第26話 押し潜めた想い

「リオ」


アルカは優しく里桜の背を撫でた。落ち着かせようと頭を撫で、灰色の瞳で見つめた。


「大丈夫だって! ほら、心配すんな。な? オレ、こんなん全っ然平気だし!」

「でも……」

「痛みなんか慣れっこなんだ。いや、ホント。リオが心を傷めることなんか全然無いんだぜ? 好きでやってることだしな。大体、オレが魔力供給しなけりゃ、魔法障壁が国全体に張れなくなるってだけの話なんだし、大して困りゃしねーよ。外交にちょっとばかし影響があるってんでやってるだけでさ!」


 アルカはいつもの愛嬌のある笑顔を里桜に向け、「でも、ありがとな」と、里桜の頬に触れた。


「リオはいつもオレを心配してくれるんだな。嬉しいぜ」

「心配するよ。アルカはいつも私を助けてくれるもの」

「……ありがとう。を」

じゃないよ。アルカが居なかったら、私……」


 この洞窟で里桜が初めて声に出し、『助けて』と叫んだ時、アルカは手を差し伸べてくれたのだ。


 母の事、父の事、学校の事、叔父の事。そして突如召喚されたこの世界の事。


 悲しみと恐怖と不安とが混じり、心についた深い傷は骨にまで届きそうな程で、それは痛みすら伴い、更なる恐怖を引き立てる。

 そんなときに手を差し伸べてくれたのがアルカなのだ。


「初めてアルカに会った時、助けてくれて本当に救われたの。アルカに会えて良かった」


ふっと笑うと、「ファーストキスは奪われちゃったけれどね」と、里桜ははにかむようにアルカを見た。


「あー……うん。そうだった。ゴメン。ちゃんと謝ってなかった。悪気は無かったんだけど」

「いいよ。悪気どころか治療してくれたんだものね。私こそ怒ったりなんかしてごめんね」

「いや、怒って当然だよなあ。ホント、ごめん」


 アルカは里桜にキスした時の事を思い出して、そういばやけに柔らかくて、男だと思いつつもつい気持ちよくて少しだけ舌を入れたんだっけな、と、苦笑いを浮かべた。


「言っちゃあなんだけど、ホント柔らかくて最高に心地いいキスだったぜ? ヤバイって思ったし」

「もう! 変な事言わないで!」


へらへら笑うアルカを里桜は頬を膨らませて睨みつけた。


「にしてもファメールの奴、なんだって突然リオをこんなところに連れて来たんだ?」

「私が会いたがったからかな」

「へ? オレに? 何で??」


 うっと里桜は怯み、顔を真っ赤にして俯いた。アルカは不思議そうに小首を傾げ、「リオ?」と、声を掛けようとしたとき、里桜はボソリと小さく呟いた。


「……エルティナさんに、アルカが逢いにいってるのかなって」


シンと、僅かに間が空いた。アルカは明らかに動揺したようで、ゴクリと息を呑んだ。


「な……なんで。エルティナちゃん?」

「ファメールさんが、アルカはちょくちょくエルティナさんに逢いに行ってるって言ってたから」

「うそ! あいつ、なんでそんなこと知ってんだ!?」


素っ頓狂な声を上げた後、アルカは顔を真っ赤にして項垂れた。


「まぢかー、バレてただなんて。うわ、なんてこった」


 やっぱりアルカはエルティナが好きなのだと里桜は思って、ズキリと痛む胸をつい押さえそうになった。

 アルカはそんな里桜に気づかずに、「そっかー、まいったなぁ」と、ブツブツと言いながら頭を掻き、両腕を組んでうーん、と唸った。

 里桜はふと辺りを見回してファメールの姿が無い事に気づき、「あれ!?」と、声を上げた。


「ファメールさんは?」

「う? ああ、さっき一人で帰ったぜ?」

「うそ! 私、ここから一人でなんて帰れない!」

「ああ、オレが送ってくよ。とりあえず魔力供給は済んだしな」

「……アルカ、毎日こんなことしてるの?」

「いや、毎日ってわけじゃ。一週間分くらいは一度に溜めれるからなぁ」


 ということは、残りの日はエルティナに逢いに行っているのだろうかと里桜は考えて、いや、余計な事は考えないようにしようと首を左右に振った。


「そういえば、ファメールとどうやってここまで来たんだ?」

「ファメールさんの魔法で飛んできたの」

「え!?」


アルカは驚いて里桜を見つめた。


「あいつが、魔術で? 一緒に飛んだのか?」

「うん。ご親切に抱きしめて飛んでくれたよ……胸触られたけど」


 ぶっと噴き出して、アルカは里桜の胸につい視線を向けたので、里桜はなんとなく気恥ずかしくて両腕を組んだ。


「いや、あいつが誰かと一緒に飛ぶなんて。うーん、そうかー」


 アルカはファメールはやはり本気で里桜が好きなのだろうと思った。

 ――それもそうか。あの潔癖なファメールが里桜にキスをしたんだ。その上抱きしめて空を飛び、胸にまで触れるだなんて、天地がひっくり返ったとは正にこのことだ。

 と、アルカは嬉しいような寂しいような、悲しいような、悔しい様な複雑な気分を味わった。


「どうかしたの?」

「いや、別に……あー……慣れた?」

「何に?」


小首を傾げた里桜にアルカは「ファメールに」と、言葉を続けた。


「ホラ、殺されそうになったりしたし、怖がってるだろうなーって」

「まだ怖いよ。何考えてるか全然わかんないんだもん」


 里桜はぷっと頬を膨らませ、縋る様にアルカを見上げた。その顔が余りに愛らしく、アルカはつい頬が緩むのを自覚した。


「……アルカがお城に居ないから、すっごく不安だったんだから」


 アルカが不在にしていたのは荒療治のつもりもあった。カインの刻印がある以上危害を加えようとは思わないだろうし、ファメールが里桜を好いているのならアルカは不在にしていた方が二人の距離は近くなるだろうと思ったのだ。

 こうして二人で夜空を飛んでくるまで心を通わせるとは想像だにしなかったものの、効果は十分だったと言えるだろう。いや、しかし腑に落ちない。折角のデート先が、何故ここなのか。


「やっぱり納得いかねーなー」

「何が?」


 里桜は艶やかな大きな瞳でアルカを見上げた。瞬きする度に揺れる長い睫毛。

 里桜が瞬きをする速度は少しゆっくりで、アルカにとってそこがまた愛らしく感じた。

 桜色の唇は潤っていて、美味しそうな果実の如くガブリと噛みつきたくなる衝動に駆られ、イカンイカン! と、つっとアルカは視線を反らした。


「まあ、いいんだ。ホラ、行こうぜ。足元滑るから気を付けて」


 里桜に手を差し伸べ優しく握ると、アルカは洞窟内を先導して歩いた。ふんわりと香木の様な甘い香りが里桜の鼻を擽る。

 アルカは時々振り向いては里桜の様子を気にしたり、「ここ、段差あるから気を付けて」と、気遣って声を掛けたりした。

 里桜にとってはアルカのその優しさが何故だか苦しく感じた。


 ――アルカはエルティナさんを想ってるのに、きっと皆に優しいのね。


 洞窟を出るとアルカは背に翼を生やした。灰色の翼が月に照らされて銀色に輝いている。


「やっぱり綺麗だね」


アルカの翼に優しく触れる里桜に、「ありがと」と笑い、里桜を抱きかかえて飛んだ。


「寒くない?」

「……平気」


 ファメールの魔術も解けていたので少し寒く感じたが、里桜はアルカの温もりを味わいたかったので平気なフリをした。

 頬に触れる冷たい風と、アルカにひっついている部分の温かさに里桜は幸せを感じてきゅっと瞳を閉じた。

 アルカは里桜のその様子が可愛らしくて仕方なく、抱き抱える手につい力が入った。


 ――このまま、どこか遠くに浚って行ってしまいたい。

 そんな衝動を抑えながら翼を仰ぎ、満天の星空の下を飛んだ。


 星空の散歩を終え、アルカは王室のテラスへと降り立ち里桜を降ろすと、ニッと笑って里桜の頭を撫でた。


「ご到着」

「ありがとう」


 里桜の微笑みがアルカには眩しく感じた。頭に触れたこの手を離したくない。いや、里桜をこのまま自分のものにしてしまいたい、と、アルカはどうしようもない欲望に駆られた。


「……リオ」


灰色の瞳で里桜を見つめ、アルカは里桜の肩に触れた。


「なに?」

「あー……。あのさ、治療なんかがファーストキスじゃ、嫌だろ? だからさ、やり直し……」


 やり直し? それって、どういう……。

 と、里桜が考えているうちにアルカはサッと里桜の唇を奪った。


 すぐに離し、顔を真っ赤にして呆然としている里桜を見つめて微笑んだ後、再びキスをした。


 アルカは里桜の柔らかい唇をたっぷりと味わい、更に口内を味わうべく舌を差し入れ里桜の舌に絡めた。 

 肩に置いた手で頬に触れ、そして背へと回し、離れないようにと抱きしめた。身体が密着し、里桜の華奢な体つきと柔らかさを存分に味わう。


 カクンと里桜の膝の力が抜けて里桜が座り込んだので、アルカはやり過ぎたと反省した。


「ありゃ。悪い、里桜。やりすぎ……」


ガン!!!!


 里桜は屈んだアルカの顎に頭突きを食らわせると、そのまま涙目で立ち上がり、脱兎のごとく駆けて王室から飛び出して行った。


 ポツンと取り残されてアルカは頭を掻くと、苦笑いを浮かべた。


「あちゃー、嫌われちまったかな?」


 星々を見上げると、アルカはふぅと小さくため息をついた。


「お別れのキスだって、言いそびれちまったな」

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