第二章 アルマゲドン編
第1話 朝焼け
カタカタとパソコンのキーボードを叩きながらフト窓の外へと視線を向けると、眩い朝日が空を朱に染めているのが見えた。白地に淡い桃色の細い糸で刺繍の施されたカーテンの隙間を覗いて、その美しさに目を細めてふっと笑う。
「夏休みバンザイっ!」
夜更かし……というよりは完徹だ。こんな風に朝まで起きていられるのも今日が夏休みだからだと、里桜は感謝するように声を発した。
一休みしてコーヒーでも飲もうと部屋から出て階段を下りるとリビングへと向かった。高い吹き抜けのリビングに入ると、青い光を放つ黒く大きな筐体の前を通過し、カウンターキッチンに置かれているコーヒーメーカーでコーヒーを淹れる。
豆を挽く音がリビングに響き、里桜はドキリとして唇を噛んだ。
――ヤバ。起こしちゃうかな……
フワリと辺りにコーヒーの良い香りが漂ってトポトポとドリップされると、リビングのドアが開けられる音が聞こえた。
「里桜ちゃん? 随分朝早いですね」
やっぱり起こしちゃったか……と、里桜はすまなそうに顔を上げてパジャマ姿の叔父に「起こしちゃってゴメン!」と、両手を合わせて謝罪した。
叔父はふっと笑ってブルートパーズの様な瞳を細めて「いいえ」と言い、「私にも淹れて頂けますか?」と、リビングにある端末を手に取った。
返事をして里桜は叔父のカップにコーヒーを注ぎ入れ、天窓から降り注ぐ朝日を眩しそうに見上げた。
今日は一日天気も良さそうだ。なんと清々しい朝なのだろうか。
「あ……」
端末を操作していた叔父が何かに気づき里桜を振り返ったので、里桜は慌てて目を逸らした。
「またですか……」
「ごめんなさい!」
すまなそうに謝る里桜にため息をつきながら叔父は端末を見つめた。テーブルの下からキーボードを取り出してカタカタと打つと、Enterキーをパチリと叩いた。
「……里桜ちゃん、私の名前で社員にメールを送るの、いい加減止めてもらえます?」
「ごめんなさい! ちょっと、その……ニコラが困ってたから!」
ニコラはフランス支社のアプリ開発部門の部長だ。確かに信頼の於ける社員ではあるが……と、叔父は困った様に里桜を見て眉を寄せた。
「だからって突然1000万円も動かします!?」
「えーと……」
「せめて一言相談してください。頼みますからっ!」
「はーい」
カップに注いだコーヒーを一つずつ両手に持つと、里桜は叔父の側に一つ置き、もう一つを一口飲みながら叔父が持つ端末を見つめた。
「義手・義足メーカーとの取引先を変えたんですね?」
「うん。前の取引先がちょっと、ね。これを見て」
叔父が持つ端末に里桜が触れてタップすると、メールリンクからWebサイトへ。そこから更にリンク先へ飛び、パスワードを入力しながら画面遷移を繰り返した。
「死の商人……?」
「そう。このメーカー、義手や義足を売るのは表向きみたい。大量の兵器を作って売っているみたいなの」
「総一朗に報告した方が良さそうですね。里桜ちゃん、流石です。私たちのプログラムを軍事目的に等使って欲しくありませんからね」
「でしょ!? 良かった!」
得意げに里桜は叔父に笑顔を向けた。
同じ端末を覗き込んでいたので、やけに顔が至近距離で、叔父は思わずパッと顔を背けた。
――全く、20歳になったというのに相変わらずこの子は防衛本能というか、自衛がなっていないというか警戒心がまるでないというか、無防備過ぎるというか……と、難しい顔をしてため息をついた。
里桜が昏睡状態から目を覚ましてから2年。叔父が新たに始めたIT企業は軌道にのり、里桜の父が無実として出所してからは、以前と同様に里桜の父である総一朗が代表になり、叔父は副社長として収まることになった。
ただ、意外な事に里桜にはマネジメントやコンサルタントの才能があり、表立って顔は公表しないものの、『リオ』という名で叔父の補佐役として仕事に携わっていた。勿論、その『リオ』がまさか大学生の少女だとは社員の誰も知らない。
感が良く優秀な『リオ』に相談すれば何でも解決する、と、半ば崇拝されるような人物となっていた。
ポン……と、小さく音が鳴り、端末が白い光を発した。
「あ。まただ」
端末に表示される新着メールの通知に里桜は見入る様にブルージルコンの瞳を向けた。叔父が端末を操作してメールを開くと、フランス語の短い文章が表示された。
「Tu es mon ange……『あなたは私の天使』。全く、何が言いたいのでしょうね」
里桜が叔父のアカウントを使う様になったのは、こういったメールが頻繁に来るようになったからだ。ただ、里桜を『ange(天使)』と呼ぶメールについては、文面がいつも短文な事から、同一人物によるものではと考えられたが、送り先の特定ができない不可思議なネットワークを駆使されていた。
「天使なんて柄じゃないのに。変なの」
空になったコーヒーカップをキッチンに置くと、里桜はソファに座る叔父の後ろから甘える様に両手を伸ばし、叔父の両肩を肩もみした。
「ね、ヴィベルさん。夏休みだし、フランスに行きたいなー……なんて」
昏睡状態から回復した里桜は叔父の事を『ヴィベルさん』と呼ぶ様になっていた。叔父の本名はラファエルだが、里桜が異世界から戻って来た時に、現実世界の叔父に突如異世界での記憶が舞い降りた。最初は長い夢でも見ていたのかと不思議な感覚であったが、里桜と話すうちにそれはただの夢とは言えないのだと理解した。
「……探したいのでしょう?」
「うん」
里桜は力強く頷くと、ソファの背もたれに顎を乗せた。
「ヴィベルさんが異世界での記憶があるのなら、きっと皆もどこかに存在してると思うの。私、ファメールさんとレアンは現実世界では亡くなってるんだって聞いていたけれど、そうじゃないと思うの。だって……」
「ええ。わかっています。まずはファメール様ですね?」
フランスの天文学者が発見した新惑星に『リオ』と名づけた。そして、それを発表するテレビでの会見時に発した言葉は、ファメールとヴィベルが聞いた里桜の寝言だ。今ある手がかりといえばそれくらいだが、有力な手掛かりであることに違いない。一つ問題と言えば、その天文学者の消息が不明だということだ。
「フランスのどこかに居るのはわかってるんだから。とりあえず行ってみないことにはって思うの」
ヴィベルはフム、と考えて「まあ、いいでしょう。いつ発ちますか?」と振り返ると、ゴチッ! っと里桜と頭をぶつけた。
「……痛っ!」
「ごめん!」
里桜は慌てて謝った。里桜の頭はかなりの石頭で、ダメージを負ったのはヴィベルだけだ。
ヴィベルが悶絶していると『ピンポーン』と、玄関のチャイムが鳴った。
時計を見るとAM 5:12 を差している。こんな時間に来客だなんて……と、二人は顔を見合わせた。
端末を操作し、玄関前のカメラへと接続すると、長いプラチナブロンドを肩の辺りで緩く結わえた外国人らしき者が立っている様子が見えた。サングラスをかけ、黒地のスーツ姿で真夏には不釣り合いな服装だ。一体誰だろうと首を捻りながらヴィベルが「はい」と出ると、その来客が口元を僅かに綻ばせる様子が分かった。
『Coucou.je suis la』
来客が放った言葉を聞き、ヴィベルは慌てた様に立ち上がった。里桜は意味がわからず彼の背を見送ると、玄関先で興奮したようにまくし立てるフランス語が聞こえた。
――早口過ぎて全然わかんない……と、里桜が苦笑いをしていると、話し声がリビングに近づいて来たので、先ほどの来客をどうやらヴィベルが室内に招き入れたのだということが分かった。
「時差のせいで朝早くて悪いんだけれど、起きてて助かったよ」
日本語だ。と思った時、リビングに入って来たその人を見て、里桜は思わず立ち上がった。
彼はサングラスを外していた。プラチナブロンドに金色の瞳をしたその人は、里桜を見て小さくため息をついた。
長い睫毛に一見女性とも見間違える程の美しい顔立ち。スラリとした長身を高級そうなスーツで包み、品のある赤紫色のネクタイに銀色のタイピンを差し、アメジストのカフスボタンが袖口から見え隠れしている。
男性だというのに妖艶ともいえる妙な色気が漂っていて、ふんわりと甘い金木犀の香りが里桜の鼻を擽った。
「……ファメールさん……!?」
「やあ、里桜。久しぶりだね」
ニッコリと笑うファメールに、里桜は思わずポロリと涙を零した。その様子を見てファメールが片眉を吊り上げると、里桜はタッと駆けてファメールに抱き付いた。
「逢いに行こうと思ってたの! 探しに行こうって!」
「そうか、それは危なかったね。入れ違いになる危険性があったというわけか」
「逢いたかった!」
この瞬間をどれほどに待ち焦がれていただろうか。里桜は込み上げる嬉しさとも悲しさとも付かない様な感情にどうしようもなく、ファメールの存在を確かめる様に全ての五感を開放した。
細身ながら鍛えられた筋肉の感触に、倫とした低く心地よい声質。
――異世界であったファメールさんだ。本物だ。本当に、存在したんだ!!
「逢いに来てくれて嬉しい。すっごく嬉しいっ! ファメールさん! 本物の!」
ファメールは特に動じるそぶりもなく落ち着いた様子でフッと笑うと、金色の瞳で里桜を見下ろした。
「里桜、胸が更に成長したようだね」
「!!!!」
咄嗟にファメールから離れ顔を真っ赤にする里桜に、ファメールは悪戯っぽく微笑んだ。
「その反応……。なるほど、ということはキミは未だ……」
ヴィベルが咳払いをすると、ファメールの荷物をリビングに運び入れながら「ファメール様、一応私はこちらでは里桜の保護者なので」と、ため息をついた。
「保護者……ねぇ?」
チロリと金色の瞳でヴィベルを見た後、ファメールはフッと小さく笑った。
……保護者だって? 臆して手を出せなかっただけじゃないか。酔った勢いでも失敗したくせに。
「ファメール様」
「何さ?」
「心の声が駄々洩れです」
「おや、失敬。日本では二十歳の処女は珍しくないようだね」
「珍しくないことも無いかもしれませんが、里桜の場合は色恋に関してはさっぱりでして」
「要するにモテないんだね?」
「うーん。休日も引きこもってばかりで外出しませんし、若い娘が一日中端末に向かってプログラミングしてるんですから、出会いも何もありませんよ」
「ヲタクなのかい?」
「そんなところです」
「残念じゃないか。胸ばかり大きくなっても、男の一人も居ないだなんて」
「もう! 感動の再会をぶち壊すのやめてよ!」
ぷんすかと里桜が怒ると、ファメールがはいはいと肩を竦めた。その様子をヴィベルは微笑ましく思って見つめた。
里桜がどれほどにこの瞬間を望み焦がれていたのかを知っているヴィベルにとっても、ファメールとの再会は手を叩いて祝いたいくらいに嬉しい事だった。
里桜の肩が小刻みに震えている。嬉しくて堪らず、その感情が溢れて制御ができなくなっているのだろうか。ファメールは口元を柔らかく綻ばせて、里桜の手を取った。そしてその手を自分の顔へと引くと、手のひらにキスをした。
ファメールの柔らかい唇の感触を手のひらに感じ、顔を真っ赤にする里桜に金色の瞳を向け、彼は僅かに頷いた。
「うん。間違いなくキミは『リオ』だ」
赤面しながらも里桜はファメールの金色の瞳を見つめた。心なしか異世界での彼よりも物腰が柔らかい様に感じた。
「僕は、キミが望んだ『僕』かい?」
輝くプラチナブロンドの髪に朝日が差し込み、銀髪の様に光を放つファメールは、神話の世界から舞い降りた天使の如く美しく、里桜はブルージルコンの瞳を細めた。
「望み以上だよ。ファメールさん」
里桜の言葉にふっと笑い「それは良かった」と、ファメールは安心した様に小さくため息をついた。
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