第14話 焼け爛れた手

 木漏れ日の降り注ぐ森をゆっくりと馬車が進む。馬車は二台連なり、その前方と後方には甲冑を身に着けたレアンの邸宅に仕える衛兵がしっかりと護衛した。

泉には護衛や食事の事もあるからと、デュランやイリー他数名の使用人も同行する事となった。

 こんな大所帯で出かけるのは初めてだったので、里桜はワクワクと高揚したが、レアンは騎士の性とも言うべきか、里桜の乗る馬車には同乗せず先導する衛兵に混じって馬を走らせていたので、デートとの時とは違って距離を感じ、里桜は少し寂しく思った。

 レアンとしては、里桜が襲われた件がどうしても心に残り、二度と危険な目に遭わせるわけにはいかないと警戒を強めざるを得ないのだ。

 騎士団長のレアン相手に手を出す様な愚か者がいるはずもないのだが、生真面目なレアンらしい行動だと、使用人達はそれに対して誰一人指摘しなかった。


「リオ、もうすぐ到着です」


 レアンが里桜の乗る馬車に並走し声を掛けた。生い茂っていた木々がポツリポツリとなり、太陽の光を遮っていた葉や枝が退くと、サアッと視界が明るくなった。

 馬車が止まり、レアンが馬車の扉を開けると里桜は眩しそうに瞳を細めて馬車から降りた。

 生い茂る草花から先は白い小石が敷き詰められて、その白い小石が砕かれて砂になったのであろう、白い砂浜からエメラルドグリーンの湖面が広がり、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。

 泉から流れ出る水は小さな滝となって流れ落ちている様で、流れ出る水の音が耳に心地よく涼し気だった。

 里桜は大はしゃぎで靴を脱ぎ泉の中へと入ると、膝下まで浸かって「冷たくて気持ちいい!」と、嬉しそうに笑った。その姿を見てレアンも嬉しくなり、連れて来て良かったと微笑んだ。


 使用人達がいそいそとピクニックの準備に取り掛かり、簡易的なテーブルや椅子を並べ日よけを準備した。

 こんな風に出かける事が初めてだというのに、準備を全て完璧にこなすデュランとイリーは優秀だなとレアンは誇りに思った。


「リオったら、子供みたいにはしゃいで……って、あれ? そういえば、リオっていくつなのかしら?」


イリーの言葉に、そういえば聞いた事が無かったなと、レアンは今更ながらに気が付いた。


「レアン様、知ってますか?」

「いえ、そういえば聞いてなかったということに今気づきました」

「うっかりしてたわ。見た目じゃなかなか判断できないのにね。私だってデュランよりも年上だし」


 デュランは準備を進めながら、「イリアナはメドゥーサの血を引いた蛇女ですからね」と、茶化す様に言った。


「……蛇女言うなし」

「ああ、手足は有るし、トカゲ女ですか?」

「失礼ねっ! あんたなんか牛男じゃないのよ!」

「なっ! 誰が牛男ですか!!」

「えらそーにでっかい角なんか生やしちゃってさー!」

「偉そうに生やしてるわけじゃありません!」


 また始まった、と、レアンはため息をつき、優秀なはずなのにここだけが困り所だと苦笑いを浮かべた。


「デュラン、イリアナ。言い争いは辞めてください。里桜が怯えますから」


と、泉で遊ぶ里桜に視線を向けたレアンは顔面蒼白になって辺りを見回した。


「リオ!? どこです!?」


里桜の姿が見当たらない……


「リオ!!」


大慌てでレアンが泉へと駆けて行った。

 それを見た使用人達はすぅっと血の気が退いた。皆悲鳴を上げ、レアンよりも動揺し、全員で死に物狂いとなり、レアンの名を呼びながら追いかけた。

 泉に後一歩という寸でのところでデュランがレアンを背後から羽交い絞めにする形で止め、二人は勢い余って大地へと転倒した。


「リオ!!」


 デュランを放り投げ尚も泉へと向かおうとするレアンに、他の使用人達が追いついて掴みかかり、数人がかりで彼の動きをなんとか止めた。

 それでもレアンの勢いは収まらず、余りの力の差に使用人達は皆恐れを抱きながらも必死に取り押さえた。


「レアン様! 落ち着いてください!!」

「リオが!!」

「レアン様!! 死んでしまいます!」

「しかし、リオが!!!」

「……皆、どうしたの?」


 唖然としてその様子を見つめる里桜の姿に、皆安堵してため息をついた。


  使用人達から解放され、レアンは里桜の前にしゃがみほっとした様に笑みを向けた。


「リオの姿が見当たらなかったので、溺れてしまったのかと肝を冷やしました」

「え!? 私、泳げるよ!? そこの石の日陰に座ってただけだもの。日焼けしちゃうし……」


そう言って、里桜は小首を傾げた。


「けれど、どうして皆してレアンを取り押さえていたの?」


うっと皆気まずそうに黙りこくると、「さあ、仕事しなきゃ!」と誤魔化す様に各々持ち場に戻った。

 ポカンとしている里桜に、レアンはため息をついて微笑むと「丁度良かった。リオに、私の事を話そうと思っていましたから」と、使用人達が準備してくれた日除けへと里桜を促した。


「魔族にはそれぞれ特徴がありまして。見た目に顕著に表れる場合と、現れない場合があるのですが」


 レアンは着込んでいる衣服の袖を僅かに巻くり、手袋を外した。手首から指先までが爛れた様に皮膚がざらついていて、里桜は思わず「火傷?」と聞いた。


「ええ。火傷です。私は聖水に触れると火傷します。この泉は湧き水ですから、神聖なのでしょう。昔、アルカ達と共に訪れた時、私だけが火傷し、水に触れる事すらできませんでした」

「そんな、じゃあどうして今日ここに連れて来てくれたの!? 私が、前にマナの泉で泳げないかなんて言ったから?」

「リオに話しておかなければと思ったのです。少し順番といいますか、想定外のタイミングになってしまいましたが。アルカ達と訪れたこの泉で」


 里桜に語りながら、レアンは脳裏に兄弟三人でこの泉を訪れた時の光景が浮かべた。


「ほーら、言った通りだろ? すっげーいいところだろ! な? ここを見つけたオレ、凄くね? 感謝したくならね? さっすがアルカってならね??」

「あー、はいはい。スゴイスゴイ。僕はただ、静かに本が読めればそれでい……」

「うひょー! つめてー!!」


ファメールの言葉を無視してアルカが泉へと飛び込んだ。


「ちょっとアルカ! せめてパンツくらい穿きなよ! 僕の目を腐らせる気!?」

「かてーこと言うなよ! おーい! レアン、泳ごうぜ!! 男同士裸の付き合いだ!」

「裸って……パンツは脱ぎませんよ?」


慎重なレアンは、泉の水温をまずは確認すべく手袋を外して手を付けた。


 ジュッ!! っと音が発し水蒸気が上がり、レアンがあまりの激痛に悲鳴を上げた。

 ファメールとアルカは慌ててレアンを泉から引き離し、焼けて赤く膨れ上がったレアンの手に驚いた。


「おい、なんだよコレ!!」

「触るなアルカ! レアンに治療を……・!」

「あ、ああ!」


口伝で魔力を吹き込もうとしたアルカから、レアンは逃れるように背を向けた。


「どうしたレアン。嫌なのはわかるけど、これで治るんだから我慢しろって。な?」

「いいんです治らなくて。これが私なのですから。聖水に弱い、そういう種族なのです」

「レアン……?」

「これ以上、貴方に依存するわけにはいかないんです」


「……依存?」


里桜の言葉に、レアンは頷いた。


「私は、いえ、私たちは生かされているのです」

「どういう意味?」

「レアン様」


デュランとイリーが二人の側へと来ると、さっとその場に跪いた。


「我らも同じ。レアン様に依存し、レアン様無しでは生きられぬ眷属です。ですからその御身、もっと大事に扱って頂きたい」


 イリーが首飾りを外し、里桜に首筋を見せた。小さな二つの穴が見え、里桜はまるで吸血鬼にでも噛まれた跡の様だな、と思った。


――え? まさか……。


「リオ、私たちはレアン様に血を吸われる事で生きながらえているの。人間には理解しがたいかもしれないけれど」

「魔族は眷属を持ちます。その場合、主人が死ぬと眷属達も死んでしまうんです。つまり、先ほど皆が私を止めたのは、もしも泉に入り聖水で私が焼かれ死んだ場合、眷属である皆も同じく死ぬ運命に……」


レアンの言葉にイリーは庇う様に言葉を発した。


「レアン様は、怪我をして死にかけていた者を救う為にしか眷属を増やしていないわ。無暗に血を吸ったりなんかしていないの。私たちは皆、レアン様に命を救われて生きているのよ。だから、リオ。怖がらないで」


――ちょっと待って、皆映画に出て来るヴァンパイアってこと!? うわ、すごっ! 初めて見たっ! と、里桜は考えて、小首を傾げた。


「この世界の吸血鬼って、日の光が平気なんだ?」


 ポツリと言ったその言葉に皆顔を見合わせた。里桜はもっと怖がり、自分達を嫌うのではと思ったからだ。


「……苦手な魔族が多いから、ムアンドゥルガは聖なる光源のみを遮る魔法障壁をファメール様が張っているの」

「へぇー! 紫外線とかどうなのかなぁ。日焼けするの?」

「日焼け……はするわね」

「そっか。紫外線をカットしているわけじゃないのね。あれ? ねえ、確かヴァンパイアってニンニクが苦手なんじゃなかったっけ?」

「私たちは大丈夫よ。それ、何の迷信?」

「十字架は?」

「十字架ってなあに?」


 異世界のヴァンパイアってちょっと違うのかなと里桜は考えて、そもそも作り話なのは自分が元いた世界の方なのかな? と、小首を傾げた。


「心臓に杭を打たれたら死んじゃうの?」

「リオ、それは恐らく誰でも死ぬと思うわ」


確かにそうだ。と、里桜も納得した。あと、ヴァンパイアと言えば……。


「普段から血を吸ったりはしないの?」

「吸わなくても生きていけるから、わざわざあんな不味いもの吸わないわね。大体、この国は人間がほとんど居ないし」

「ふぅん? なんか、人間とあまり変わらなくない? むしろ弱点が多くて不便なくらいだよね」

「……」


皆顔を見合わせると、イリーがプッと笑いそれが伝染するように皆笑い出した。


「ど、どうして笑うの!?」


訳が分からずに唖然とするリオにレアンが微笑んで言った。


「皆、リオに嫌われると思っていたんです。恐れられるだろうと」

「良かったぁ。かわいいリオに嫌われたら私立ち直れないもの!」

「折角生活に明かりが差し込んだのです。リオ様無くしてはまたいつもと変わらぬつまらない生活に逆戻りですから」

「……デュラン、つまらないと思っていたんですか?」

「それはそうでしょう。お堅くて真面目が過ぎる男主人に仕えて何を楽しめと言うのです?」

「それにリオのお菓子は絶品だもの! レアン様は甘い物を普段お召し上がりにならないから、リオに嫌われたら私、相当凹んで立ち直れないわ」


里桜は皆のその様子に唖然としながら見つめた。


「そんな、嫌うわけないよ。皆優しくて大好きなのに」

「大抵の人間は魔族を忌み嫌うわ。誰に嫌われたって構わないけれど、リオにだけはね」


 とても気持ちが分かるな。と、里桜は思った。私にも秘密がある。皆に話していない事。もしもそれを話したら、皆に嫌われてしまうんじゃないかって思ってしまう事。


「……私も、皆に聞いて貰いたい事があるの」


 里桜は意を決して口を開いた。

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