第17話 灰色の魔王

 里桜を見つめるアルカに、里桜もつられるようにアルカを見つめた。灰色の瞳に吸い込まれる様に目が離せない。

 ――アルカの顔って、やっぱり綺麗だな……と見とれてしまい、アルカが里桜の顎に触れた事すら気づかない程に見入っていた。

 ふと、アルカが里桜から視線を外し、里桜の背後を凝視した。里桜は何か後ろに居るのかと振り返ろうとした時、アルカは素早く立ち上がり進み出て里桜を自分の後方へと回した。


 剣の柄に手を掛け、すぐにでも抜けるように構える。


「アルカ?」

「リオ、後ろ向いてて。すぐ済む」


里桜の耳にパリパリと耳障りで、聞いただけで背筋に悪寒が走るような気味の悪い音が響いた。


「アルカ!? な……何!?」


アルカの言いつけ通りに見ない様にしていた里桜は、不安になって声を発した。


「リオの苦手なでっかい虫」

「ど、どんなやつ!?」

「えーと、超巨大ムカデ」

「いやあああああ!!」


 咄嗟に上げた里桜の悲鳴にアルカは驚き「や、だから見るなって……」と宥めようとしたが、里桜は最早大パニックに陥っていた。


「いや! 絶対嫌! 音も嫌っ!! そんなの切った剣も嫌! アルカも嫌!!」

「ちょ……」

「魔法でやっつけて! でも燃やさないで! 匂いもいやぁ――っ!!!!」

「わ、分かった! え、えーと……」


 雷……は、焼けるから臭ってダメか。水……は、夢現逃花に大被害がありそうだし。氷! よし!! と、アルカはあわあわと詠唱を始めた。

 その隙は巨大ムカデの攻撃を許し、長い針の様な棘を投げつけられた。アルカは詠唱をしながら里桜を守る為その棘を手でバチンと払った。


「……凍れる国より伊吹を召喚す。アイスフロスト!!」


 ヒュウッと、里桜の頬を冷たい風が撫でた。巨大ムカデは一瞬のうちに氷のオブジェと化し、アルカは満足げに鼻の下を擦ると、里桜を抱きかかえて翼を生やした。


「退散退散っと!」


 ゆっくりと滝つぼの畔で待つ白馬の元へと降り立つと、里桜を安心させようと優しく撫でた。


「怖がらせちまってゴメンな。大丈夫か?」

「もう居ない? 虫」


 瞳をぎゅっと閉じている里桜に微笑みかけて「もう居ない」と言うと、里桜はホッとして瞳を開けた。そしてアルカの手から流れる血を見て悲鳴を上げた。


「なに!? 怪我してるじゃない!!」

「ん? あー、舐めときゃ治るよ」

「そんな小さな傷じゃないじゃないよっ!」


 里桜は慌ててハンカチを水で濡らすと、「手袋外せる?」と、心配そうに聞いた。アルカは白い手袋を外して里桜にされるがままに治療を受けた。


 里桜は震える手を抑えながらアルカの傷をハンカチで拭いた。


「い、痛い?」

「いんや? リオに手当して貰えるなんて幸せ」


 傷口は思ったよりも浅く里桜はホッとした。けれど、赤々と流れ出る血が里桜を恐怖させた。


 お母さんも、沢山、血が……。


「リオ?」


カタカタと震える里桜にアルカは声を掛けたが、里桜は震えたまま答えなかった。


「リオ!」


アルカは里桜を抱きしめると、背を優しく撫でた。


「大丈夫か? なあ、リオ!」


 ハッとして里桜は「あ、ごめん! 私……!」と離れようとしたが、アルカはそのまま宥める様にポンポンと里桜の背を叩いた。


「ごめんな。怖い思いさせちまって。驚いたろ? ホント、悪かった」

「ううん。アルカ、怪我は大丈夫?」

「全っ然平気! 慣れっこだしこんなの。それより里桜をぎゅってできる方が幸せ」

「アルカ!?」


里桜の髪の匂いを嗅いでアルカは里桜の頭にキスをした。


「……ありがとう、オレなんかの心配してくれて。なんかちょっと感動した」


アルカの穏やかな声に包まれて里桜は首を左右に振った。甘い、香木の様な香りが里桜を包んでいる。


「初めて会った時にもさ、里桜はオレの事心配してくれたよな。火傷、大丈夫なのかって。あれさ、スッゲー嬉しかった」

「そんなの、誰だって心配するよ! アルカも心配してくれたし、傷、治してくれたじゃない」

「そっか」

「うん」


 ――あー、やべー。キスしてぇ……。と、アルカは思ったが、ぐっと堪えて里桜から離れた。


「よし、じゃあそろそろ王都に戻るか!」

「アルカ、どうしたの? 頬がヒクついてるよ?」

「ぜーんぜんだいじょーぶ! 絶好調っ! はっはーん!」


 里桜を白馬に乗せて再び詠唱し、空を駆けた。背に伝わる里桜の温もりに、アルカは幸せを噛み締める。


「アルカ、次は何処に行くの?」

「えーと、城」

「え!?」

「案内するよ、城の中。中庭の庭園は女の子の好みだろうなーって」


そう言ったあと、アルカは静かにため息をついた。


「……リオ、ごめんな」

「え?」

「ムアンドゥルガなんかに連れて来ちまって」

「どうして? 私、アルカに助けて貰ったと思ってるのに」

「里桜が女の子だって分かってたら連れて来なかった」


里桜は何も言わず俯いた。


「しかも処女だなんて。かなり危険だってのに軽率だったよ。今からでも遅くない。アシェントリアに帰るか?」

「それは嫌!」


アルカに捕まる手にぎゅっと力が入った。


「帰る場所なんか無いもの! ここにいさせて!」

「……リオ」

「アルカが助けてくれたんじゃない。手を差し伸べてくれたんじゃない! すっごく嬉しかったの。その手を離すなんて言わないで。なんでもするから。お願いだから……」


自分の居場所が何処にもない不安で里桜は押しつぶされそうだった。

 ――どうしてこんなことになってしまったんだろう。私が人を信用しなかったから、だから誰にも信用してもらえず居場所すら無くしてしまったのかな。もう遅いの? 何をしても無理なの? 信用は取り返せないのかな?


「なんでもするから。お願い。捨てないで……アルカ」


震える里桜の手に優しく触れると、アルカは唇を噛んだ。


「悪かった。ごめん。捨てるとかそんなつもりじゃなかった」


 砂漠を越え、白馬がムアンドゥルガの城へと舞い戻るとフワリと門の前へと降り立った。身軽に白馬から降りて、アルカは里桜に手を差し伸べた。


「お城に勝手に入って大丈夫なの?」


アルカの手を取りながら里桜が白馬から降りると、アルカはニッと笑った。


「全っ然平気!」


里桜の手を取ってどんどん王城の中へと足を踏み入れて行くアルカを、里桜は不安気に見つめた。


 ――いきなりドラゴンとか現れて火を噴いたりしない……よね?


「ね、ねえ、王城には魔王が……」

「おかえりなさいませ。アルカイン国王陛下」


衛兵が敬礼し、アルカが愛想良く手を上げた。里桜は瞳を見開いてアルカを見つめた。


 ――今、なんて……?


「中庭の準備は整えております、アルカイン国王陛下」

「ああ、サンキュー」


 悠々と歩を進めるアルカの後ろを呆然としながらリオはついていくのでいっぱいで、脳内に『アルカイン国王陛下』の言葉がぐるぐると回った。


 ――ウソ。アルカが、この国の国王……? ということは、魔王……?


 延々と続く群青色の絨毯を踏みしめながら歩いて行くと、眩い日差しの差し込む中庭へと出た。中央には立派な装飾が施された純白の噴水が供えられ、流れ出る水は太陽の光を反射させてキラキラと水晶の様に輝いていた。

 アーチ状のバラの木には真紅のバラが咲き乱れ、その奥には青銅製の椅子とテーブルが置かれており、使用人達がお茶やケーキの準備をして待っていた。

 普段の里桜ならば大喜びではしゃぎ、やれ花が綺麗だの噴水が素敵だのケーキが美味しそうだのと言っている事だろう。


 けれど……


「アルカ……」

「うん?」

「アルカは、ムアンドゥルガの国王なの?」


アルカは頷くと、胸に手を当てて里桜の前で僅かにお辞儀をした。


「アルカイン・ダレル・ムアンドゥルガ。人間にもっとも忌み嫌われる魔族の王さ」


灰色の大きな瞳を真っ直ぐと里桜に向け、アルカは名乗った。


 里桜の脳裏には、アルカに剣先を突き付ける自分の姿が浮かんでいた。『魔王、アルカイン・ダレル・ムアンドゥルガ。貴方を退治します』そう叫び、アルカの胸に深く剣を突き立てる。

 血まみれとなった母親の姿がフラッシュバックされ、その遺体はアルカへと変わった。見下ろす自分の両手が真っ赤に染まっており、血を流して倒れるアルカは微動だにしない。


「うそ……」

「え?」

「止めて。そんなの嘘。嫌っ!」


 踵を返し里桜はドレスの裾をたくし上げると、元来た道を一目散に駆け戻った。群青色の絨毯に足がもつれ転ぶと、ぐしゃぐしゃに涙を零して泣いた。


 ――うそ……アルカが魔王だなんて。私、アルカを殺さないと日本に帰れないの?そんな、そんな事って! どうしたらいいんだろう。私、一体どうしたら……!!

 嗚咽を漏らし、呼吸をするのも苦しい程に里桜は泣いた。何も考えられなくなる程に。


 もう、帰れなくたっていい。


 どうかお願い。ここに居させて! ……ダメかな?……アルカ……。


 そんなことは赦されないの? 逃げたらダメだもん。そんなこと、許されないよね? 私。どうしたら……


「……リオ?」


コツリと足音を立てて大きな人影が近づいて来た。彼は里桜の前でしゃがみ、心配そうに見つめた。


「どうしました? 大丈夫ですか?」


レアンだ。里桜は咄嗟にレアンに抱き付くと、嗚咽を漏らして泣きじゃくった。

 その様子を後を追ってきたアルカが見つけ、困り果てているレアンと目が合った。アルカは気まずそうに項を掻き、俯いてその場に立ち尽くした。


「レアン、アルカが国王だって、魔王だって言うの。嘘だよね? ねえ?」


アルカが居る事に気づかずに里桜は泣きながら言った。


「嘘だよねぇ……!」


 里桜は何を気にして心を傷めているのだろうと、レアンは全く分からなかった。アルカが国王であることが里桜にとって何か不都合があるのかと一生懸命考えたが、見当がつかなかった。

 優しく里桜の背を撫でて、レアンは落ち着く様に宥めた。


「リオ、教えてください。リオはアルカが王だと困るのですか?」

「……うん」

「何故です?」


「殺したく、無いから……!」


「え……?」

「私、アシェントリアの女王様にムアンドゥルガの魔王を討伐するように言われたの」


レアンはアルカに視線を向けた。アルカは寂しげな瞳をし、頷いた。

 ぎゅっと歯を噛み締めて、レアンは優しく里桜の頭を撫でた。


「リオ、聞いてください。そんな約束守る必要等……」

「私、この世界の人間じゃないの! アルカを殺さないと元の世界に帰れないの!! エルティナさんに召喚されてこの世界に来ちゃったんだもの!」

「……え?」


異世界からの、召喚……?


 ――里桜が最初に身に着けていたあの衣服。あの素材は確かに見たことの無い素材だった。

 レアンはヒヤリと悪寒を走らせて息を呑んだ。里桜が異世界の人間だとするなら、全てに辻褄が合う。魔族に対しての無知も、そのくせ身に着けているマナーや知識もだ。


「……リオ」


アルカが声を発した。里桜はアルカが居る事に驚いて顔を上げ、振り返ってアルカを見つめた。


「残念だけど、リオにオレを殺す事はできない。ごめん」


 アルカは剣を抜いた。ギラリと光る刃に里桜は死を意識し、恐怖で顔を強張らせた。

 ――そっか、私、アルカに殺されちゃうんだ。そしたら、確かにアルカを殺す事ができないもの。


 思えば、そういう運命だったのかもしれない。

 剣を扱ったことすら無いただの女子高生が、魔王を討伐することなどできるはずが無いのだ。里桜は自分でもそれを理解していた。きっと、魔王に殺される。むしろそれを望んでいた。自分の居場所等どこにもない。


 それならば、いっそ……。

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