第5話 偽物
高級店が立ち並ぶ一角へと車を走らせて停車させると、ファメールは何やらフランス語で電話を掛けた。
——ファメールさんてば、運転上手……荒っぽさは微塵も無いし、きっと日本の道路なんて狭くて走りづらいはずなのに。
と、ファメールを見つめると、彼は里桜にニコリと微笑んで、その綺麗な笑顔に思わずドキリとする。
「さ、行こうか」
「や、ちょっと待って。ここ、一時間しか路上駐車できないところだよ!?」
「大丈夫さ。秘書に電話しておいたから。自宅まで車を届けてくれるよ」
「へ!? か、帰りは!?」
「迎えが来るから気にしなくていい。さあ、行こうか」
スッと里桜に腕を差し出したので、里桜はため息をついてファメールの腕に摑まった。
「やれやれ。日本の夏が蒸し暑いって噂は本当だね。湿気の上に汗ばんで気味が悪い。僕も恰好を改めるべきか」
「ファメールさん、天文学者って秘書までつくものなの? それにチャーター機で日本に来たんだよね?」
「あれ? 気になるかい? 未来の旦那様のお財布事情」
ぷっと笑うと、「そういう冗談はいいから」と、里桜はため息を洩らした。
「まあ、いくつか会社を経営しているからね。生活には困らないと思うよ。あ、検索しても無駄。僕の名は出ないようにしてあるからね。バカ正直にランキングに名前を連ねるような真似はしない。危険だからね」
……ランキングって、世界の長者番付の事!? 一体何者……? と、里桜は苦笑いを浮かべた。
「私、ファメールさんて呼んじゃってるけれど、ミシェルさんて呼んだ方がいいのかな?」
「いいや。『ファメール』でいいよ」
「そ、そう? でも、どうして異世界では本名じゃなかったんだろう……」
小首を傾げた里桜に、ファメールは小さく頷いた。
「よくは分からないけれど、アルカが偶に僕やレアンをそう呼んだ事があった。言った後慌てて『間違えた!』と言い直していたけれどね。深く訊く様な事はしなかったけれど、アルカの古い知り合いに僕達は似ていたんじゃないかな。アルカにとっては、僕等は現実世界に居ながらに、偽物だったのかもしれない」
——現実世界よりも異世界の方が、アルカにとって居心地の良い場所だったのかな? だから、昏睡状態から目を覚ました後、こうして行方を
と、里桜は悲しくなって唇を噛みしめた。
束ねたプラチナブロンドの髪が太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。白い肌に長身で女性の様に美しい顔立ちのファメールを、道行く人が皆振り返ってまで見惚れた。仕草や物腰もスマートで上品な彼は、瞬きで揺れる睫毛一つですら魅力的だった。
里桜は自分があまりに不釣り合いな気がして、恥ずかしくて俯いた。
「どうしたのさ?」
「えーと、ファメールさんが目立つから」
え? と、自分を見下ろした後、「派手ではないと思っていたんだけど。日本でも外国人はさほど珍しく無いだろう?」と、言いながらサングラスを胸ポケットから取り出してかけた。
「里桜は随分地味な恰好だね。異世界に居た時と大して変わらないじゃないか。男物の服装が好きなのかい?」
「楽なんだもん」
「ふーん?」
ショーウィンドウに飾られた美しい衣服を見つめた。そしてガラスに移りこんだ自分の姿に、里桜はがっかりとしてため息をついた。無償に恥ずかしくなり、俯く。
——二年ぶりにアルカに逢えるのに、私、きっとアルカをがっかりさせちゃう……。二十歳なのに、お化粧すらまともにできないなんて、みっともない。もう少しおしゃれの勉強をしておけば良かったな。
ぺにょ。と、ファメールは里桜の胸に触れた後、両手でウエストの辺り軽く掴んだ。
「!!!!」
「せっかくスタイルがいいのに勿体ないなぁ。じゃあドレス以外にも色々と僕が見立てようじゃないか」
「ちょっと! 勝手に触らないでっ!!」
顔を真っ赤にする里桜に、ファメールはケラケラと笑うと、「じゃあ今度から断ってから触るとするか」と言ったので、「そういう意味じゃなくて!」と、里桜は触れられた胸を隠す様に自分の手で覆った。
いじけた様に唇を尖らせて、(ファメールさんは女性慣れしてるみたいだけど、私は全然免疫無いんだからっ!)と、心の中で文句を呟く。
「……アルカと感動的な再会にしようじゃないか」
「え?」
ふっと、ファメールが微笑んだ。その笑みに、まさかファメールはその為に買い物につきあってくれたのだろうかと、相変わらず口には出さない彼の気遣いの仕方に里桜は驚いて、彼の金色の瞳を見上げた。
「どうかしたのかい?」
「ううん。何でもない」
——どうしてこの人は素直じゃなく、いつもどこか捻った優しさを向けるのだろうか……?
「じゃあまずはそこの店からにしようか」
「え? いくつも行くの?」
「そりゃあそうさ。これからキミは僕の着せ替え人形になるんだ。覚悟して貰うからね」
「覚悟って……」
ニコリと微笑んで差し出されたその手に、里桜は遠慮がちに自らの手を乗せた。ファメールは里桜の指に口づけする素振りを見せ、そのまま手を引いてエスコートした。
ドキドキと鼓動する胸に、里桜は嬉恥ずかし唇を噛む。
——アルカ、やっと貴方に逢える。早く逢いたい。それなのに、少し怖い。きっとアルカは凄くカッコよく、そしていつものあの明るく包み込む様な笑顔で出迎えてくれるはず。私も、ちゃんと笑顔で『逢いたかった、ずっと逢いたかった』って言えるかな。話したい事は山ほどあるけれど、そんなことよりもアルカの灰色の瞳をじっと見つめて、異世界ではできなかった満面の笑顔を向けたい。
次々と色々な店に入っては、あれやこれやと里桜に服だの靴だの宝飾品だのとファメールが迷い無く買いまくり、ついでに美容室に連れていかれて髪を高く結い上げられて、化粧まで施された。
その間お金の事や自分には似合わない等といった里桜の抗議を一切受け付けず、ファメールは全て独断で決めていき、終いには
「着飾ったキミを最初に見たいんだよ。二年も待ったんだ。それくらい許してくれないか?」
と、キメ台詞まで言われてしまえば、もう好きにしてと里桜は何も言う気にもなれなかった。
すっかりと着飾って普段の自分とは別人となった里桜は、鏡に映る姿に苦笑いを浮かべた後、きゅっと唇を結んだ。折角ファメールが飾り上げてくれたのだから、項垂れて登場するわけにはいかない、と、高く履きなれないヒールに気を付けながら、背筋をピンと伸ばした。
喫煙室で葉巻を浅く吸いながら、ファメールはフランス語で電話を掛けていた。恐らく仕事の会話だろう。電話を切り、葉巻の火が消えるまで待った後、黒い皮製の手袋を直すと、「コツリ」というヒールの音に顔を向けた。
ワインレッドの艶やかなドレスは体の線がよく分かる程に滑らかな生地で、腿の上まで開いた深いスリットから細くスラリとした白い脚が色っぽく見えている。胸元も開いており、里桜の豊な胸が色っぽく、けれど品のあるシンプルデザインのワンピースだった。首に着けられた豪華なネックレスはサラサラと飾りが揺れるデザインとなっており、対になったピアスが輝き、白い肌を飾り立てている。
真っ赤に塗られた唇は僅かに笑みを浮かべており、ブルージルコンの大きな瞳を遠慮がちにファメールに向けていた。ブラウンの艶やかな髪は綺麗に飾り立てられて、緩やかに肩に落ちている。
サングラスを外し、金色の瞳を細め、ファメールは里桜を見つめて微笑んだ。何も言わないファメールに、里桜は少し怖気づいて、やっぱり似合わないだろうか、と、俯きかけて、その顎にファメールは優しく触れた。
「俯いたらダメだよ。里桜」
「ごめんなさい」
「いや、僕のほうこそすまない。美しすぎて絶句しちゃったよ。間違いなくアルカも喜ぶだろうね。驚く顔が楽しみさ」
「そ……そうかな?」
「たった二年と思っていたけれど、その二年で女性は美しく成長するものなんだね。少女から大人になったキミを一番に見る事ができて、僕は光栄さ」
「そんな、なんか、気恥ずかしいんだけど……」
顔を真っ赤にする里桜に小さくため息をつきながら、里桜の耳に触れ、白い首筋を指で撫でた。
「どうして僕のものにはならないのだろうね。それだけが残念でならないよ」
「え?」
「いや、なんでもない。さて、そろそろ戻ろうか」
時計を目にして、里桜はアッと小さく声を上げた。
「もうこんな時間なんだ。遅くなっちゃってゴメンね」
「とんでもない。楽しかったよ。あ! しまッタ!」
「え?」
ファメールは残念そうに片眉を下げると、肩を竦めた。
「着飾った後だとキミに色々できないじゃないか。口紅が落ちちゃうしね、残念」
「色々って!?」
「まあ、楽しみは今度にとっておくよ」
「ちょっと、ファメールさん、色々って!?」
「秘密」
ニッコリと無邪気に笑うと、ファメールは店を出て黒いリムジンへと里桜を促した。白い手袋の運転手が後部座席のドアを開けようとしたので、ファメールはそれを断り、代わりに自分でドアを開けて里桜をエスコートした後、自らも乗り込んだ。
革張りの柔らかいシートにちょこんと座りながら、里桜はキョロキョロと落ち着かない様子で辺りを見回した。
「なんていうか、ホント、恐縮。エスコートが完璧すぎて」
「普通さ。キミが経験無さすぎるんだよ。少しドライブして、パーティー会場へ向かおうか。日本の街並みを見物したくてね。お腹も空いてるだろう? 軽食を用意させたから、つまむといい」
「あ、うん。ありがと」
恐縮しちゃって何も食欲無いよ! と、里桜は苦笑いを浮かべた。
ゆっくりと走り出す車の中で、チラリとファメールを見つめた。長い脚を組んで座り、皮の手袋を外す姿が嫌に色っぽくて、里桜はじっと見つめた。
「どうしたのさ? 何か不満かい?」
「え!? 全然! あの、なんだかまた異世界に来ちゃったみたいな感じ。現実離れしてるっていうか」
「……なにがさ?」
「私、その、ダサかったから。シンデレラにでもなったような」
ファメールはクスクスと笑うと、金色の瞳を里桜に向けた。ドキリとして唇を噛む里桜を、「あー」と、残念そうに眉を下げて見つめ、長い指を里桜の頬に這わせた。
驚いて瞳を閉じた里桜の唇を優しく親指の腹で撫でて、「折角綺麗に口紅を引いたんだから、噛んだらダメだよ」と、耳元で低く色気のある声で言うファメールに、里桜は心臓がどうにかなってしまったのかと思う程に鼓動するので、涙目になって言葉を発した。
「ふぁ、ファメールさん、わ、わざと揶揄ってるでしょ!?」
「どうして?」
「私の反応見て楽しんでるでしょ!?」
「あ、わかっちゃったかい?」
ふっと笑って里桜から手を放すと、用意されていたシャンパンを口にして、ファメールはツンと片眉を上げて意地悪そうに里桜を見つめた。
——この人、相当な女ったらしなんじゃ? いや、そもそも人を揶揄うのが趣味の様な人なんだから、その辺りが性質が悪いよ。
と、大きなため息をつこうとして、代わりに大きな欠伸が里桜の口から出た。
「キミ、あまり寝ていないんだろう? 少し休むといいよ。パーティーまではまだ時間があるし」
思い出したかの様に訪れる睡魔に、里桜はブルージルコンの瞳を細めて瞬きをして、「確かに、徹夜してた」と、再び欠伸をした。
「ねえ、ひとつだけ聞いていいかい?」
シャンパンを飲みながら、ファメールは
「……キミは、今でもアルカが好きなのかい?」
瞳を閉じたまま、里桜は夢の世界に旅立ちそうになりながら、寝言のように答えた。
「わかんない」
片眉を上げ、ファメールは小首を傾げた。
「どうして?」
「二年て、思ったより長いんだよ。忘れた事なんて無かったけど、それでも生きてると色々あるものでしょう?」
「……まあ、確かにね。それにキミは、アルカが目覚めるかどうかも分からなかったわけだし」
「薄情かもしれないけど、異世界に居たのはほんの数か月で、その間アルカと過ごした時間なんて一週間にも満たないもの。留守がちで、ほとんどお城に居なかったじゃない」
「でも……」と、里桜は続けた。
「いつも夢に見てた。アルカに出会った時のこと……ずっと逢いたかった。ずっと……」
灰色の髪と瞳をした男が、心配そうに眉を寄せて「大丈夫?」と、気遣う様に手を差し伸べたあの日を思い出しながら、里桜は夢の世界へと旅立った。
ファメールは金色の瞳を細めて里桜の寝顔を見つめた後、シャンパンを一口飲んで里桜の肩にふわりと肩掛けを掛けた。
窓の外へと視線を向け、ビル群の隙間から偶に除く空を見つめる。
「それでも、キミはアルカを想っている」
ガリレオ・ガリレイが言った、『それでも地球は回っている』の言葉に準えて、ファメールは小さく呟いた。
意識せずとも、それが本当の姿なのだから、誰が何と言おうとも。
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