第23話 魔王の苦悩

 ファメールが詠唱をした途端、外が急に暗くなりザアッと雨が降り出したので、里桜は驚いて席を立ち窓の外を見つめた。

 降り注ぐ雨粒は大きく、ボツボツと落ちる音も鈍く聞こえる程だった。


「うひゃああああああ!!」


 突然悲鳴が聞こえ小首をかしげた里桜の目の前に、灰色の髪と瞳のアルカの顔が現れたのでぎょっとして窓から離れると、アルカは窓の外から塔の中へとずぶ濡れ状態で入って来た。


「アルカ!? どうして……ここ、随分高い……」

「ファメール! いきなり何するんだよっ!?」

「何も? 僕は雨を降らせただけさ。そうしたら、覗き見しようとしていたキミが慌てて逃げ込んできた」


えっ! と、里桜がアルカを見るとアルカは苦笑いをして頭を掻いた。


「やー、だってリオが心配だったからさぁ」

「趣味が悪いよ、アルカ。僕がリオに何かするとでも思ったの?」

「うん。思った」

「心外だなぁ」


 悪びれずに言うファメールを里桜は憎たらしく思った。揶揄からかってヒトにキスしておきながら何もしていないって言うつもり!? と、言ってやろうとした時、ファメールは「ちょっとキスしただけさ」と自分でアルカに告げた。

 アルカはポカンと口を開けて硬直し、里桜は顔を真っ赤にして唇を噛んだ。ファメールは飄々とした調子で面白そうに二人を見つめ、観察をした。


「えーと………え?」


 何故か一番動揺しているアルカの様子を見つめ、ファメールはふぅんと鼻を鳴らした。アルカは困った様に頭を掻いて俯き、暫く考えた後ファメールを見た。


「……まぢ?」

「うん。マジ」


ニコリとしてアルカに返すと、アルカは視線を泳がせて狼狽うろたえた。


「ファメール、まさかリオを好きになったとか言わねぇよな?」

「うん。好きになったけど。何か文句ある?」


ケロリとした調子でそう返したファメールを、アルカと里桜は瞳を見開いて見つめた。

 ――うそでしょ!? またからかってるに決まってる。ファメールさんが私を好きになるなんてあり得ない。さっき私を殺そうとしたくせに、絶対何か考えがあってそんなこと言ってるんだ!

 と、里桜はファメールに問い詰めようとした。


「そ……か」


ポツリとアルカがそう言うと。小さくため息をついた。


「うん、そっかぁ……」


 心ここに在らず、といった風にアルカはふらふらと部屋の扉へと向かうと、それ以上は何も言わずに静かに部屋から出て行った。

 アルカが出て行って暫くした後、ファメールは爆笑を始め里桜はやっぱりこの人揶揄ってるんだ……と、納得したようにため息をついた。


「もう! ファメールさん酷いっ!」

「何がさ?」

「アルカにあんなこと言うなんて!」

「ちょっと待ってよ。僕がキミとキスをしたら、どうしてアルカに言ったらダメなのさ? 何か不都合でもあるのかい?」

「キスだけじゃなくて、『好きだ』なんて思ってもないこと!」

「どうしてさ? 何かキミが困るのかい?」


 うっと里桜は怯んだ。何か困るんだっけ? と、考えて、いやいやこの人のペースに言いくるめられてはダメだと負けじと首を左右に振った。


「ひとの気持ちを弄ぶのは酷い事でしょう!」

「弄ぶ? 何言ってるの?」


 キョトンとした様にファメールは言うと、長いまつ毛を揺らして瞬きをした。


「好きだから好きだと言っただけさ。別に弄んでなんかいないよ。心外だなぁ」

「!!!!!」


里桜は絶句して顔を真っ赤に染めたが、さらに負けじと首を左右に振った。


「ファメールさん、さっき私を殺そうとしたのに!」

「うん。死んで欲しいと思う気持ちは今も変わらないよ。心って複雑だよね。あはは」


 ……だめ。ついていけない。

 里桜はため息をついて部屋の扉へと向かった。こんな意味不明な人との会話をこれ以上続けると、こっちがおかしくなっちゃうよ。


「あれ? もう帰るのかい? つれないじゃないか」

「元の世界に帰る方法は当分分からないんでしょう? それなら、もう用事も無いもの」

「冷たいなぁ」

「……ファメールさん、忙しいんでしょう? これ以上邪魔するのも申し訳無いし」

「ふぅん? じゃあ最後に、窓の外を見て」


 ファメールは小さく詠唱し、杖を僅かに動かした。外で降り注いでいた雨がピタリと止み、温度差で上がっていた蒸気を日差しが照り付け、外は真っ白に光り輝いていた。

 ……そんな風景は初めて見る。


「綺麗だろう? キミへのささやかなプレゼント第二弾とでも言っておこうかな。気に入った?」


 きざったらしいセリフにカッとして里桜は扉に手をかけた。その背にファメールは「明日、またここで待ってるからね」と、声を掛け、里桜は答えずに部屋の外へ出た。


「あら、早かったのね」


部屋に戻るとイリーが里桜に宛がわれた部屋をせっせと掃除しながら出迎えた。


「あ、ごめんね。自分でやるからいいよ」

「私の仕事よ? 任せて。男性の使用人に女の子の部屋を掃除させるのは嫌だろうって、レアン様が」


それでイリーを城に送ってくれたのかと、レアンらしい気遣いと優しさに里桜はホッとした。


「ねえ、イリー。ファメールさんてどんな人なの?」


イリーは笑うと「きっと、ご兄弟のレアン様やアルカ様ですら分からない事だわ」と言った。


「もうね、話してて疲れちゃった」

「根は気遣いもできて優しくて良い人だと思うわ。ただ、アルカ様があまりに自由奔放過ぎるから、そのフォローの為にカリカリしちゃうんじゃないかしら」

「確かに。アルカって全然王様らしくないものね。でも、それにしてもファメールさんの行動は分からなすぎ」

「前にレアン様が言っていたんだけれど、ファメール様って興味の無い相手には愛想が良いんですって。関わりたくないからこそ当たり障り無く対応するのだとか。女性相手には特にそうみたいよ?」

「うーん。愛想がいいのかどうなのかよくわかんない」

「何かあったの?」


 里桜はイリーに話すのを一瞬躊躇ったものの、「ファメールさんにキスされた」と、恥ずかしそうに言った。


「え!?」

「しかも、アルカにファメールさんが話しちゃって。その上、私の事を好きだとか言うの。もう、訳がわからないよ。アルカはそれ聞いて呆然として出て行っちゃうし」

「ええええ!?」


 イリーは素っ頓狂な声を上げると、興味深そうに瞳を輝かせた。

 ――なんてこと! レアン様もうかうかしていられない! 三人の色男が一人の女性を取り合うだなんて見ものだわ! これはなんとかレアン様にも発破をかけてけしかけなきゃ! ああもう、どうしてあの人は遠慮して里桜を王城になんか住まわせてしまったのよっ!

 イリーはゴクリと息を呑んで里桜を見つめた。


「なにそれ! 面白いわ!」

「面白くないよ! 私、困ってるのに! ファメールさんみたいな言い方しないで」

「ごめんごめん」


イリーは両手を合わせて謝ると、里桜の頭を優しく撫でた。


「リオは純粋だからびっくりしちゃうわよね。魔族の女性と違うもの」

「どういうこと? 魔族だとびっくりしないの?」

「ほら、そういうところ。もしもファメール様がキスしたお相手が魔族の女性だったら、今頃王都中に触れ回って大騒ぎなところだわ」

「どうして!?」

「だって、あのファメール様とキスだなんて、皆大喜びで触れ回りもするわよ。彼はあのルックスで地位も高くてモテモテなのに、女性嫌いで有名なの。どんな美女相手にも眉一つ動かさないって言うわ」

「アルカと正反対……」

「それなのよ。いつものアルカ様なら、自分が気に入っている女の子が誰かに取られそうになると子供みたいにヤキモチ妬いて……そうね、キスされたなら、きっとそれ以上の事を目の前でしちゃうくらいなはずなのに、何もしないでいなくなっちゃうなんて」

「そ……それ以上って……!」


顔を真っ赤にする里桜を、イリーは心の底からかわいらしく思った。


「でも、なんにしてもファメール様に気に入られているみたいで安心したわ。ファメール様は偏屈だから、虐められていたらって心配だったの」


殺されそうになったけれどね、と、里桜は心の中で考えて苦笑いを浮かべた。


「ね、どんな感じだった?」


イリーが里桜の手を取って面白そうに笑って言った。


「え? 何が?」

「ファメール様のキスよ。上手だった?」

「へっ!?」


顔を真っ赤にすると、里桜はイリーから顔を背けた。


「上手とか、わかんないよ!」


 そう言いながら、里桜はファメールとのキスを思い出した。

 優しく頬に触れた手、ほんのりと香る香水の匂い。柔らかい唇の感触。乱暴な印象は全く受けなかったし、きっと上手なのだ、と思う。

 けれど……と、里桜はアルカとのキスを思い出して増々顔が熱くなった。アルカの時は、そう、アルカは私を男の子だと思っていたはずなのに妙に優しくて、それに……舌先が少し触れた。


「……ねえ、イリー」

「なあに?」

「アルカって、変態なの?」



 ――――夜空に煌めく星々を見上げ、唇をきゅっと結ぶ。

 僅かに吹く風が金髪を浚い、ドレスのレースを揺らめかせた。祈る様に手を組んでエルティナは小さくため息をつくと、見上げていた視線を降ろし瞳を閉じた。


「誰か待ってんの?」


 背後から声を掛けられてエルティナは振り向いた。灰色の髪の男がテラスの縁に腰かけて、鳥の様な灰色の翼を折り曲げて羽先を指でなぞっていた。傷んだ羽をプツリと抜き、バサバサと翼を仰いだ後灰色の瞳でエルティナを見つめる。


「待ち人はオレ?」


微笑んで頷くエルティナに、アルカも笑みを返した。


「嘘つけ、あんたが待ってるのは『アダム』だろう? エヴァ。一夜を共にした相手を恋焦がれて待ってるなんて健気だなぁ」


その問いには答えずに、エルティナは小さくため息をついた。


「リオはうまくやっていますか?」

「ああ。やっとあんたの思惑が分かったぜ」

「私は、『アダム』を開放したいだけなのです」

「だろうな。愛しい『アダム』に逢いたいだろ? でも、悪いが逢わせるわけにはいかないんだなーコレが。おあいにく様ってヤツだ」


首を左右に振り、エルティナは瞳を潤ませてアルカを見上げた。


「私はただ……! そんな風に意地悪を言うのは止してください!」


肩を震わせるエルティナにハッとして、アルカは瞳を伏せた。


「……ごめん」


 アルカは俯くと、唇を噛んだ。ふわりと風が吹き灰色の髪を浚う。その思いつめた表情に、エルティナは怪訝な瞳を向けた。


「アルカ?」

「……先延ばしにできねーかな」

「え……?」

「リオが女の子だったなんて、誤算だった」


 エルティナの脳裏にブラウンの髪をした可愛らしい里桜の姿が浮かんだ。召喚した時は男の子の様な恰好で、名前も『リオ』と名乗ったので、皆男性だと思い込んでいた。

 里桜が女性として着飾れば、それは美しい淑女となるだろう。


「アルカ、貴方はひょっとして、リオを……」

「レアンと、それにファメールまでリオに惚れたみたいだ」


 エルティナの不安とは別の問題を言葉にされ、動揺した。アルカは言葉を失ったエルティナに、そのまま「時間をやりたい」と告げた。


「ですが、いつまでもリオを留めてはおけないわ。アルカと『アダム』のように、私も……」

「分かってる。でも……それでもできるだけ長く。頼むよ。オレはあいつら二人の時間を奪っちまったから、だから……」

「アルカ、私には時間をくれなかったというのに! 私は、私の気持ちはっ……!!」


 取り乱し、ポロポロと涙を零すエルティナを、アルカはため息をついて見つめた。テラスの縁からトンと降りてエルティナの前へと赴くと、アルカの胸にエルティナが飛び込んだ。


「お慕いしています。アルカの為ならば、私はどんな事でもすると誓います。だからどうか私にも、アルカの時間を下さい」


 エルティナの白い頬を優しく指で拭い、灰色の瞳で見つめた後、アルカは「『アダム』の代わりで良ければ」と小さく皮肉を言って口づけした。

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