第6話 ラファエルの罪

 パーティー会場は都内の高層ビルのワンフロアだった。多くの招待客が既にパーティーを楽しんでおり、会場内では生演奏でのジャズが奏でられ、談笑する人々のBGMを担っていた。


 里桜はヴィベルと二人、会場内へと入場し、ファメールは少し建物内を探検してくると席を外した。


「居心地悪……知ってる人も居ないし、アウェイ感しかない」

「まあ、折角なので楽しみましょうか」

「レアンやアルカの姿は見当たらないね」


キョロキョロと辺りを見回す里桜を、ヴィベルはぼうっと見つめた。


 ブラウンの艶やかな髪がふんわりとカールされて肩に落ち、大きなブルージルコンの瞳は長い睫毛に縁どられ、輝く視線が向けられる先をつい追ってしまう程に洗練された眼差しだ。

 陶器の様に白い肌に、ドレスの色に合わせたワインの色を思わせる大人っぽい紅が唇に引かれ、微笑む度にドキリとする。


 いつの間にこれほどに女性らしく色っぽく成長したのだろう、と美しい里桜の姿に完全に見惚れていた。

 ヴィベルだけではなく、パーティー会場の他の客達も里桜にチラチラと視線を向けていたが、当の本人は全く気づきもせずに無邪気にヴィベルの肩に寄り添って微笑んでいた。


「随分豪華なパーティーだよね。何のパーティなのかわかんないけど。あ、『新製品完成記念パーティー』なんだ。あっちに書いてあるよ。ねぇ、ヴィベルさん」


 里桜に見惚れ、ぼうっとしていたヴィベルはハッとして、慌てたように頷いたので、里桜はクスリと小さく上品に笑った。


「どうしたの? あ、ごめん。こういう場では『ラファエルさん』って本名の方で呼ぶべきだよね」

「いえ、『ヴィベル』のままで結構です。ただ……その……すごく綺麗だと思いまして……!」


 小首を傾げ、何の事だと言わんばかりに振り返ったので、ヴィベルは「里桜がですよ!」と、付け加えた。里桜はキョトンとしてヴィベルを見つめ、僅かに首を捻った。お世辞が上手いなと思っている様子が顔に出ている。


「ありがと。ファメールさんたらドレス選び上手なんだもん。私も自分でびっくり。ヴィベルさんも素敵だよ。その姿、女性社員が見たら卒倒そっとうしちゃうんじゃない? モテモテだもんね」


 揶揄からかう様にそう言う里桜に、「私は里桜の美しさにめまいがしそうですよ」とボソリと小声でぼやいた。服を誉めたのではなく、里桜を誉めたのにそれをハッキリと言い出せない自分が情けない。


如何いかがですか?」


給仕係からシャンパンを勧められ、二人は気まずそうに見つめ合った。


「あ、大丈夫です。私は飲みませんから!」


酒に酔って、間違いだったとはいえ、里桜に暴力を振るってしまった経験から、ヴィベルはアルコールを完全に絶っていた。里桜はシャンパングラスを傾けてツッと飲むと、「もう気にしなくていいよ」と、ヴィベルに飲む様に勧めた。


「ごめんね、私の勘違いもあったのに」

「勘違いですか?」

「うん。あの、知らなかったの。男の人が、寝起きは……えーと……股間が」

「言わなくていいです!! ……ですが、暴力を振るってしまったことは確かですから!」

「間違って当たっちゃっただけなんでしょ? 仕方ないよ」

「いえ、『仕方ない』で片づけられるような事では無いんです。一生後悔しますし、そうでなければいけません」


グラスに口をつけずに俯くヴィベルに、里桜はヴィベルさんらしいなぁと小さくため息をついた。


 ヴィベルは姉の死にどうしても納得がいかなかった。義兄の総一朗を尊敬していたし、とても殺人を犯す様な人では無いと信じていた。それなのに、総一朗は無実だと言わないばかりか、自分のせいだと言うだけで、物的証拠から有罪として成立してしまう。なんとかして真実を知りたかった。しかし、そのことを里桜に伝えられなかった。

 思春期の彼女の事を思えば、実の母親の死を直接目の当たりにし、彼女自身が父親を通報したのだ。それが間違いであったのだと言うのは、憶測の段階で話すべきではない。

 編入先でいじめに遭っていたことも知っていたし、里桜に相談できないまま姉の死から二年の月日が経った。

 ストレスも心労も限界だった。世間からの非難の目は残酷だ。妻を殺した男を庇うような行為を、誰が受け入れるだろうか。ヴィベルは方々で散々に罵られ、外国人である彼のルックスから、日本から出て行けとすら言われ、相当な嫌がらせを受けた。

 だが、あと一歩というところで独自捜査に必要な資金が尽きた。ヴィベルは否応なしに里桜の貯金に手をつけたのだ。それが更に狂わせる要因だったのだろう。

 罪の意識からいつもよりも深酒をし、帰宅した里桜を目の当たりにしたとき、呂律ろれつが回らず、凄まじい頭痛と朦朧もうろうとする頭の中で必死に叫んでいた。


(違うんです、里桜。私を、そんな目で見ないでください!)

「止めて! 放してっ!!」


軽蔑の眼差しから、恐怖に引きれた表情へと変わる里桜。


(私を恐れないで、嫌わないでください! これは、こんなものは全て夢だ!!)


「止めて! !!」


 いつからだろうか。自分を『にいに』と言って慕ってくれていた里桜が、『叔父さん』と他人行儀に呼ぶようになったのは。


 自分を恐れる目。冷たい態度。『何故だ!! 前の里桜に戻って欲しい!!』とすがるように掴んだ手首。逃げようと更に暴れる里桜のもう片方の手を掴もうとした時に、誤って頬に当たってしまった。


 全てが終わった気分だった。里桜を壁に押し付け、彼女の瞳に映った自分の姿は鬼の様だった。


 繰り出された里桜の頭突きによる額の痛みを味わいながら、一人家で呆然としたまま時間を過ごした。

 昼過ぎ頃に里桜が病院に運ばれたと連絡が入り、彼の頭の中は虚無となった。


『里桜が昏睡状態になってしまったのは、自分のせいだ……』


 ヴィベルが負った罪の意識は計り知れないものだっただろう。ただでさえ傷つき孤独となった里桜に、自分は追い打ちをかけてしまったのだ。自業自得と一言で片づけられるようなものではななかったに違いない。


 しかし、昏睡状態から回復した里桜が開口一番伝えたことは……


『叔父さん、お母さんは自殺だよ。お父さんの無実を証明したいの、お願い、協力して!』


 涙を流し、里桜の回復を喜ぶのと同時にヴィベルの心は里桜に救われたのだ。


 ——音楽の奏でられるパーティー会場で、ヴィベルは口を付けないままのグラスを手に持ってため息をついた。


「里桜には、感謝してもしきれません」

「どうして?」


着飾った美しい里桜のブルージルコンの瞳で見つめられ、ヴィベルは照れて視線を外した。


「私を赦すと言ってくれるとは思いもしませんでしたから。嫌われている事も分かっていましたし」


 ヴィベルの発言に、里桜は慌てて首を左右に振った。


「ち、違うの! 嫌いというか、分からなかっただけだよ。私、自分の事にいっぱいいっぱいで、ヴィベルさんの事、全然考えて無かったの。なんていうか、側に居てくれたのがヴィベルさんだけだったから、日々のうっ憤というか、そういうのを全部ぶつけて八つ当たりしちゃったの。甘えてた。本当にごめんなさい」


虐めに遭い、荒んでいた頃の里桜は、ヴィベルを見つめる目も冷たく、軽蔑の眼差しを向けていた。ストレスのせいか、どんどん太っていくヴィベルに対し、自分なんかを引き取ったせいではと思いながらも、吐き出しようのない気持ちをどう整理すれば良いのか分からず、ただただ無視し、冷たい態度を取る事しかできなかったのだ。


「今だから話すけど」


と、里桜は僅かに俯いて照れたようにチラリとヴィベルを見た。その視線にドキリとしてヴィベルは瞬きした。


「私、中学生の頃、ヴィベルさんに憧れてたの」

「……え」

「初恋って程じゃないと思うけど、かっこいいなぁって思ってた。ヴィベルさんからすると、私なんて妹程度にしか思って無かったんだと思うけど、何処にでも後をついて行っちゃうくらいに私、懐いてたでしょう? あ、勿論今も素敵だと思うけど! モテるもんね、よくメールでラブレター貰ってるじゃない? 一日に何通も」

「里桜、私のメールを勝手に見ないでください……」


苦笑いを浮かべたヴィベルに、里桜は「ゴメン」と、悪戯っぽく笑った。


「ヴィベルさん、優しいし面倒見が良くて、いつも私を気にかけてくれたじゃない。叔父さんというよりも憧れのお兄さんだったよ。偶に塾に迎えに来てくれた時なんか、周りの子達が『かっこいい』って騒いでたんだよ。私も一緒になって照れながらも憧れてたの」


 ——その時口説いておけば……

 と、ヴィベルは考えて、いやそれでは自分は中学生の少女相手に口説くヤバイ男だ、と、苦笑いを浮かべた。


「そういえば、ヴィベルさん、婚約者が居なかったっけ?」

「とっくに振られましたよ」


 本当は、ヴィベルから別れを申し出たのだ。自分が務めた会社の倒産もそうだが、義兄の無実を証明する独自捜査の為に、ヴィベルは自分の一生を捧げる覚悟だった。

 それは勿論、里桜の為に、だ。彼女の狂いかけた人生を何とか元に戻したい。自分では彼女の支えにはなりえない。実の父親である総一朗に帰ってきて欲しいと切に願ったのだ。


 里桜はヴィベルのお腹に触れると「今はこんなにスマートなのに。より戻さないの?」と笑った。


「私は里桜の保護者ですから。里桜が結婚するまで私も結婚しません」


その言葉に里桜はぷっと噴き出すと、「それじゃあ一生結婚できないよ」と笑った。


「私、彼氏いない歴二十年、継続中だもん。結婚願望も無いけど」


どちらも結婚せず、二人でずっと一緒に暮らす。それはそれでいいかもしれない……と、つい考えて、ヴィベルは僅かに口元を綻ばせて俯いた。


「何言ってるのさ? 少子化時代に貢献せずに、キミは日本人としての自覚が足りないなぁ」


ファメールが二人の間に割って入ってくると、里桜の細い腰にスルリと手を回した。


「ヴィベル、姪に対して怪しい目で見るのは止めないか、いい歳のくせに」

「ファメール様こそ、私より一つ年下程度でしょう?」

「ファメールさん! 手が×!」

「胸じゃないからいいだろう?」

「だめ!」

「何処を触るのにも許可がいるのかい?」


里桜は顔を真っ赤にして、おろおろと狼狽えた。


「ちょっと! ファメールさん、揶揄うの止めてよ! 私、本当に免疫無いんだから!」


ファメールの手から逃れ、里桜はヴィベルの後ろに隠れるように寄り添った。その様子にファメールは僅かに含み笑いを漏らした。


 ——ヴィベル、キミは完全に男として意識されていないようだね。


「ファメール様、心の声が駄々洩れです」

「おや、失敬」


 この男にだけは絶対に里桜を渡さない、と、ヴィベルは頬をヒクつかせ、キミから許可を貰う気なんかサラサラ無い、と、ファメールはツンと鼻先を反らした。


二人の様子を不思議そうに見つめながら、里桜はシャンパンを飲み干した。


「ミシェル様」


そう声を掛けて黒いタキシードを着込んだ男性が来ると、品のあるお辞儀をして促す様に瞳をファメールへと向けた。


「ガブリエル様とカイン様がお待ちです。こちらへどうぞ」


 里桜は頭の中で、『ミシェルはファメールさんで、ガブリエルがレアン。カインはアルカ、だよね?』と、変換して、チラリとファメールを見つめた。


「呼びつけるなんて、偉そうじゃないか。僕はまだパーティ会場についたばかりだよ。楽しむ時間すら与えてくれないつもりかい? それに、僕には二人の連れがいるんだけれど」


「勿論、ラファエル様と里桜様もご一緒にと申し付かってございます」

「ラファエル? 誰だっけ」


わざとらしく惚けたファメールに、「私です……」と、ヴィベルが頬をヒク付かせて言い、「ああ、そうだ。そんな名だったね」とツンと鼻先を反らした。


「はいはい。仕方ないから行くとするか」


 給仕係にグラスを返すと、三人はタキシードの男について行くことにした。


 会場から出てエレベーターへと招き入れられて、タキシードの男がカードをかざすと、ボタンが無いはずのガラスプレートの階層に明かりが灯り、更に上階へとエレベータが上昇した。


 不安になり、里桜がファメールを見つめると、ファメールは微笑んで里桜の手を優しく握った。


 ポン……と音が鳴ると同時にエレベータが止まり、扉が開いた。タキシードの男にエスコートされ、柔らかいカーペットの廊下を歩くと、数段の段差があり、その先には木製の重厚な扉がそびえ立つように待ち構えていた。

 タキシードの男がノックを三回すると、「どうぞ」と扉の内側から声が聞こえた。


 ——アルカの声だ……!!


 里桜は自分でも驚く程にドキリと強く心臓が鼓動した。その鼓動は苦しくなるほどにドキドキと強く里桜自身を急き立てる様で、里桜は堪らずに唇を噛んだ。

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