第42話 アダムとエヴァ

 エルティナが腰かけた白馬の手綱を引きながら、アルカはムアンドゥルガの王都を案内して歩いた。テラスから二人で脱走したなどとつゆ知らず、護衛達は今頃空の部屋の前を熱心に護っている事だろう。

 立ち並ぶ露店をエルティナが瞳を輝かせて見つめ、時折指さしては話に花を咲かせ、微笑んだ。


「賑やかですね。アシェントリアの王都は露店を禁じているので、こういった賑わいは有りません」

「アシェントリアは高級店の立ち並ぶお洒落な街って感じだもんなぁ」


アルカは露店から薄手のショールを買い求めると、エルティナに手渡した。


「日差し、暑いだろ? 馬車だと露店を巡るにも小回りが利かないからさ、こんな形のデートでごめんな」

「ありがとう、アルカ」


 微笑んで、エルティナはさらりとショールを羽織り日差しを避けた。金色の髪が日差しを浴びてキラキラと輝く。アルカはそんなエルティナを見上げながら、現実世界ではブロンドに憧れたっけなと、思った。

 エルティナの美しさに道行く人々の視線を集めて注目の的になり、アルカは至る所で声を掛けられた。


「アルカ様、随分とお綺麗な方をお連れですね」

「お嬢さん、この人女たらしだから気を付けなね!」

「また別の女性を連れて歩いて」


 ついには子供達が「おんなったらしー!」「たらしー!」と、叫んで走り回る始末に、アルカは「うるっせ!」と、喚いた。


「あーもー! なんなんだよ! デートの邪魔すんなっ!!」


白馬の上でエルティナがクスクスと笑った。


「アルカったら、女たらしなのですか?」

「そんなことねー……くもなくもなくもない?」


うー、と難しい顔をしながらそう言うアルカの肩に触れると、エルティナはスルリと馬から降りた。


「一緒に歩きましょう。折角のデートだというのに、これでは従者とのお散歩の様ですもの」


 微笑んで彼女は言ったもののヒールが高く歩きづらそうだ。アルカはエルティナを抱き上げて再び馬へと乗せると、「じゃあ、失礼して」と、その後ろに自分も跨った。

 きゅっとアルカに捕まるエルティナに、見ていた街の者から増々「女たらし」と罵られ、アルカはガックリと項垂れた。


「お前らなんか知らねっ! ふーんだっ!」


 子供の様にいじけた態を取ると「じゃーなっ!」と、ニッと笑って白馬の腹を蹴り速度を上げた。

 王都を抜け、草原を駆け抜けて森の中へと入り、木の根を避けて坂を上って丘の上へと出た。王都全体を見晴らす事のできる丘の上から、エルティナは「綺麗!」と、瞳を輝かせて称賛の声を上げた。

 風で飛ばされそうになったショールをアルカが掴み、フワリとエルティナの肩に掛けて、そのまま彼女の両肩を抱きしめた。


「エルティナちゃん」


笑いながら「なにかしら、女ったらしのアルカ」と、返事をするエルティナに、アルカは深いため息をついた。


「オレ、リオがすっげー好きみたいだ。どうすればいいと思う?」

「私を抱きしめながら他の女性の相談をするなんて、アルカらしいですわ」

「他の女性じゃねーもん。だって、エルティナちゃんと融合したら……さ」


エルティナは僅かに頷くと「そうですね」と言って、アルカの手に触れた。


「アルカは嫌ではないのですか? 私とリオの融合が」

「え? うーん。複雑なことは確かだなぁ」


 そう言いながら、アルカは心の中でかなりの拒絶反応がある事を認識していた。それはやはり、里桜を想う気持ちとエルティナを想う気持ちが全く別であったからだ。それも当然だろう、別の人間と認識せざるを得ないのだから。アルカとアダムの様に、アルカを愛する事がアダムを愛する事とイコールにはならないのだから。

 アルカの反応から、エルティナはアルカの本心に気づいた。だが、このままエルティナとしてアルカに愛してもらうことに最早望みは無い。それならばいっそのこと里桜としてでも愛されるのなら……。

 そう考えて、ただ苦しくなるだけの未来に何の意味があるだろうと瞳を伏せた。


「リオと、一度ゆっくり会話したかったですね」


寂しげにそう言うとアルカから離れ、エルティナはトンと馬から降りた。


「リオと? これからいくらでも会話できるさ」


アルカも馬から降りると、マントを外して横たわる木の幹へと掛け、「どうぞ、女王様」と、座るように促した。


「リオを召喚したとき、現実世界の私は少年なのかと驚きました」


木の幹に腰かけてドレスの裾を直すと、エルティナはアルカの横顔を見上げながら話した。


「少年なのであれば好都合だとも思いました。私の様に聖剣を扱う力を失う心配もありませんもの。あの洞窟に行けば、アルカに出会えるはずと分かっていましたから、アシェントリアの大臣達にあれこれと窮屈な思いをさせられる前に、早々に送らせたのです」

「なるほどな。だから会話できなかったのか」

「アルカは……現実世界に帰りたかったのでは無いのですか? だから私に聖剣を差し出したのでは無いのですか?」


アルカは俯くと、両手を腰に当てて「うん……」と、ため息交じりに頷いた。


「現実世界に戻る気はねぇよ。だから、『アダム』じゃなく、オレを殺して欲しかったんだ」


アルカの言葉に、エルティナは瞳を見開いた。


「……それほどに、現実世界には戻りたくないと?」

「うん」

「この世界でアルカを殺せばアルカは現実世界には戻れません。ここに閉じ込められてしまうのですよ? 今のアダムのように。いいえ、貴方は自分の意思を何一つ伝えることができないまま、ずっと貴方という殻の奥底に閉じ込められてしまうのです。分かっているのですか?」


エルティナが取り乱した様に言い、アルカは全て把握していると瞳を閉じて頷いた。


「それでも、皆を開放する事はできるだろ? そう思ってたんだけど、ファメールとレアンの奴がそれを良しとしてねぇみたいだ。だからさ、どうしたもんか……って」


 アダムが里桜に殺されれば、アルカは解放されて元の世界に戻る事ができる。この世界に巻き込んでしまった者達もエルティナとアダムを除けば解放される。元々この世界はアダムの世界であり、エヴァの世界なのだから。

 だが、もしもアルカが里桜に殺された場合、世界そのものは無くなり解放されるが、行き場を失う者がいくつか存在する。

 行き場を失う者。それは、アルカ自身と、アダム。そして現実世界に里桜が存在しているエルティナだ。


「リオと一緒に現実世界に戻りたいのでは?」

「一緒に居たいとは思う。けど、そもそもオレにはそんな資格なんかない。二人の兄弟を死に追いやって、オレだけのうのうと生きてなんかいられねぇよ。そんなの、許されるわけがない」


 エルティナはため息をつくと、隣に座らずに立ったままのアルカを見上げた。アルカはまっすぐとムアンドゥルガの王都を愛しそうに見つめていて、しかし、大事な人達を閉じ込める牢獄としてしまっている事に責任を感じてか、灰色の瞳は寂しげだった。


 ——本心はどうなのだろうか。今アルカが言った事は勿論嘘偽りは無いだろう。だが、エルティナを抱きしめてリオを想う気持ちを伝えたアルカは……


『リオと共に、現実世界で生きたい』


 本当のアルカにとっての幸いはそれだろうとエルティナは確信し、立ち上がった。


「アルカ」

「ん?」


 白くか細い両手を伸ばし、エルティナはアルカの肩に回してキスをした。浮かべる微笑みが美しく、アルカは灰色の瞳を細めて少し困った様にエルティナを見つめた。

 ——ああ、分かり切っていた事とはいえ、こうも私に対して恋する気持ちが無いとつきつけられては、少し辛い。

 エルティナはそう思ったが、ニコリと微笑んだ。


「アルカに贈り物があります」

「へぇ? 何?」


 エルティナがアルカから離れると、馬に括り付けてある鞄の中から小瓶を取り出してアルカに手渡した。


「何? コレ」

「喉がかわいたでしょう? スラー特産の果実酒だそうです。外交顧問の方から頂いたの。珍しい品の様ですが、私はお酒が飲めませんから」

「へぇ? ありがとう! じゃあ、早速」


 くっと飲み干した後、アルカは瞳をパチクリと瞬きさせて「何これ激美味っ!」と言ったので、エルティナは笑った。


「甘くて濃厚! こいつは大量輸入したいくらいだ」

「お気に召したようで良かったですわ」

「鉱山の視察から戻ってきたら早速ファメールに話してみるよ。スラーの外交顧問も交えてさ」

「アルカ。貴方の本当の望みは、きっとアダムなら分かるのでしょうね」


「……え?」


ふわりと風がエルティナとアルカの髪を靡かせた。


「アダムと、少し会話できますか?」

「いや、それは……」


 無理……と、言おうとした時に、アルカの口が勝手に『なんだ。エヴァ』と答えたので、アルカは驚いて口を押えた。


「あ……あれ?」

『おどろくこたぁねえさ』


 ——おかしい。ついこの間アダムが現れたばかりだ。次は三カ月後のはずじゃ……?

 アルカはゾワゾワと迫りくる恐怖に襲われた。


「だ、だまれアダム。ひっこんでろ!」


アルカの言葉にアダムが笑った。


『いいや、おめぇがひっこんでろ。俺はエヴァと話しがあるんだ。なあ? エヴァ』


エルティナは頷くと、アルカに向き直った。


「アダムの望みは何ですか?」

『カインの望みを叶える事さ。』

「オレをその名で呼ぶなっ!」


アルカは叫び、そのままその場に両ひざをついた。


「なんだよこれ、どうなってんだ……?」


エルティナがアルカの肩にそっと触れた。


「アダム。想いは一緒です。私もアダムと同じ。アルカの望みを叶える事が、私の望みです」

『だろうな』


クッと、アダムがアルカの顔を歪めて笑った。


『当然だ、コイツが作った世界だからな。この世界の誰もが、コイツの想いに同調せざるを得ねぇ』


 バサリと漆黒の翼を背に生やし、アダムが立ち上がった。涙を零すエルティナを見下ろしてフンと笑うと、黒く鋭い爪の伸びた手でエルティナの肩に触れた。


「一つだけ。寂しいと思うのは、アルカと二度と会えなくなってしまうことです」


肩を震わせて泣くエルティナをアダムは真紅の瞳を細めて見つめた。アルカの意識はアダムの奥底に閉じ込められ、どんなに叫ぼうともエルティナに届くことはない。


「俺に惚れてくれてたら良かったんだ。エヴァ」


首を左右に振り、エルティナは微笑んだ。


「それは、有り得ませんわ」

「俺はお前を殺したくなかった。だから破瓜を求めたってのに」

「分かっています。ありがとう、アダム。私にアルカとの時間をくれて」


 アシェントリアの城のテラスで、毎日の様にアルカの訪れを待ち続けた。鳥の羽ばたきが聞こえだけでドキリと心臓が鼓動し、アルカの姿を探した。自分を愛していないと分かっていても、それでもアルカと過ごす時間は、エルティナの全てであったと言っても過言ではなかった。

 この世界に……を作って貰って良かった。ありがとう、里桜……。


「……あんたは、いい女だったぜ」

「お世辞は似合いませんわ。アダム」


 アダムがエルティナの首を掴むと、黒く伸びる爪が彼女の首をプツリと傷つけた。


「俺が、お世辞なんか言うと思うか?」


白くか細い両手を伸ばし、エルティナはアダムを抱きしめた。


「ごめんなさい。貴方を愛してあげられなくて……」

「邪魔だ。失せろエヴァ。俺を想わねぇお前なんざぁ要らねぇ」


 アダムの爪がエルティナの体を切り裂いた。飛び散る鮮血を浴びながら、アダムはエルティナの引き裂かれた体を抱き、悲しそうに瞳を伏せた。


「こんな、化け物を生み出しやがって。恨むぜ、カイン……」


顔を上げて舌打ちし、アダムはエルティナの体を無造作に投げ捨てた。

 ムアンドゥルガの王都を見下ろして、フンと鼻を鳴らす。


「……終わらせるか」


 光り輝く王都に嫌悪感を露わにし真紅の瞳を細めた。

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