第4話 心の傷

 散乱したガラス片と共に、家の掃除も家政婦に任せ、里桜とファメールはパーティに出る為の服を買おうと、買い物に出る事にした。


「家政婦に任せて留守にして、大丈夫なのかい?」

「平気だよ。セキュリティはバッチリだもん」

「その割に義手が投げ込まれたじゃないか」


 車を走らせながら、里桜は苦笑いをした。


「だって、ファメールさん。あの義手、空から飛んできたとしか思えない……」


 里桜の家の境界は高い塀で覆われており、義手が投げ込まれたリビングは庭側にある為、庭を囲む植え込みで遮られ、とてもではないが通行人が近づけない様な造りになっていた。そこへ義手を投げ込む事は無理がある。


「セキュリティが甘いよ」

「普段から義手が飛んでくるような生活してないからね!?」


 ファメールは普段一体どんな暮らしをしているのだろう、と疑問に思った。チャーター機で来て、その上ヘリでこの近くまで来たのだと言っていた。天文学者はそれほどに給料が良いのだろうか?


 車を運転する里桜の隣でファメールは欠伸をすると、「運転手くらい雇えばいいのに」と、愚痴た。


「車の運転が好きなの!」


クラッチを踏み、ギアをチェンジさせると、里桜は愛しい愛車のハンドルを親指で摩った。


「イギリスの名車か。キミ、こんな趣味があるんだね」

「だってかわいいでしょ!? 私のMINI太っ!」

「……みにた?」

「この子の名前っ!」


里桜ははしゃいだように「くぅーっ!」と、声を上げると、ペラペラと車についてのうんちくを垂れ始めた。


「これね、一見黒く見えるかもしれないけれど、光が当たるとブルーなの! アンスラサイトブラックって言ってね、綺麗でしょお!? ラバーコーンはスプリングに換えて、車内のオーディオもカーナビも最新式! ミラーは車高が低くて後ろの車のヘッドライトが眩しいからデジタル式に変えてあるし、ドライブレコーダーも完備で、勿論ETCもつけたんだよ。見た目クラシック、中身は最新! 何もいじってないドノーマルもかっこいいけれど、この子もかっこいいでしょ!? 車速センサーもつけてトンネルの中でもちゃーんとナビが追従してくれるし、ハンドルは……」


ファメールはキョトンとして里桜を見た。

 里桜は異世界に居た時は随分と萎縮していたのか。こんなにも活発な女性だとは思わなかった。それとも、二年の月日が彼女を変えたのだろうか? と、考えて、まあ、嫌いじゃないなと、笑った。


「モトリタウッドステアリング。エアバックが無いのは僕としてはいただけないな。キミの身に何かあったら困るからね」


ファメールはそう言いながら、里桜の肩に掛かる髪に触れた。


「ちょっと! ファメールさん、運転中!」

「マニュアル車なんて両手が塞がれて好都合だね」

「好都合!? どういう……」


スッと里桜の太ももに手を置いて、その指先をスルリとももの内側へと滑らせたので、里桜が悲鳴を上げた。


「ファメールさん! 言っておくけど車内レコーダー動いてるんだからねっ! ヴィベルさんに筒抜けなんだからっ!」

「え?」


ファメールが瞳を上げると、ルームミラーの上部に小さなカメラのレンズが取り付けられているのが見えた。フッと笑うと、ファメールは里桜の左耳をペロリと舐めた。


「!!!!!」

「……ばかだなぁ、キミは。そんなことを言われたらこれみよがしにもっと色々したくなるじゃないか。端末の前で怒り狂うヴィベルを想像するだけで面白くて鳥肌が立つよ」


この男、ホンッと殺す!!


「ファメールさん、なんかキャラ変わってない!?」

「そお? どのあたりがさ?」

「前はここまでエロキャラじゃなかったような……?」

「何を言っているのさ。性欲が無ければ人類は滅んでしまうよ」

「せ……性欲って!」


 ——また人の事揶揄って遊んでるんだっ! 

 と、涙目になる里桜にニッコリと笑うと、ファメールはパッと手を離した。


「やめておこう。フェアじゃなかったね。キミには本気で僕に惚れてほしいから」

「ど……どうして惚れて欲しいの?」

「面白いから」

「私はちっとも面白くないっ!」


この男、いつかギャフンと言わせたいっっ!!


 突如コール音が車内に鳴り響き、里桜は驚いて応答した。スマートフォンをブルートゥース接続で車内オーディオに接続していたのだ。


『ファメール様っ!!! 里桜に手を出したら許しませんからねっ!!』


 スピーカーを通して車内に響くヴィベルの声に、里桜は苦笑いを浮かべた。


「……ヴィベルさん、タイミング悪すぎ」

『初心な女性を揶揄うなどと言語道断です! 現実世界には法律が存在するのですからねっ!』

「……ヴィベルさん、私二十歳だけど」

『いくつだろうと、私は里桜の保護者です!』


ギャンギャンと喚くヴィベルに、ファメールは「わかったわかった」と、肩を竦めると、聞こえてるなら丁度いいや、と、話し始めた。


「異世界での記憶の事だけれど。まあ、雑談として聞いてくれたらいい。エヴァ、アダム、リリス。どれも旧約聖書の登場人物だね。カインについてもそう。旧約聖書では、カインは弟を殺した為に罰せられ、神に追放される。とはいえ、慈悲深い神は追放先で殺されないように、カインの刻印を授け、カインを殺そうとしたものには七倍の報復がある、としたのだとか」

「それって、異世界での『眷属』? 私、アルカの眷属になったから、それでファメールさんが迂闊に手を出せなくなっちゃったんだよね?」

「そう。僕はキミを殺そうとして、できなかった」


ファメールは僅かに表情を曇らせると、「できなくて良かった」と、小さく言葉を発した。


「……とにかく、あの世界は聖書を元に創生されたような世界だとは思わないかい?」


ファメールの言葉にヴィベルも同意して返事をした。


『そうですね。私も調べました。確かに旧約聖書に妙に一致する点が多かった印象ですね』

「うん。聖書に詳しい人間があの異世界を作り上げたというのなら話は分かる。けれどね、不思議なのは、アルカは驚く程に宗教に疎いはずなんだ。全くと言っていい程に教会に足を運ぶ事をしなかったからね。というのも、僕やレアンが天使の名前であるのに、カインだけが悪魔の名だから、それをひけめに感じて、尚更に教会には行かなかったのかもしれない。フランスは移民大国だからね、さまざまな教会があるけれど、どの宗教に対してもアルカは拒絶していたんだ。養父はそういうこともあって、アルカをあまりよく思っていなかったのかもしれないけれど」

「でも、結局はアルカを養子にして、会社の権利もアルカに譲ったんでしょ?」


里桜の言葉にファメールは頷きながらため息をついた。


「そこが厄介なところさ。放っといてやれば良かったんだ。義肢の会社だなんて言って、裏で兵器の売買をするような会社さ」

『ファメール様、実は今朝方、里桜が取引を解約した義肢の会社がございまして。それというのも、裏では同様に死の商人を行っており、発覚のタイミングといい妙だと思いまして……』


ヴィベルは話しづらそうに言葉を濁した後、深いため息をついた。


『里桜。貴方にも話していませんでしたが、あの義肢制作会社は以前総一朗が代表を務めていた会社が買収され、その資本で事業展開した会社なのです。まさか裏であのような事をしているとは知りませんでしたが……』

「会社名は?」


ファメールの問いに、里桜は憂鬱そうに「ジグラート」と答えた。ファメールが頷き、「養父の会社名と一致するね。間違い無いだろう」と、ため息交じりに言った。


「どういう経緯かは分からないけれどね。たまたま養父が買収した会社が里桜の父親の元会社だったのか、それとも知っていて買収したのか。恐らく後者だとは思うけれど」


「それにしても、変じゃない? 私ですら死の商人をやってるって分かったんだよ? そんな簡単にばれちゃうなんて」


「そこが、アルカの仕業なんじゃないかと思ってるんだ。バレるようにわざと仕組んだ。だって、キミが気づいたのはつい最近だろう? 義肢の会社の設立は買収と同時だと思うけれど、四年も前だ。でも、武器売買はもっと以前からやっていたようなんだよ。アルカの目的まではわからないから確かめる必要があるけれど」


 里桜の父親の会社が倒産、買収をしたのが、ファメール達の養父……。偶然にしては出来過ぎている事実に、言い知れない不安が漂う。

 日本とフランス。飛行機で十三時間以上もかかる遠く離れたその地と、異世界で繋がってしまったという事の他に、現実世界でも奇妙な接点があったというのは不自然過ぎる。


「義手を投げ込んだのはどうしてなのかな? とっても危なかったと思うんだけど。契約を打ち切ったから怒ったのかな?」

「さて、ね。そもそも里桜が会社に関わってるかどうか、アルカが知っているかも分からない」

「レアンもアルカと一緒に居るんだよね?」


里桜の言葉にファメールは頷いた後、首を左右に振った。


「そのはずだけれど。気になるのは、キミを傷つけるような恐れのある乱暴な行為を、レアンが許すはずが無い。そもそも、二年前に異世界の記憶を持った時、レアンはキミに逢う事に抵抗がある様だった。アルカが昏睡状態のままという事もあったし、僕もあまり話題に出す事はしなかったけれどね」

「レアンは、私に会いたくないの?」


寂しげに俯く里桜に、ファメールは「そうじゃない」と、溜息をついた。


「異世界でキミを傷つけてしまった事に罪悪感を感じているだけさ。レアンから会いに行く事はしないだろうから、キミから会いに行ってやって欲しいんだ。あのお堅い性格だからね、本当は会いたくて堪らないはずさ」

「会いに行ってもいいの?」

「勿論。頼みこみたいくらいさ」


やれやれと肩を竦めて見せたファメールに、里桜はほっとして微笑んだ。

 レアンとの記憶は、首筋を噛まれたところで途絶えている。その後に何が起こったのか里桜には分からないが、別れもまともに言えないままだった。異世界でのレアンは里桜にとっては精神安定剤の様に落ち着ける相手だった。きっと現実世界でのレアンも変わらず、穏やかで優しい人に違いない。


「……ところで、ヴィベルはアルカと面識があるのかい? 異世界でキミはムアンドゥルガに居たよね? ということは、アルカに創生された、ということだ。アルカが創生したということは、面識が無いと無理なはずなんだけれど」


『……はい。七年前、里桜の母……私は姉と呼んでいますが、彼女と共にたまたまフランスに居ました。姉は医師で、私は義兄の会社で秘書を務めて日本に住んでいましたが、姉の母の訃報により帰国していたのです。そこで例の事件が起こり、姉と私は何か力になれないかと現場に駆け付けました』


里桜は込み入った話になりそうだ、と、車を近くのパーキングに入れて停車させた。


『アルカ様は……カインは、右手と左足を撃ち抜かれた状態で劇場から運び出されました。彼はパニック状態で、「ミシェル!! ガブリエル!!」と、叫んでいました。姉はカインの止血を施していたので、私がカインの言う二人はどこに居るのかと他の医療スタッフに確認して回りました。沢山の負傷者が運び込まれ、沢山の方が亡くなっていたので、撃たれたのなら亡くなっているだろう、と、医療スタッフの一人が首を左右に振りました。すると、カインは言ったのです。


「どうして。オレが死ねばよかったのに、悪魔の、オレが……!!」


私は怒鳴る様にカインの胸倉を掴みました。「バカなことを言わないでください! 貴方を助ける為に犠牲になった人がいるのでしょう!? 生きたくても亡くなってしまった人たちの為に、貴方は生きるのです!」と。必死でした。医療技術を持たない私は惨状の中本当に無力で、そんな自分の情けない気持ちを彼にぶつけてしまったのかもしれません。


 その時、騒然としている現場内で必死になって声を張り上げている、レポーターが言ったのです。


「フランス軍の空爆による報復テロの様です!」と。カインは、ピタリと動きを止めました。騒然としているはずのそこが妙に静かだったような気がして、私と姉は見入るようにカインを見つめたのです。


「……ごめん」


カインはそれだけ言うと、気を失い、目を覚ましませんでした。皆首を傾げましたよ。頭部に外傷が無いというのに、どうして彼は目を覚まさないのか、と』


ヴィベルが語り終えると、車内はシンと静まり返った。里桜は唇を噛み、俯き、ファメールは小さくため息をついた。


「バカだなぁ、アルカは。自分のせいで報復され、僕やレアンを死に追いやったと思ったんだね」


ぎゅっと、里桜は手を握りしめた。


 ——できることなら、その場でアルカを抱きしめて、貴方が必要です。大事ですと言いたい。

 と、里桜は悔しさで心が押しつぶされそうだった。

 たった一人で自分を追い詰めて、その存在を否定してしまった彼が、あの異世界を作り上げる程に傷つき絶望したのだと思うと、里桜自身の心もズキズキと痛んだ。


「でも、それでも今夜のパーティーで会えるんだよね? アルカがどう思ってるのかわかんないけど、早く会いたい」


里桜の言葉にヴィベルが『そうですね』と答えた後、あっと小さく声を上げた。


『すみません、打ち合わせの時間になりました。では後ほど。ファメール様、くれぐれも里桜におかしな真似は……』

「はいはい。キミが見ていないところですることにしたから」

『!!!!!!』

「ファメールさんヴィベルさんを揶揄うの止めてよ! 仕事に影響が出ちゃうからっ!」

「わかったわかった」


ブツッ! と、音を発して通話が途切れると、里桜はやれやれとため息をついた。


「里桜」

「ん?」


返事をすると、ファメールはニッコリと笑った。


「運転、させてくれないか? 国際免許は持ってるんだ」


「いいよ!」と頷くと、選手交代と、里桜とファメールは車から降りた。

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