第24話 夜行
虫干ししていた書物を
「お疲れ様です。手伝って頂いて助かりました。リオ殿は働き者ですね」
ファメールの右腕として知られ、外見が肥え太る前の里桜の叔父にそっくりなヴィベルが微笑み
「いえ、足手まといになっちゃったんじゃないかな。日が暮れちゃった」
「とんでもない。いつもならば書棚に戻すのに日が変わる程ですから、大いに助かりましたよ」
窓の外には星々が瞬き漆黒の闇を飾り立てていた。ヴィベルは数冊の本を里桜に手渡すと、星見の塔の研究室に置いて来る様にと指示した。
「残りはやっておきますので、その本を仕舞い終わったらリオ殿はお休みください」
「うん。分かった。おやすみなさい、ヴィベルさん」
星見の塔へと続く扉を開け、里桜は螺旋階段を上った。ゆらゆらと揺れる松明の明かり、響く靴音に、少し心細さを覚える。
ムアンドゥルガの夜は砂漠が近いせいかかなり冷える。吐く息は白く、頬に触れる空気はひんやりとした。
王城の室内に関してはファメールの魔法障壁で空調管理がされているらしいが、この螺旋階段については別のようだ。
研究室の扉にたどり着き念のためノックをすると、返事が返って来たので里桜はうっと怯んだ。この声はファメールの声だ。本を書棚に置くだけなのだからと気を取り直し、扉を開いた。
室内の中央奥にある机に掛け、揺れるランプの灯りの下でサラサラと羽ペンを動かして書類を書き進めるファメールの姿が在った。ファメールはこちらを見ず、忙しそうに紙を捲っては、羽ペンにインクを付け、コンと余分な墨を払っては書き進めていた。
机の上には書き終わった大量の書類が山積みになっており、インクを乾かす為に広げた書類がその横に置かれていた。
里桜は自分が歩いた時の風で書類が飛んだりしないようにと気遣いながら、そっと室内に入り静かに書物を書棚に戻した。
「ありがとう。助かるよ」
ポツリとファメールが言葉を放った。里桜は困惑しながらも「いえ。これくらいしかお役に立てなくて」と答えると、ファメールがカタリとペンを置いた。
「あー、疲れた。指が痛い。肩が凝る!」
ぐっとファメールは両手を上げて伸びをしながら欠伸をすると、首を左右に動かした。
「凄い書類の量。ファメールさん一人で大変そう」
「ああ、それでも今日は少ない方さ。アルカがサボってばかりいるから全部僕にまわってきちゃうからね」
じっと、金色の瞳で里桜を見つめると、机に頬杖をついてファメールはため息をついた。
「ムアンドゥルガの夜は冷える。特に城は砂漠側だからね。魔法障壁で守っているとはいえ、もう少し厚着しないと風邪ひくよ?」
「そうだね。気を付けます」
カタリと椅子を引いて立ち上がると、ファメールはインクの入った小瓶の蓋を閉じ、乾かしていた書類を揃えて片づけると、風で飛ばされないようにと青い石を置いた。
「少し、つきあってくれるかい?」
嫌だな、と、思いながらも、里桜が「はい」と返事をしたので、ファメールは困った様に笑った。
「そんなにあからさまに警戒しなくったって、危害を加えるつもりは無いさ」
白いローブの下に吊っていたレイピアを飾りごと外して机の上へと置くと、ファメールは里桜に手を差し伸べた。警戒しながらその手を取ると、ふわりとした温もりが里桜を包んだ。
「ほら、寒くないだろう?」
「うん。魔法?」
「まあね」
「杖を持っていなくても、使えるの?」
「簡単な魔術位ならね。あれは集中、増幅するための媒体に過ぎない。基となる能力は全て自分から引き出されるものだから。僕自身が集中できる状態であれば問題無い」
ファメールは里桜の手を引き研究室の扉を出ると、上へと続く螺旋階段を上った。
長く束ねられた灰色の髪がサラサラと肩から零れ、ファメールの身に着けている装飾品がシャラシャラと金属音を放つ。
仄かに香る香水の匂いが、後ろを歩く里桜の鼻をくすぐった。里桜はずっと本の虫干しをしていたので、自分が埃っぽく汗臭いのではと心配になった。
塔の最上階へとたどり着き、突き当りの扉を開けて数段の階段を上ると、星々が瞬く満天の星空が広がった。
大小様々な星々は勿論の事、青や赤の銀河や運河まで肉眼で見える、それはまさに天然のプラネタリウムだった。
「う……わぁ! 綺麗!」
思わず見上げて感嘆の声を上げる里桜に、ファメールは満足げに微笑んだ。
「この世界の星空も悪くは無いだろう?」
「すっごく綺麗だよ! 私の住んでいるところなんて空気が汚くて、星があんまり見えなかったもの!」
「空気?」
「うん」
里桜はぷくっと頬を膨らませ、指さして見せた後「今口の中にため込んだのが空気」と笑った。
「成程、星にたどり着くまでの空気の層が汚染される事で、星々が放つ光が届かないということか」
「さっすが。ファメールさんて本当、理解力というか凄すぎる」
「キミの世界の星空とはどう違う? いつも見ている星が無いとか、違う位置にあるとか」
里桜は成程と思った。ファメールは星の位置を確認することで、里桜の世界とこの世界とつながりがあるのかを見極めたくて、里桜をこの場所に誘ったのだろう。
「うーん。あんまり星に詳しくは無いけれど、私の知っている星座も無いし、当然月も違うよ」
「月?」
「うん。私の居た星は『地球』って言うのだけれど、その周りを『月』が回ってるの」
ファメールが青い光を放つ、月よりも二回りも大きい惑星を指さし「あれは?」と、聞いた。
「色も違うし、形も違うから別のものだと思う。ここが『地球』じゃないことは確かみたい」
「……そうか。まあ、そう易々と解決しないとは思っていたけれど。ひょっとしたらってね。そうか『地球』か……。キミが居た国の名は?」
「日本だよ。生まれはフランスだけど。母がフランス人で、父が日本人なの」
ふむ、と、ファメールは片眉を吊り上げて唇に指を当てて考え込んだ。
「『西暦』は?」
「ファメールさん、『西暦』を知っているの?」
「ああ。キミ以外にも異世界から来た人物を知っているからね。今の話から、どうやらキミと同じ世界から来たという事は分かった。それで、同じ時代なのか気になったのさ」
里桜は驚いてファメールを見ると、彼は頷いた。
「2020年」
「……なるほど」
「ファメールさん、その私以外の来た人って……」
「残念ながら、キミが帰る為の役には立たない情報さ。悪いけど」
シュンと里桜は落ち込み、ため息をついた。
「そっかぁ。そうだよね。その人も召喚魔法か何かでここに来たの?」
「そうじゃないよ。だから、『キミが帰る為の役には立たない情報』なのさ。キミの状況とはかなり違う」
「状況が違うってどんな風に? 会ってみたいなあ。その人に。『西暦』って言葉が一緒だって事は色々と共通点がありそうだよね」
「言語はあてにならないさ」
「……確かに。私がこの世界の文字や言語も知らないはずなのに、読めたり話せたりするくらいだものね」
「恐らくエルティナの召喚魔法がそうしてるんだろうけれど。全く、やっかいな事をしてくれるよ。見た感じ、そういうことをしそうなタイプには見えなかったけれど」
――彼女はよっぽどアダムに逢いたいのか、それとも……
と、ファメールはため息をついた。
「エルティナさんと逢った事があるの?」
「うん。戴冠式にアルカと出席したからね。アシェントリアとは同盟を結んでいるし、交易もある。表向きは平和だってこと」
「エルティナさんはどうしてアルカを殺したいのかな。魔族は皆いい人たちだし、同盟国な上に交易があるなら、そんな必要無いんじゃないのかな」
ファメールは塔の縁に腰かけると、小さくため息をついた。
「色々理由があるのさ。エルティナはアルカを好いているからね」
「え!?」
「アルカもまんざらじゃないんじゃないかな。ちょくちょく逢いに行っているみたいだし」
ざわざわと複雑な思いが里桜に沸き起こった。
――アルカとエルティナさんが両想い? じゃあ、お城を空けている時はエルティナさんに逢いに行っているのかな。
ひょっとして今も……? と、考えて、きゅっと拳を握りしめた。
「で……でも、それにしたって変じゃない? 好き合ってるなら、どうしてアルカを殺そうとするの?」
動揺する里桜を金色の瞳で見つめ、ファメールはその瞳を細めた。
「好きだから、解放したいのかな。僕にはあまり理解できないことだけれどね。そもそもアルカは死を望んでいるのかもしれない」
「……え?」
里桜は驚き、ファメールを見つめた。
ファメールは頷いた後星空を見上げた。ひゅっと吹いた風が、魔術のせいで温かく里桜の頬を撫でた。
ファメールの白いローブが揺れ、装飾品が金属音をシャラシャラと奏でる。
「エルティナは、アルカの望みを叶えたいのかもしれないね」
「でも、好きな人を殺そうとするなんて。そんなの理解できないよ」
理解できない……と、言いながら、里桜の脳裏に母親の亡骸が浮かんだ。どうして、お父さんは……。
「僕もさ。けれど、アルカが死にたがる理由は、少し理解できる」
ファメールの言葉にハッとして里桜が顔を上げると、彼は塔の縁に立ち上がって里桜に手を差し出した。
里桜はその手を取ったのなら、そのまま引っ張られて塔から突き落とされるのではないかと考えたが、カインの刻印がある以上ファメールは里桜に危害を加えられないのだから、そんなことはしないだろうと考え直し、手を取った。
今更ながら、ファメールはアルカやレアンと違い手袋をしていない事に気が付いた。サラリとした手の感触と、ごつごつとした指輪の感触が里桜に伝わる。
里桜の手を引いて塔の縁へと立たせると、ファメールは詠唱した。
こうして改めて並んで立ってみると、ファメールはなかなかに背が高いと里桜は思った。顔こそ女性的なものの、それなりに鍛えているのだろうということが分かる。もしも里桜の世界にファメールが居たのだとしたら、間違いなくモデル等の芸能人になっている事だろう。
ふっと仄かな光が里桜とファメールを保護するかのようにまとわりつくと、ふわりと体が浮いた。
ファメールが里桜の手を掴んだまま塔の縁を蹴る。仄かな光が二人の体を持ち上げる様にキラキラと瞬いた。
塔から離れると里桜の手の指先にキスをし、金色の瞳を細めてファメールは微笑んだ。
「怖くないのかい?」
「怖いけど、平気。突然術が解けたりとかしないよね?」
「勿論。僕だってまだ死にたくはない。手を離したら駄目だからね?」
「何処へ行くの?」
里桜の質問にファメールは片眉を吊り上げてため息をついた。
「キミは逢いたいんだろう?」
「え?」
「アルカにさ。さあ、行こうか」
くっと空を飛ぶ速度が上がった。振り落とされない様に里桜は慌てて両手でファメールの手を掴んだ。するとファメールは思いのほか強い力で里桜の手をぐっと引き上げて、背中から両手で優しく抱きしめた。
「これで安心かい?」
「う……うん。あ、でも、私汗臭いかも! さっきまで虫干しした本を片付けてたから」
ファメールは笑うと、里桜の匂いを嗅ぎ頭にキスをした。
「全然。美味しそうな匂いだから平気さ」
「お……美味しそう!?」
「リオの匂い」
――それって、一体どんな匂いなのかな? ファメールさんて優しいのか意地悪なのか全然分からない。
不安に思ってファメールを見つめると、彼は無邪気に微笑んだ。
「リオ」
「え?」
「アルカの言った通り、キミ、結構胸が大きいんだね。柔らかくてなかなかに心地良いよ」
「!!!!!」
離してなんて言えないし……! と、無邪気に笑うファメールに抱かれて、里桜は絶句したまま空中遊泳に耐えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます