第2話 交錯

「それにしても、ファメールさんよくここが分かったね」


里桜はファメールにソファに座る様にと勧めながらそう言った。里桜の勧めに従ってファメールはソファに腰かけて、「そりゃあ分かるさ」と、やれやれとため息をついた。


「ヴィベルがあれだけアプローチしてくれば分かるさ。C’etait comment aujourd’hui?(今日はどうだった?)って何度もね。会見での僕のメッセージを受け取ったからだろう?」


ヴィベルは頷くと、涙ぐむ瞳を抑えた。


「良かった。本当に! 私のメッセージが届いて良かったです……!」

「……いや、ホントしつこかった。勘弁してよね、全く。一日に千件とかありえないから。悪戯どころかストーカーやクラッカーじゃないかと問題になった程さ。今日はちょっとお仕置きにきたんだけれど」

「!!!!!」


どういうことだ? と、驚いたヴィベルの横で里桜は慌てて両手を合わせた。


「ご、ごめんね! ファメールさん。私がちょっとプログラムを入れて自動送信に……! 一日十件にしたつもりだったんだけれど、千件になってたのかも」

「里桜! だから私の名前でメールを送るのは止めてくださいとあれほど……!」

「保護者といいながら管理ができていないじゃないか、ヴィベル。異世界では僕はキミの上司だったはずだけれど。さて、どう詫びてもらおうかな」


すぅっと血の気が引いたヴィベルに、里桜は慌てた様にフォローを入れたが、ファメールは微笑みを浮かべたまま里桜の方へ首だけ動かした。


 ……こ、こわい! と、里桜はゴクリと息を呑んだ。


「十件でも多いと思うけれどね。……メールサーバーがパンク寸前になって、お陰で僕のアカウントは防犯の為に凍結されたのさ。そのせいで仕事が滞って忙殺されて、電話は鳴りやまず、挙句に過労で倒れたんだけれどどうしてくれるのさ!?」

「……ごめんなさい……」


まさかそんなことになってるなんて、やり過ぎた! と、里桜は青ざめながら謝った。ファメールは『アルカの仕業だったら百回殺してるね』と、異世界での口癖と同じ言葉を吐いてフンと鼻を鳴らし、やれやれと肩を竦めた。


「まあ、とりあえず、暫くは強制的に休暇を取る形となったわけだし。お陰でこうやってここに来る事ができたワケだけど」

「本当にごめんなさい!」

「もういいよ。で? ヴィベルは日本のIT企業の副社長なんだっけ?」


ファメールはキョロキョロと辺りを見回した。青い光を放つ黒く大きな筐体を見据え、いぶかし気に小首を傾げた。


「なんだい? コレ」

「わかんない。お父さんが昔どこかしらで手に入れた筐体なんだけど、サーバーなのかなんなのか。触ると叱られるからずっと放置してるの」

「ふーん?」


再び辺りを見渡して吹き抜けを見上げた後、「思ったよりも小さいね」と、小首を傾げた。


「ここは会社じゃないよ。私とヴィベルさんの二人暮らしのお家なの」

「ラウディは居ないのかい?」


ファメールの言うラウディとは、里桜の父親の事である。里桜は頷くと、「お父さんはアメリカの支社に行ってるよ」と、答えた。


「普段から海外の支社に行ってる事が多いから、住所も日本には置いていないの」

「ラウディの記憶はどうなのさ?」

「それが……お父さんにそのあたりを確認したくても、海外に行っちゃって捕まらないの。メールで聞こうにも、どう聞いていいものかも困るしで、なんとなく聞きそびれちゃって」

「なるほどね」


里桜はコーヒーをファメールに差し出して、テーブルの上に置いた。


「ファメールさんは記憶というか……アルカの話だと、事故に巻き込まれて亡くなってたんじゃなかったんだっけ?」

「それがね、僕もレアンも死んでなんかいないんだよ。アルカの勘違いにも困ったものさ」


 ファメールは里桜の差し出したコーヒーを一口飲んで両手を組むと、これまでの状況をつまんで説明した。


 ファメールの話によると、七年程前の劇場襲撃事件で体を撃ち抜かれたものの、急所は外れていて、命はおろか骨にすら影響が無かったのだとか。

 彼は元々フランス天文台で働く研究者でかなりの権威を持っていたが、二年前。ちょうど里桜が異世界から帰った時と同じくして、突然彼の脳内に異世界での記憶が降り注いだらしい。

 そこで、発見した新惑星に『リオ』と名付ける事で、日本に居る里桜に向けてのメッセージとしたのだ。

 異世界で現実世界の様子を投影した時、ヴィベルがこの世界に居ることは分かっていたので、ヴィベルが分かる言葉を敢えてテレビで添える事にした。


「レアンも元気だよ。彼は医者でね。本名はガブリエルというんだけれど、キミには『レアン』と呼んだ方がしっくりくるだろう? やはり彼も僕と同じように事件の時には死んでなんかいないし、異世界での記憶も同じように入り込んだようだよ」

「レアンに逢いたい!」


 瞳を輝かせた里桜に、ファメールは表情を曇らせた。その様子に里桜はレアンの身に何かまずい事でもあったのだろうと察し、口を噤んでファメールの隣のソファに腰かけた。

 ヴィベルも里桜の横にある一人掛けのソファへと腰を下ろし、話を聞こうとじっとファメールを見つめた。

 

「状況は少々複雑なんだ」

「と、言いますと?」


ヴィベルの言葉にファメールが頷いた。


「……実を言うとね。半年前、ずっと昏睡状態だったカインが、いや、アルカが目覚めたのさ」


アルカが!? と、瞳を見開き、里桜はファメールを見た、が、ファメールは表情を曇らせたままだったので、里桜は何も言わずにファメールの次の言葉を待った。


「アルカが眠っている間に、僕達の養父はアルカも僕とレアン同様養子にしていたんだけれど、生憎去年他界してね。その時、家督をアルカが引き継ぐ様にと手続きをしていて、もしもアルカが目覚めなかった場合は僕とレアンとで家を継ぐ予定だった。まあ、僕とレアンにとっては正直迷惑な話でしか無かったわけだけれどね。……それで、アルカが目覚めた時、レアンが担当医だったから、真っ先に僕に連絡が入った。けれど……」


ファメールは長い睫毛を伏せて、ため息をついた。


「僕が病院に駆けつけた時には、アルカはレアンと共に姿を消していた。六年以上もの永い昏睡状態から目覚めたばかりだというのにおかしな話さ。いくら筋肉が衰えない様にと補助機器を取り付けていたんだとしても、ね。だから、レアンが手伝ったんじゃないかと僕は思っているんだけれど」

「じゃあ、二人の居場所はわからないの?」


里桜の問いに、ファメールは首を左右に振った。


「いや、分かっている」


ファメールはため息をつくと、「日本さ」と、答えた。


「アルカの名は、カイン・サマエル・有賀。彼の出生については僕も良く知らない。僕やレアンよりも先に養父の元に既に居たんだからね。分かっている事と言えば、生まれはシリアで、本人はその辺りを知ってか知らずか、フランス空軍に入隊し、自分の生まれ故郷に対する空爆作戦に参加していた」


コーヒーを一口飲み、ファメールはそれで……と、続けた。


「アルカの右手と左足は例の劇場襲撃事件の時に打ち砕かれてしまったからね。養父はそれを期に義手・義足を作る会社を設立した。会社は思いのほか好調だった。それというのも、裏では死の商人をしていたからさ」


里桜とヴィベルは顔を見合わせた。

 確か、今朝方里桜が解約した取引先も表向きは義手・義足の制作会社だ。胸騒ぎを覚えながら、ファメールの次の言葉を待った。


「その会社の本社は日本にある。勿論、表向きの本社だけれどね。アルカとレアンは、恐らくそこに居るんじゃないかと思っている」

「アルカが目覚めたのが半年前なんでしょう? それからずっと日本に?」

「さーて、ね。僕も暫く……」


ガラスの割れる音と共に、破片が舞った。差し込む太陽の日差しに照らされて、砕け散ったガラス片がギラギラと鋭利な光を発し、その鋭い凶器が里桜を襲った。


「里桜!!!!」


ヴィベルが叫び、破片を体中に浴びてしまったであろう里桜へと駆け寄ろうとして、ピタリと足を止めた。

 里桜を守る様に薄水色のヴェールが展開されており、ガラス片はそのヴェールに遮られて空中に留まっていたのだ。ファメールがかざしていた手を握りしめるようにして払うと、薄水色のヴェールはふっと消え、パラパラとガラス片が床へと落ちた。


「ファメールさん、魔法……?」

「まあね。妙な事だけれど、異世界での記憶と共に魔術の使い方も習得したようだよ。怪我は無いかい?」


里桜が頷くと、ファメールとヴィベルはホッとした様にため息をついた。


「有難う、ファメールさん。こっちの世界でも魔法が使えるなんて、凄い!」

「まぁ、便利は便利だけれどね」

「しかし一体何が……」


家に投げ込まれ、ガラスを割った原因となった物をヴィベルが拾い上げた。


 それは、金属製のロボットの様な手だった。訝し気に眉をひそめるヴィベルに、ファメールは初見だと僅かに首を左右に振った。

 散乱するガラス片を見つめ、里桜に怪我が無かった事に改めてヴィベルは安堵すると共に、そんな危険な行為に及んだ何者かに対する怒りに震えた。大事な姪の里桜に怪我でもさせようものなら決して許しはしない、と、唇を噛みしめる。 


「あ――――ッ!!!」


里桜は驚愕して叫ぶと、黒い筐体がそのロボット様な手により完全に破壊されているのを指刺した。


「どうしよう! お父さんに叱られるっ!」


慌てて筐体に触れたが、金属製のケースは完全に大破し、内部の基盤も破壊され、熱で溶けていた。焦げ臭い臭いが鼻につき、電源ケーブルを引き抜きながら、里桜は涙目で筐体を見つめた。


「ハードディスクみたいなのも焼けちゃってる! どうしようっ!!」

「使っていないでしょうし、大丈夫ではないですか? それに里桜のせいではありませんし、総一朗も怒りませんよ」

「前に私が弄った時は雷親父みたいに怒ったもん~~~!」

「大丈夫ですよ。私が代わりに叱られますから。そんなことよりも、里桜、本当に怪我は無いですね? 無事ですよね?」

「大丈夫だけど大丈夫じゃないよ! 絶対怒るもんっ!」


ヴィベルが泣きそうになっている里桜を宥めて無事を確かめ、彼女に傷一つ無い事を念入りにチェックした。過保護とも言える程の心配っぷりに、ファメールが苦笑いを浮かべ、「ヴィベル、手に持っているそれを調べないのかい?」と促した。

 ハッとしてヴィベルは持っていたそれを凝視する。


「義手…ですかね? 何か書いてありますね。えーと……la racaille……」


小首を傾げたヴィベルに、ファメールは頷いた。


「『社会のクズ』か、アルカの仕業かな。それにしても随分と乱暴だね、らしくない。」

「里桜に怪我をさせるところでした。許せません!」

「面白いじゃないか。こっちの世界でも魔王になったアルカを、今度は僕も加わって退治しに行くのかな? 勇者里桜は健在のようだね」


ニヤリと笑ったファメールに、里桜は首をブンブンと左右に振った。


「え? 止めて!? まさかそんなことはしないよ!? 私、普通の女子大生だし!」

「……どこが普通なのさ?」

「へ? 普通でしょ!?」


何処が普通じゃないのだと言わんばかりに瞳を見開く里桜を見て、ファメールは呆れた様に片眉を吊り上げた。ヴィベルも同意したように頷いてため息をつく。


「普通の女子大生が、妙なプログラムでメールサーバーをパンクさせたりするかい?」

「ごめんなさい」

「全くです。普通の女子大生はハッキングしたりしません!」

「……ごめんなさい」


二人に交互に責められて、里桜は素直に謝った。


「義手に何か仕込んでありますね」


ヴィベルが義手の中から紙を取り出して開くと、ファメールへと渡した。


「パーティーへの招待状か。日程は今夜。里桜と、ヴィベル。それにご丁寧に僕の名まで。差出人は……『アダム』」


ピコン! と、端末に緊急情報が届いた音が鳴ったので、里桜はビクリと驚き、端末を手に取りフリップした。


「……なにこれ。ヘリコプター? 家の近所じゃない。届け出無しで着陸して去って行ったみたい。大騒ぎになってるよ。全く、酷い事するなぁ」

「ひょっとして、義手を投げ込んだ犯人では? ヘリの上から投げ込んだのかもしれません」

「でも、音なんかしなかったよね?」


里桜とヴィベルの言葉に、ファメールが気まずそうに咳払いをしたので、「え?」と、二人は同時にファメールに視線を向けた。


「チャーター機で入国したあと、この側までヘリで来たんだけれど……まずかったかい?」

「ファメールさんっ!!」

「いや、だって魔術で飛んだらもっと大騒ぎになっちゃうだろうし」

「そっちの方が見間違いで済みそうな気が……」

「瞬間転移の魔術は流石に魔力量が足りなくて使えなかったからね。日本は狭くて着陸場所に苦労したよ」


この人、めちゃくちゃだ……と、苦笑いを浮かべる里桜を、ファメールは金色の瞳を細めて見つめた。


「そうか、もしも魔族としての体質が健在なら、里桜の血を吸えば魔力量が増えるかもしれないね。キミ、ずっと処女で居てくれるとありがたいね」

「私はファメールさんの食べ物じゃないよっ!」


ヴィベルが二人のやり取りを困った様に見つめた後時計を見て、「あっ」と小さく叫んだ。


「出社しなければ! 副社長が遅刻とかありえませんからね! 急いで準備してきます!」


パタパタと自室に着替えに戻るヴィベルを見送った後、里桜はテーブルの上のコーヒーカップを片付けた。

 散乱しているガラスの破片をため息をついて見つめ、アダムだかアルカだか知らないけれど、酷い事するなぁ、と、眉を寄せた。が、彼に会えるという期待の方がずっと大きく、里桜はニマニマと笑みが顔に浮かばせながら、カップを洗った。

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