第13話 騎士の苦悩

「おかえりなさい!」


レアンの帰宅を待ちわびた様に出迎えると、里桜はレアンのマントを受け取った。


「まだ起きていたんですか?」

「レアン、最近帰りが遅いんだもの。夕食一緒に食べたかったから」

「……すみません。先に食事を摂っていただいていて良かったのですが」

「一緒に食べたいから待っていたの。……迷惑だった?」


レアンは「まさか」と、微笑んでため息をついた。


「着替えてきます。食卓で待っていてください」

「うん!」


 階段を上り、自室へと向かうレアンを見送りながら里桜は小首を傾げた。


――なーんかこの間から態度が変。ちょっとよそよそしいような? 厩舎の掃除の後、私が疲れて眠りこけちゃったから怒ってるのかな?

 里桜は事件の事は夢と混同していることもあり、あまり覚えていなかった。体についたはずの傷も綺麗さっぱり消えていることも、夢だったのだろうと思わせる理由の一つだった。

 レアンも他の使用人達もその話題には触れない事としており、レアンに至っては、里桜が女性であることが発覚した以上、無闇に身体に触れては失礼だろう、と、以前はすぐに頭を撫でていたことをピタリと止めた。

 里桜にとってはそれが距離を置かれたように感じたとも言えるだろう。それに加え、レアンが早く帰宅できるように計らってくれていたのは、ファメールだったという事が分かったのだ。

 軍師であるファメールが、騎士団の者達と協力しレアンを早めに帰宅させるように調整してくれていた。

 その事実を知り、レアンは今までのお詫びも兼ねて騎士団の協力してくれた者達に非番を与え、その分の仕事を一挙に引き受けていた。


「すまなかったよ。勝手な事をして」


遅くまで残って仕事をするレアンにファメールはため息交じりに言った。


「とんでもない。兄上はリオの為を思ってしてくれたのですから」

「でも、結果キミがこうして穴埋めしているんだと意味が無いよ。それに、気づいたんだろう? リオが女性だって事に」

「……はい」


ファメールは俯いて、「やっぱりね」と、小さく言った。


「リオに話そうと思います。眷属の事を」

「そうか。まあ、いいよ。キミがそうしたいなら好きにするといい。明日、非番にするよ。溜まっていた仕事は大方片付いただろう? ゆっくり話すといい」

「有難うございます。リオを頼みます」

「アルカからも聞いているよ。心配いらないさ、部屋も準備しているから」


「リオ、明日は非番なので南の森に出かけませんか? 綺麗な泉があるので気分転換になるかと」


 食事中レアンが言った言葉に、デュランとイリーは目を丸くした。思わず顔を見合わせた後里桜に視線を向けると、里桜は素直に頷いて「うん。行ってみたい! ありがとう、レアン」と微笑んだ。

 レアンの表情がパッと明るくなり、デュランとイリーはそれを見てそっとその場から離れた。イリーは調理場に行き、調理担当の者達に明日の昼は持ち運びのしやすい食事にするようにと指示を出した。

 デュランは衣装係に明日は動きやすくおしゃれな服装を用意するようにと指示を出し、二人は何喰わぬ顔で再び食堂へと戻った。


「綺麗な泉かぁ。楽しみ! そこって泳いだりもできるのかな?」


 何も考えずに放った里桜の言葉にレアンは頷くと「アルカは素っ裸で泳いでましたよ」と、苦笑いを浮かべた。

 え? アルカが? と里桜は考えて、しまった。流石に服を着たまま泳いだりはしないに決まっているなと、自分の失言に今更ながらに青ざめた。きっと女性であることが皆にバレるに違いない。


「どうしました?」


突然口を噤んだ里桜を心配して声を掛けると、里桜は首を左右に振った。


「な、なんでもない! あ、レアンも泳ぐの?」

「お恥ずかしながら、私は泳ぐのが苦手で」

「泳げないの?」

「いえ、泳げないわけではないのですが、水が得意ではないんです」


 それなのに泉へ行こうと誘ってくれたのは、自分を気遣ってくれたのかと、里桜はレアンの優しさが嬉しくてレアンを見つめた。

 大きな体をしているのに物腰はスマートで、いつも優しい笑顔を向けてくれるレアン。

 それに、デュランもイリーもとてもよくしてくれる。

 里桜は幸せを感じた後、ふと――けれど、ダメだ。ずっとここに居るわけにはいかないのだ――と思い、ため息をついた。

 魔王を退治し、自分は日本に帰らなくてはならない。大学受験の勉強ももう随分遅れている。忘れられない、逃れようのない事実が常に頭をよぎる。それを考える度に不安になり焦りが生じるのだ。


「……レアンは、国王様を慕っているの?」


唐突な質問にレアンは瞬きをして里桜を見つめた。


「……そうですね。騎士ですから。、忠誠を誓っていますよ」


 そういえばアルカに、里桜にちゃんと自己紹介をすべきだと言わなければ、と、レアンは考えて、あのバカ男を捕まえるだけでも難儀だなとため息をついた。


「国王様がいなくなったら、困っちゃうよね?」


 ポツリと言った里桜の発言にレアンは更に驚いて里桜を見つめた。

 里桜は何を言いたいのだろうか。国王が居なくなる、とは? しかし、あの男は普段から不在だ。代わりに公務は全てファメールが執り行っている。


「……あまり困らない気もしますね」

「そうなの!?」

「ええ。どうせ普段から城に居ませんし」


……そういう意味じゃないんだけどなぁ。と、里桜は思ったものの、それ以上は訊かずにおいた。


「さ、リオが作ってくれたお菓子ですわ」


 イリーの合図でメイドが給仕をし、テーブルの上に焼き菓子が置かれた。ふんわりと部屋にバターの香ばしい香りが広がる。レアンが一つ取り、口に運んで微笑んだ。


「リオは本当にお菓子作りが巧いですね」

「ありがとう。レアン」


 二人のやり取りの後、デュランとイリーが我先にと手を伸ばし、焼き菓子を頬張った。

 レアンは呆れた様に笑うと、「皆席に掛けて食べてください。行儀が悪いですよ」と、宥める様に言った。リオがお菓子を作ると決まってこのパターンとなり、使用人達も一緒にティータイムを楽しんだ。


「私、明日も何か作って持って行っていいかな?」

「勿論よ! むしろ大歓迎だわ」


 イリーも他の使用人達も嬉しそうにするので、里桜はこの時間が大好きだった。レアンと使用人達の関係は、イリーが前に言った様に人間の言う主人と使用人との関係と全く違う様だった。

 勿論、レアンは騎士団の団長であり地位は高いのだろうけれど、服従するような使従関係ではない。

 イリーやデュランはレアンを慕いながらも、平気で思った事はズケズケ言うし、レアンもそれを不敬と捉えず受け入れている。それが普通の様だった。


「なんか、家族みたいだね」


 里桜は嬉しくなってそう言った。考えてもみればこんな風に家族団らんめいたことはここに来るまで無かった。

 母親が生きていて、まだ父親の会社も軌道に乗っていた頃でさえ、両親共に忙しく、また、里桜も習い事や勉強に勤しんでいた。

 食事と言えば家で一人で摂るか、両親の用事で会食に付き合うかといったところだった。


「リオみたいな弟なら何人でも欲しいわ!」


 イリーが言うと、デュランがボソリと「姉って歳でも無いでしょうに。厚かましい」と言ったので、デュランの耳をイリーはぐいと力任せに引っ張った。


「何か言ったかしら?」

「離せ! この暴力女っ!」

「あんたが余計な事言うからでしょ!」

「本当の事を言ったまでですよ!」

「なんですってぇー!?」


デュランとイリーの様子に驚き瞳を丸くした里桜を見て、レアンは慌てた様に二人を宥めた。


「二人とも、リオが怯えますから! リオ、気にしないでください。この二人はいつもこうなのです。最近は若干リオに気を使って大人しくしていましたが」

「そ……そうなんだ。仲良いんだね」

「え!」


 里桜の言葉にデュランとイリーは顔を見合わて、気まずそうにパッと目を逸らした。レアンはホッとして里桜を見つめた。里桜の首筋等に傷が無い事を確認して唇を噛んだ。


レアンのその様子に里桜が気づいて小首を傾げた。


「どうしたの? レアン」

「いえ。なんでもありません」


そう言った後レアンは言葉を続けた。


「さあ、明日は早いですよ。今日は早めに休みましょう」


里桜は素直に「はーい」と返事をすると、席を立ってレアンの側へと行きレアンの大きな手を取った。


「リオ?」

「明日ね、すっごく楽しみ! わくわくして眠れないかもっ!」


 帰りの遅くなっていたレアンと久々に夕食を一緒にとれた事も嬉しかったし、明日は久々にゆっくりと話す事ができると、里桜は嬉しくてレアンの手に触れた。もしも里桜が子犬であれば尻尾をブンブンと振っていた事だろう。

 レアンはつい里桜の頭を撫でて、しまった! と思ったものの、別れを惜しむ様に里桜を見つめた。


「楽しみにしてもらえて光栄です」


 カタリと席を立つレアンの手を里桜はそのまま放そうとしなかったので、レアンは少し迷ったが、里桜の部屋の前まで送っていく事にした。

 嬉しそうに笑う里桜の横顔を見下ろしてレアンも口元を綻ばせる。このまま一緒に居られたのならどんなにか良いだろう。


「おやすみなさい。レアン」


里桜の部屋の前で別れレアンは自室へと行くと、室内の窓辺にある椅子へと腰かけてため息をついた。

 窓に反射して映る自分の顔が余りにも辛気臭いので嫌気が差したが、僅かに口を開けて見て、見え隠れする鋭い牙にうんざりとして視線を外した。

 先ほどまで里桜と繋いでいた手を見つめる。あの小さく温かい里桜の手が愛しくて堪らない。

 けれどあの手は、余りにもか弱く繊細だった。


――大事に思うからこそ。離れなければならないのです。さようなら。リオ……

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