて玩具扱いなんだ。男性に免疫のない私なんか翻弄されまくりで心臓が持たないのに酷いっ! と、怒りながらリビングへと向かうと、散乱したガラスの破片を目にしてガックリと項垂れた。

 ヴィベルから触らないようにと言われていたので、ガラスには触らないようにし、ダイニングの方のソファへと腰かけた。ヴィベルの趣味で置かれている大きな水槽を眺めて、水槽にあの義手が当たらなくて良かったな、と考えた。

 フト立ち上がり、リビングのテーブルの上から投げ込まれた義手を取り、再びダイニングのソファへと腰かけた。


『la racaille』と刻まれた文字を見て、眉を顰める。

 ラ・ラカイラル……と、頭の中で何度も繰り返すと、『アルカイン』の音に聞こえる様な気がして、その言葉の意味とを考えて唇を噛んだ。


「社会のクズ……か」


過去の大統領が移民に対して放った暴言。移民であるアルカ、ファメール、レアンの3人はその言葉をどう受け取ったのだろうか。しかし、ファメールは天文学者として権威があり、レアンは医者だと言っていた。アルカは養父の会社を引き継いで……


 ―――死の商人……!


死の商人とは、武器や兵器を販売する人たちの蔑称だ。里桜はIT企業として開発したプログラムやソフトウェアがそんな事に使われなくはない、と恐れ、契約を打ち切り、別の義肢メーカーとの契約をしたのだ。契約変更にはプロジェクトの組織移転等が絡む為、資金がかかる。それでヴィベルに相談をせず、勝手にお金を動かしたのだ。

 ……それはともかく。


 義肢と、戦争、兵器は結びつくのか……?と、頭を捻った。

 パラリンピックで見る義肢を装着した選手達の姿は美しくさえある。それに比べ、兵器は……いや、戦闘機や銃を見ると、畏怖よりも感じるのは、『カッコイイ』という憧れの感情ではないか? それは機能美故の感情なのだろうか。


 そう考えて、里桜は嫌な予感がフツフツと沸き起こった。


 アルカって、バカだから……


『見てみてコレ!! ロケットパンチ! かっこよくね!? ロケットキックもできるんだぜ!? スゲーだろっ!!』


 言いそう……


ガックリと項垂れて、里桜はため息をついた。

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