第22話 ファメール
「折角の王室案内だってのに、なーんか興ざめしちまったなぁ」
やれやれとアルカは肩を竦めた。興ざめどころか気分もだだ下がりである。
里桜はすっかり落ち込んでおり、アルカはどう元気づけたものかと考えて、そうだと手を叩いた。
「忘れてた。もうすぐリオに客が来るんだった」
「お客さん?」
「そ!」
アルカは里桜に手を差し伸べて微笑んだ。
「リオが喜ぶ客さ! 行こうぜ!」
アルカに連れられて広いエントランスへと向かうと、そこには大きな荷物を抱えた人物が居て、何やら手続きの為か城の使用人と話しながら、書類に目を通している姿が見えた。
「イリー!!」
里桜が叫ぶと、イリーは里桜の方を見てニッコリと微笑んだ。
「リオ! 良かった。すぐ会えて」
「お客さんて、イリーのこと?」
里桜の問いにアルカは頷くと、イリーの荷物を代わりに持った。
「そ。イリーは週の半分、城の使用人として来てくれる事になったんだぜ」
「勘違いしないでくれるかしら。私はリオのお世話をする為にレアン様が送ってくださったのよ? アルカ様の使用人では無いわ」
「えー!? つれねー! オレの相手、してくれねーの!?」
プイッとアルカから顔を逸らすと、イリーは里桜の両手を取って嬉しそうに微笑んだ。
「アルカ様なんか無視しちゃっていいんだからね。気を遣う必要なんか無いのよ」
「イリアナちゃん……?」
困った様に頭を掻くアルカを完全に無視し、イリーは里桜を見つめた。
「リオがお城に移ってまだ二日と経っていないのに、邸宅の皆は明かりが消えてしまったみたいに落ち込んでるわ。デュランはレアン様と一言も会話しなくなっちゃって」
「どうして?」
「デュランは怒っているのよ。レアン様が勝手にリオをお城に移動させちゃったから。他の皆もそうよ。リオが居なくなって、レアン様は皆に責められてるの。だって自分はお城でリオに逢えるんだもの。そんなのずるいわ!」
レアンの邸宅に戻れるものなら戻りたい。デュランにも、皆にも会いたい。と、里桜は思った。けれど、俯いて気持ちを落ち着かせた。アルカを殺す事のできる自分は、自分の意思と関係無くこの世界に居てはいけないのだ、と。ファメールの研究を手伝い、一日でも早く日本に帰らなければならない。
「私も皆に逢いたい。また、お菓子を焼いて皆で食べたいな」
そう言って微笑む里桜の笑顔があまりに寂しげだったので、イリーは小首を傾げた。
「どうしたの? リオ。少し元気が無いみたい」
「うん。平気だよ」
アルカは里桜の気持ちを察し、「ほら、んなとこ突っ立ってねーで部屋へ行こうぜ?」と、促した。
「ごめんね二人とも。私、ファメールさんの所に行ってくる」
「リオ、そんな慌てなくったって……」
引き留めようとするアルカに里桜は首を左右に振って微笑んだ。アルカもイリーも大好きだ。だからこそ、里桜はこの世界から一刻も早く消えなければならない。
「よくわからないけれど、ファメール様ならこの時間星見の塔に居ると思うわ。大広間の前の廊下の突き当りに、塔への扉があるから」
「分かった行ってみる。ありがとうイリー」
二人に手を振って別れ、里桜はファメールがいるであろう『星見の塔』とやらへ向かった。
アルカに案内してもらった使われていない大広間の扉の前を通り、長い廊下を歩く。すれ違う数名の使用人に会釈をしながら、突き当りにある鉄製の扉へとたどり着いた。丸い輪っか状の取っ手を引き開けると、石造りの螺旋階段が上へ上へと延びている。
ところどころに蝋燭の明かりが灯っているいるものの、窓が少なく暗い階段を里桜は気持ちを奮い立たせて上った。塔の中層当たりで扉が見えたので、里桜は呼吸を整えてノックをした。
「ファメールさん、里桜です。いらっしゃいますか?」
「どうぞ」
返ってきたのはファメールの声ではなかったが、里桜は許しを得たので扉を開いた。中には数人のファメールの助手らしきローブを羽織った男性が居て、高く積まれた書物や見たこともない実験器具のような物が所狭しと置かれていた。
いくつかある木製の机の上には、地球儀の様な模型だったり本だったりが積まれており、その一番奥の机には灰色の髪を束ねたファメールの姿が在った。
彼は忙しそうに羽ペンを動かし、何やら書物に書き込んでいる様だった。ファメールの代わりに返事をしたと思われる助手らしき男性は20代後半程の男性で、赤みがかった茶髪を後ろで束ねており、身なりを綺麗に整えた紳士的な物腰の人だった。
彼の顔を見て、里桜はドキリとして硬直した。
……叔父に似ている、と思ったからだ。
里桜の叔父は、里桜の母親と15歳程歳が離れた弟で、里桜を引き取った時は25歳になったばかりだったと思う。
里桜が幼少の頃はよく相手をして貰ったものだ。『にいに』と呼んで慕ってすらいた。
里桜の父親の秘書を務めていた当時は有能で顔立ちも良く、婚約者も居たはずだった。しかし、会社が倒産し、里桜の母親の事件以降は里桜の父親である義兄同様すっかり酒に溺れ、すらりとしていた体系もすっかり肥え太り、その変貌ぶりといえば見るに堪えなかった。
叔父に対して憧れを抱いていた里桜にとっては尚更に失望させた。
「リオ様、お待ちしておりました。私はヴィベルと申します。ファメール様と共に魔術や星の研究をしております。と言っても、ほとんど補佐役でしかありませんが」
「こ……こんにちは」
里桜が憧れていた頃の叔父にそっくりなその人はヴィベルと名乗り優しく微笑んだ。丁寧にお辞儀を返すと「かわいらしいお嬢さんですね」と口元を綻ばせ、僅かに頭を下げて上品に頷いた。
「ヴィベル。それと他のみんなも。悪いけど席を外してくれないか」
ファメールが言うと皆すぐに返事をし、「では休憩を取らせていただきます」と部屋から出て行った。
気になってヴィベルの背を追う里桜の視線に気づき、ファメールは僅かに笑った。
「ヴィベルが気に入ったのかい?」
「いえ、そういうんじゃ。ちょっと……というか、かなり知り合いにそっくりだったから驚いただけ」
「ふーん? どんな知り合い?」
「叔父です。でも今はもう太っちゃって酒浸りだからヴィベルさんに失礼かも」
ファメールは肘を机につき女性とも思える程の綺麗な顔立ちを里桜に向け、金色の瞳を細めた。
「それにしても思ったよりずいぶんと早く来たじゃないか。怖がって今日は来ないかと思ったよ」
「怖い……は、怖いです。でも、ごめんなさい。忙しかったみたいですね」
「別に。どうせいつも忙しいから。まあ、座ってよ」
ファメールに促されて席へと着くと、開かれたままの書物が目に入った。
「……あれ?」
里桜は小首をかしげた。見たことも無い文字のはずなのに、書かれている文字の内容が理解できるのだ。
「何?」
「いえ……。この本、星の事が書かれているのね」
「へえ? キミ、字が読めるの?」
「不思議。この世界の文字は初めて見るのに」
「キミが居た世界でも、文字は読めたのかい?」
「ええ、いくつかの言語は勉強しました」
「ふぅん? 思ったより役に立ちそうだね」
ファメールは微笑むと席を立った。里桜の傍へと来ると、竜の翼を象った大きなピアスを揺らして里桜を見つめた。
長いまつげに、神秘的な金色の瞳でじっと凝視され、里桜はどこに視線を向けるべきか困惑した。
女性的な顔立ちとは裏腹に男性的な首筋が嫌に妖艶だ。長い指にはいくつかの指輪がつけられていて、ファメールはその手で里桜の頬に触れた。
「なんだ。よく見るとなかなかにキミは美しいね」
「え!?」
と、ファメールの発言に驚いて視線を上げた里桜に、ファメールは唇を重ねた。
リーンと、ピアスが甲高い金属音を放つ。
驚いて硬直したままの里桜から唇を離すと、今度は里桜の首筋にキスをした。ちゅ……と僅かに音が鳴り、ゾクゾクと妙な感覚が走って里桜は顔を真っ赤にした。
「え……ちょっとファメールさん!?」
この人、さっき私を殺そうとしたばっかりなのに、何考えてるの!? と、里桜はファメールの両肩を抑え、自分の体から彼を引き離した。
ファメールは舌なめずりをして嫌に色っぽく笑うと、素直に身を退いた。
アルカだけじゃなく、まさかファメールとキスをするとは想像だにしなかったと、里桜は困惑と動揺でバクバクと鼓動する胸を抑えた。
「どうして……!」
「何が?」
どうしてキスなんかするの!? と、聞きたかったが、あまりにしれっとファメールが恍けるので、うっと里桜は怯んだ。
「わ、私! 元の世界に帰る方法が見つかるかと思って来ただけで!」
「うん。でも、悪いけどそうそうすぐに答えなんか見つからないよ」
悪びれもせずにそう答えると、ファメールはシャラリと音を立てて、里桜に渡していたネックレスをその手に持っていた。いつの間に外したのかと驚いて、里桜は自分の首に触れた。
「キミにはカインの刻印があるからね。僕の眷属の証はもう不要だろう? このネックレスについている鱗は回収させて貰うよ」
ポカンと絶句している里桜を、ファメールは片眉を吊り上げて不思議そうに見ると「ああ、そうか」と、言葉をつづけた。
「今のは僕の眷属から外す為の儀式だよ。変な勘違いは止してよね。ああ、めんどくさい」
やれやれと肩を竦めるファメールに里桜は呆気にとられた。
・・・・・・つまり、アルカには治療の為にファーストキスを奪われ、ファメールには眷属から外す儀式の為にセカンドキス(明確には違うが)を奪われたと、そういうこと?
私の唇を何だと思ってるの!? と、里桜は怒りに震えた。
「酷い! 女の子の唇を易々と!」
「何言ってるのさ? 悪くなかっただろう?」
「は!?」
「それとも舌でも入れて欲しかった?」
「なっ!!」
カッと顔を赤らめて里桜は袖口でゴシゴシと唇を拭いた。
「あ。何それ、なんだか傷つくじゃないか」
「傷ついたのは私!」
ケラケラと笑うと、ファメールはトンと机に腰かけた。
「悪かったよ。まあ、準眷属の解除は唇へのキスなんか必要無かったからね。キミの驚く顔が見たかっただけさ」
「ファメールさんっ!」
「あはは。面白い」
「全然面白く無いっ!!」
ひとしきり笑った後、ファメールは里桜に小さな小箱を手渡した。有無を言わせぬ様子に渋々中を開けると、少し大きめの指輪が収められていた。
「笑わせてくれたお礼にその指輪をプレゼントするよ。右手の中指につけておけばお守りになるからね」
「……あ、ありがとう。ちょっと待って? ひょっとして、この指輪を返す時もまた儀式だとかあるの?」
「言っただろう? プレゼントだって。それに眷属の証じゃないから回収なんかしないさ……あれ?」
里桜から外したネックレスを見つめて、ファメールは片眉を吊り上げた。
「守りの術が作動しているじゃないか。キミ、何か危険な目にでも遭ったかい?」
「危険な目にしか遭ってない気もするけど」
皮肉を込めて言った里桜にファメールは微笑んだ。やけに無邪気な笑顔で、可愛らしく見えるのが余計に憎たらしい。
「早い所回収しておいて良かったよ。この守りの術は一回きりだからね。なるほど、それでレアンが警戒したのか」
「どういうこと?」
小首を傾げた里桜の頬を白く長い指で撫でると、ファメールは里桜の首筋に視線を向けた。
「な、何?」
「レアンの噛み跡は無いね? つまり、そういうこと」
「ファメールさんの守りが無いからレアンが私に噛みつくかもしれなかったってこと?」
頷くファメールに、里桜は思わず自分の首筋に触れた。
「でも、噛んだら一体どうなっちゃうの? レアンは暴走するとか言っていたけれど」
「そうさ。ヴァンパイアとしてはレアンは常に餓えているからね。そこに処女の血が入ったら、普段封印して抑え込んでいる魔族としての本性が現れるってことさ」
「魔族の本性?」
ファメールは頷くと、ため息をついた。
「そうさ。僕達はそもそも世界を破滅させる為に作られた存在なのだから」
「どうして? そんなの酷い!」
里桜の言葉にファメールは優しく微笑んだ。その笑みが美しく妖艶で、里桜はドキリとした。
「酷いよね。けれど、聖と魔の存在が必ず必要なんだよ。光があれば影があるようにね」
「皆優しくて良い魔族なのに」
クスリと小さく笑って頷くと、ファメールは窓の外に視線を向けた。
「……そうだね。魔王のアルカが自分の力を抑え込んでいるから、僕達魔族は全てが王に従い、自分の力を抑え込んでいる。だからこうしてムアンドゥルガは成り立っているのさ。誰もが血の気が多い魔族なら、今頃とっくにこの世界は崩壊していることだろうからね」
ふっと笑うと「そろそろ頃合いかな」と、ファメールは肩を竦めた。
「何が?」
小首を傾げる里桜を他所に机から降りると、一冊の本を片手にファメールは何やら詠唱をした。
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