第25話  痛み

 暫く夜空を飛んだ後、ファメールは速度を緩め里桜を抱く両腕を開放した。里桜の手を掴みゆっくりと降下すると、地上へと降り立った。

 里桜はホッとしてへなへなと地面に座り込み、ファメールは風で乱れた衣服や髪をサッと整えた後、両手を伸ばして伸びをした。


「あー、疲れた」

「……私も、なんか疲れた」

「どうしてさ? キミはただ僕に抱かれていただけじゃないか」

「それが疲れるの!」

「あれ? 心外だなぁ。リオは僕が嫌いかい?」

「き……嫌いとか、そういうことじゃないでしょう!?」

「じゃあ、好きかい?」

「え……!? なっ……!」


 顔を真っ赤にしてパクパクと言葉を発せずにいる里桜を、ファメールは悪戯っぽく、しかし上品に笑った。

 ――まったく、また人の事揶揄からかって!

 と、立ち上がってプリプリ怒ると、ふと立っている場所が見覚えのある風景であることに気づき、里桜は振り返った。


 ぽっかりと開いた巨大な洞窟への入り口が待ち構えていたと言わんばかりにそこにあり、深淵へと引き込まれそうな異様な雰囲気を醸し出していた。


「ここ、アルカと会った洞窟だ」

「だろうね」


 ファメールはポッと光の玉を掌に浮かび上がらせて辺りを照らすと、洞窟の中へと足を踏み入れた。里桜も後を追い、滑る足元に気を付けながら洞窟の中へと入った。

 先導するファメールの背を見つめながら里桜は不安になった。この洞窟はアシェントリアへ続いているはずだ。やはりアルカはエルティナに逢いに行っているのだろうか。

 もしかしたら、里桜と最初に会った時もエルティナに逢う前後のタイミングだったのかもしれない。そんなところに出向いては二人の邪魔になるのではと、きゅっと唇を噛む。


「ファメールさん……」

「何?」


「アルカに、会いに行っちゃっていいのかな?」

「どうして?」

「だって、二人の邪魔をしちゃうんじゃないかな?」

「二人?」


ファメールは僅かに振り向くと、くっと笑って進みだした。


「キミ、勘違いしていないかい? 僕はアルカに会いに行く、と言ったんだ。エルティナになんか会うつもりは無いよ。大体、アシェントリアに行くのなら、こんな洞窟を通らずにあのまま飛んで山脈を越えれば良かったんだ」


……確かに。


「アルカがしょっちゅう不在にするのには理由が別にちゃんとあってね。まあ、遊び歩いてるのもそうなんだけれど、今日の不在理由は分かってる」


 歩を進めて行くうちに奥からエメラルドグリーンの灯りが見えて来た。


「何あれ……」

「マナの泉だよ」


 僅かにうめき声が聞こえる。それは押し殺した声が喉の奥から漏れ聞こえる様な、苦しみに耐えようともがき、それでも耐えきれずに漏らす悲鳴の様に里桜には感じた。

 エメラルドグリーンの光は近づくにつれ、小さな泉から放たれている事が分かった。その泉の中には灰色の長髪の男が腰程まで浸かり、苦しみに耐えている姿が見えた。


「……アルカ!」


アルカの元に駆けようとする里桜の肩を掴み、ファメールが止めた。


「アルカ、苦しそう! どうして?」

「マナの泉は強大なエネルギー源だからね。魔族ですら一瞬で消し炭にされる。アルカの特異体質だけがあれに耐えられるんだ」

「どうしてそんなことをするの!?」

「……僕達魔族は、皆アルカに依存してるのさ。アルカがマナの泉で供給した魔力を糧として生きている。アルカは、皆を生かす為にいつもあの苦しみに耐え続けているんだ」


里桜は唇を噛み、うめき声をあげるアルカを見つめた。


「このことを知るのは、僕とレアン。そして、アルカ自身と、エルティナだけだよ」


 ファメールのアルカを見つめる瞳は辛そうだった。痛みを帯び、苦しみを秘め、まるでアルカと一緒に苦痛に耐えている様に見えた。


「日の光の聖なる光源を遮る魔術も、国を守る為の広大な範囲の魔法障壁も、魔力の源は全てアルカが供給しているのさ。僕一人の魔力では一日と保たずに干乾びてしまうだろう」


―――依存。


 皆、アルカ無しでは生きられない。ファメールがアルカを殺せる里桜の存在を抹消しようとしたのは、ムアンドゥルガに住まう全ての魔族の為だったのだ。


「永い間この苦しみに耐えているんだ。死にたくもなるだろう……ねえ? アルカ」


 息を切らしながらアルカはよろめき、マナの泉から這い上がると、そのままドウと大地に倒れた。胸を激しく上下させながら呼吸し、咳込んでいる。


「アルカ!」


 里桜は叫んだ。アルカという存在が悲しくて堪らない。だからムアンドゥルガを眺めるアルカの瞳は、あれほど寂しく、悲しそうだったのだ。愛しいムアンドゥルガの国そのものは、アルカの痛みにより存在できているのだから。

 どんなに死にたいと思っても、死ぬ事の許されないその肉体が痛みから解放された時、この国そのものもまた滅ぶのだから。


「……あれ? リオ。それにファメールも。どうしたんだ?」


むくりと体を起こすと、アルカは頭を掻いてあっけらかんとした調子で二人を見つめた。


「何かあったのか? 緊急事態かなんか!?」


 慌てて立ち上がったアルカが真っ裸だったので、里桜は思わずくるりと背を向けた。その様子にアルカは不思議そうに小首を傾げて「なんだ?」と言ったので、ファメールは肩を竦めてため息をついた。


「アルカ、パンツくらい穿きなよみっともない。それとも自慢してるの?」

「アルカのバカッ!!」

「えー!? オレが悪いの!? だって……えー!?」


アルカは慌てて側に置いてあった服を着ると、腑に落ちない様にブツブツと愚痴をこぼした。


「……いきなり来るしさー、パンツ穿いたままだと魔力の熱で燃えちまうしぃー……。そしたらパンツがいくらあったって足りねーしー……」

「流石変態だね。アルカ」

「変態言うなっ!」


 ケラケラと笑うファメールに喚いた後、アルカは俯いて背を向けたままの里桜の側へと行った。


「えーと、悪かったよ。へんなモン見せて」

「それ、どっちのこと言ってるのさ? マナの泉の事? それとも……」


すかさずツッコミを入れたファメールを睨みつけると、アルカは咳払いをした。


「リオ? ごめんな」


 里桜は首を左右に振ると、アルカの胸に飛び込んだ。驚いてアルカはチラリとファメールに視線を送ったが、ファメールは肩を竦めてみせた。

 その二人のやりとりは『悪い、ファメールはリオが好きなんだよな?』『全然、どーってことないさ』というやりとりだったのだろう。


「アルカ、ごめんね」

「……うん?」


どうして里桜は謝っているのだろうと、アルカはさっぱり分からずに首を傾げた。


「アルカの事、アルカの痛みや苦しみ、悲しみを全く理解していなくて。分かってなくてごめんね。私、助けて貰ったのに、アルカに何も返して無い。これからは私もアルカの助けになる様に頑張るから」


 里桜の言葉を聞いて、アルカは呆然とした。

 独り苦痛に耐えるのは慣れていた。むしろそれは痛みに喘ぎ苦しんでいる姿を人に見せたくないと思っていたからだ。

 ファメールやレアンを遠ざけることで自分を守っていた。けれど恐らく二人は、離れた地で心落ち着かずに過ごしていたに違いない。


 ファメールは、その辛労を分かち合いたくて、里桜をここへと連れて来たのだろうか。


「少しでも助けられるように、頑張るから!」


だから、アルカ。死にたいだなんて思わないでと、祈る様な気持ちで里桜はアルカの灰色の髪を撫でた。


「そうだ! 私、アルカの眷属になったんでしょ? それって、確か体質も同じになるんだよね? それなら私もマナの泉に入れるのかな?」

「え!? いや、ンなこと絶対させられっか!!」


 アルカは慌てて引き留めようとパッと里桜を抱きしめた。香木のような甘い香りが里桜を包む。ああ、やっぱりこの匂いは好きだな、と、里桜はこんな状況ながらもうっとりと瞳を細めた。


「絶対させねぇからな、リオ。お前を必ず無事に元の世界に帰すから。だから余計な心配なんかしなくていい。大丈夫だから」


 ファメールはそんな二人をため息をついて見つめた後、そっとその場を後にした。


 願わくば、里桜を大事に想う気持ちがアルカに生きたいと思わせる僅かな希望を抱くことを期待したが、それは無理なことだろうと、思った。

 アルカは里桜を元の世界に帰す事を望んでいる。


「キミが思っている方法でリオを帰すわけにはいかない」


ファメールは一人呟きながら洞窟を歩いた。


「やっぱり僕が鬼畜に落ちるしかない、か……気乗りしないなぁ……」


 たった一人で洞窟を出て星々を見上げると、ファメールはポツリと言った。先ほどまで里桜を抱きしめていた両手を見つめ、きゅっと拳を握り締めた。

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