第27話 ただいま

 里桜がムアンドゥルガ城に移ってからひと月程経った。城での生活には随分と慣れて、城の使用人達とも仲良くなった。毎日日課のようにファメールの居る星見の塔に通っては雑用を言い渡されたが、どれも里桜にとっては楽しい仕事だった。

 ファメールが書いたメモの植物を薬草が植えてある裏庭に採取しに行ったり、書類の仕分けや押印の手伝いをしているうちに、里桜の仕事ぶりがすっかりファメールに気に入られた様で、外交の資料の数字計算等を任される様になった。


 アルカは相変わらず留守にしていて、王室のテラスでの一件以来顔を合わせていない。なんとなく気まずくて、里桜はファメールにアルカの所在を聞けずにいた。

 エルティナに逢いに行っているという事実を聞かされる事にも抵抗があった。

 レアンは遠征が長引いており、まだ暫くは戻れないのだとか。そのせいかファメールは王都に残った騎士団の取り纏めもし、以前にも増して忙殺されていた。

 明け方まで星見の塔には灯りが灯り、日中は執務室に入り浸り、食事もほとんど摂っている様子が見受けられなかったので、里桜とヴィベルは心配して声を掛けたが、「うるさい」の一点張りで頑なに聞こうともしなかった。


「どうしよう、イリー。このままだとファメールさんが倒れちゃうよ」


夜、自室で心配そうに眉を寄せる里桜に、イリーはため息をついて頷いた。


「リオだって、毎日遅くまでファメール様のお手伝いをして。私はリオの体が心配だわ。リオは人間の女の子なんだから、私たち魔族よりもか弱いでしょう?」


里桜の部屋の窓から見える星見の塔の灯りを二人で見上げると、ため息をついた。


「私は平気。結構ハードなバイト入れてたし」

「……バイト?」

「あ、うん。えーと、ムアンドゥルガに来る前にも沢山働いてたの!」


慌てて誤魔化す様にそう言った里桜に、困った様にイリーは視線を向けた。


「リオの身に何かあったらレアン様も悲しむわ。今日はもう休んでね。また明日来るから」

「うん、わかった。有難う、イリー」


 心配そうに里桜を見つめ、手を振って部屋から出て行くイリーを見送ると、里桜は長い髪をブラシで梳きながら窓の外の星見の塔を見つめた。

 レアンの事も心配だ。彼のことだからファメールに負担がかかっている事を分かっているだろうし、それでも尚帰れないということは、よっぽどの問題があったのだろう。

 里桜は気になって堪らず、眠つけない頭を冷やそうとテラスへと出た。薄っすらと灰色の雲がかかった夜空は星々の光を隠し、いつもよりも濃紺のとばりを降ろしている。

 冷たい風が頬を撫で里桜の髪をサラサラと浚った。

 ふと、星見の塔の頂上にチラチラと灯りが見えた。研究室にも明かりは灯ったままだし、一体何だろうと里桜は小首を傾げた。

 ファメールに伝えた方が良いだろうかと心配になり、里桜はテラスから部屋へと戻って星見の塔へと向かった。

 石造りの螺旋階段を上り研究室の扉を行き過ぎて、里桜は真っ直ぐ頂上へと向かった。

 ファメールは忙しいので、できる限り手を煩わせたくない。もしも里桜の見間違いであれば不要な時間を割く必要も無いのだから。


 階段を上り終えて頂上へと到着すると、思ったよりも強い風に里桜は髪を抑えながらそっと扉から顔を出した。


「成程。やはりスラーか。引き続き調査を頼むよ」


 ファメールの声だ。誰と会話をしているのだろう……? と思った時、ややエコーがかった調子でレアンの声が聞こえた。


『ですが兄上、お体は平気ですか?』

「問題無いよ。思いのほかリオが役立ってくれてるからね。助かってる」

『そうですか……』

「また報告を待っているよ」

『はい。承知致しました』


 心なしかレアンの声は不安そうだった。里桜は髪を抑えながら「ファメールさん」と、声を掛けて扉から出た。


 ファメールは灰色の髪を風に靡かせながら振り返り、金色の瞳を里桜に向けた。


「リオ。どうしたのさ? もう休んだのかと思っていたけれど」

「塔の上で光が見えたから、気になっちゃって」

「そうか。キミの睡眠の邪魔をするつもりは無かったんだけれど。レアンから報告を受けていたのさ。スラーの船がムアンドゥルガの北方でいくつか座礁していたらしくてね」

「スラー?」

「アシェントリアとムアンドゥルガから海を挟んで丁度中間地点にある島国だよ。リタ・リエンヌ・スラーが女王を務める国さ」

「えっ……」


瞳を見開き、里桜は驚きの声を漏らした。


「どうしたのさ?」


片眉を吊り上げたファメールに、里桜は首を左右に振った。


「いえ。母の名に似ていたからちょっと驚いただけ。私の母は『リタ・リエンヌ・トウゴウ』という名だから」


 その言葉にファメールは金色の瞳を細め、悲し気な表情を浮かべた後俯き、僅かに息を切らせた様に咳をしてふらりとよろめいた。


「ファメールさん、大丈夫?」


 やはり疲れがたまっているのだろう。と、里桜は心配し、ファメールの肩に触れようとした。


 その瞬間、突風が吹き荒れて里桜は羽織っていたローブが飛ばされそうになり、慌てて掴もうと追った。

 手を伸ばし、もう少しで届きそうな所を更に風で煽られて、まるで風で煽られた羽の如く、里桜の体はフワリと塔の外へと放り出された。

 ――うそ……落ちる!

 と、悲鳴を上げようとした時、里桜の体をファメールが強く抱きしめた。そしてそのまま二人で落ちていき、ファメールは里桜を抱きしめながら詠唱をした。

 薄っすらと二人の体が光に包まれる。大地に激突する1メートル程手前で落下の速度が緩やかになったものの、停止には至らずそのまま大地へと叩きつけられた。

 ファメールが里桜を庇う形で下敷きになり、里桜は慌てて起き上がった。


「ファメールさん!!」

「全く……手間とらせてくれちゃって」


 ケホケホとむせながらファメールもゆっくりと起き上がったが、彼の白い額からツッと真っ赤な血が伝ったので、里桜は驚いて悲鳴を上げた。


「怪我を! ごめんなさい。私!」

「いいよ。大したことなんかない」


 ため息交じりにそう言った後、ファメールは顔を顰めて俯いた。

 ――危なかった。カインの刻印が働いている以上、見殺しにしたとしても、殺意があったとみなされて消されていただろう。

 そう考えながら、ズキズキと鼓動するような激しい頭痛に耐えた。


「早く部屋に戻りなよ。これ以上迷惑をかけないでくれるかな」

「でも……」

「さっさと行けったら!」


 ――まずい……。と、ファメールは焦った。これはかなりの高熱だろう。疲労の上に魔力を消費したからだ。

 息を切らせ、必死に耐えながら歩を進めた。


「キミが居るとやっかい事が増えてたまらないよ。目障りだから早くどこかへ消えてくれ」

「傷の手当だけでもさせて」


ほら、早く! いいからさっさと行けったら! ……そう怒鳴ったつもりが、ファメールの体はフラリと力が抜け大地へと倒れた。


「ファメールさんっ!!」


ファメールに触れ、その高熱に驚いて里桜は助けを呼ぶべく城内へと駆けた。


――――暗闇の中声が響く


『またファメールが熱を? ったく、体、強くねーのに無理すっから』


うるさい……。


『ほら、また傷痕増えてんぢゃねーか。お前はオレと違って無茶すると死ぬんだぜ?』


うるさい……!


『女みたいなキレーな顔してんだからさ。もう少し自分を労わってやりゃあいいのに』


うるさい!!!!!


 いつだってそうだ。アルカは自分が一番辛いくせに、顔色一つ変えないで笑ってばかり居るじゃないか。僕をそんな風に哀れむな。

 僕は、キミの下僕でも何でもない。キミがそうやって僕を心配する度、僕はどれほどに居た堪れない気持ちになるか、分かっているのか!


『頼むから、無茶すんな。……頼むから』


うるさい! それならどうしてキミは……!! キミは……


 息を切らせながら瞳を開けたファメールを、ヴィベルが心配そうに見つめた。


「気がつかれましたか」


 ヴィベルの言葉には答えずに、ファメールは状況把握の為に眼球だけ動かして辺りを見た。

 天井の模様、部屋の装飾からファメールの自室である事を察し、そうか里桜を庇って一緒に塔から落ちてそのまま倒れたのをヴィベルが運んでくれたのだろうと理解した。


「手間を取らせちゃったね」

「いえ、私は何も。リオ殿が熱心に看病しておられました」


 ヴィベルが声を優しく気遣う様に落としているので、ファメールは僅かに首をもたげてベッドの脇を見た。ベッドの端にもたれ掛かって眠る里桜の姿が目に留まり、困った様にため息をついた。


「……なにこの人。どうしてこんな所で寝てるのさ? 邪魔なんだけど」


ヴィベルはクスリと僅かに笑うと、里桜の肩からずり落ちた毛布を掛け直してやった。


「ファメール様が2日も目を覚まさなかったので、自分のせいだと泣きながら心配されており。先ほど泣きつかれた様に眠ったばかりです」

「なにそれ。子供じゃないんだからさ」


うんざりした様にため息をつきながらファメールは言葉を続けた。


「大体、レアンの報告を受けた辺りで大方の仕事は片付いてたんだ。あの後ゆっくり休もうとしていたのに、勝手に邪魔をしに来たのはリオじゃないか」

「私のところに大泣きしながら飛び込んで来たので何事かと驚きました」


フッと微笑んで里桜を見つめるヴィベルの眼差しが嫌に優しく見守る様だったので、ファメールは片眉を吊り上げた。


「う……ん……」


里桜が唸った後、「……ただいま」と言ったので、ファメールとヴィベルは笑った。


「ここはキミの家じゃないよ」

「良い夢なのでしょう。起こすのはいささか可哀想ですね。このまま部屋に運んできます」


 ヴィベルは優しく里桜を抱きかかえようとし、ファメールが「ヴィベル」と声を掛けてそれを制した。

 ヴィベルは察した様に頷くと、「では」と、空になった水差しを持って部屋から出て行った。

 ファメールはベッドの上で上体を起こして片膝を立て、その上に肘をついて頬杖をつきながら里桜の寝顔をじっと見つめた。

 ブラウンの前髪を指でそっとどかせてみると、なるほどヴィベルの言った通り頬には幾筋もの涙の跡が見えた。


「僕の為に泣いたのかい? バカだなぁ、キミは」


 頬に触れ、涙の跡を優しく親指で拭い里桜の寝顔を暫く眺めた後、ベッドから降り、ファメールは里桜を起こさない様にそっと優しく彼女の体を抱きかかえた。

 そしてそのまま里桜の部屋へと運ぶと、里桜のベッドの上へと起こさない様に優しく寝かせた。体を離そうとしたときに、里桜の細い両腕が伸び、ファメールの肩を離すまいと引き寄せた。


「え……リオ?」


驚いて金色の瞳を瞬きすると、里桜がぶつぶつと言うので何事かと耳を傾けた。


「お腹が……空いた……」


ぷっと噴き出して笑うファメールを、里桜は眠ったまま更にぎゅっと抱き寄せた。

 里桜の柔らかい胸の感触がファメールに伝わる。堪らなく愛しくなる気持ちに驚いて、何をやっているんだ僕はと、我に返ってため息をつき、さてこの腕をどうしたものかと考えていると里桜が再び寝言を言った。


「アルカ……」


 ヒヤリと心臓が冷やされたような感覚を覚え、ファメールは咄嗟に上体を起こした。

 スルリと解けた里桜の腕を名残惜しく思い、寝息を立てる里桜の顔を見つめる。


 ぎゅっと唇を噛みしめた後、ファメールは里桜の唇に口づけをした。そしてそのまま耳にキスをし、首筋に舌を這わせながら、里桜の服の裾から手を差し込み胸に触れた。

 その柔らかさにぎゅっと心臓が痛くなり、思わず体を離した。


「……流石に、眠ってる隙には後味が悪いか」


自嘲気味に笑い、里桜の額にキスをしてファメールはベッドから離れた。


「まあ、でも。いずれ、ね」


そう言い残すと、里桜の部屋から出て音を立てない様に静かに扉を閉めた。

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