第15話 呪われた存在

 里桜は羽織っているローブを脱いだ。薄布で作られたシャツの下に、里桜の大きな胸の形が露わとなる。


「私、ホントは女の子なの。ずっと黙っていてごめんなさい。その、レアンに嫌われると思って……」

「り……リオ!?」


 レアンが慌てて里桜に背を向けて、デュランや他の男性の使用人達もハッとして視線を外した。イリーは唖然として里桜を見つめた後、チラリとレアンを見てため息をついた。


「ごめんなさい。悪気は無かったの」

「リオ! 早くローブを羽織ってください!」


顔を真っ赤にしてそういうレアンに里桜は悲しくなって俯いた。


「……レアン様がこんな調子なんだもの、黙っていたくもなるわ。リオは悪く無い」


イリーが里桜にローブを羽織らせると里桜はポロポロと涙を零した。


「私、ね。ここに来る前に叔父さんに襲われかけて、それで逃げて来て……」


 グスグスと里桜はみっともないのを承知の上で泣きながら話した。

 レアンは里桜を信用し、死にすら繋がる様な秘密を打ち明けてくれたのだ。信頼するのなら里桜も隠さず話すべきだと思った。信頼をしなければ、信頼を得る事ができない。頼るとはそういう事なのだ。


「すっごく怖かったの。今でも思い出すと身の毛がよだつ。だから、皆に男の子だって思われていた方が都合がいいやって思ってたの。皆を騙しちゃってごめんなさい」

「なんてこと! 怖かったでしょうに!」


イリーは里桜を抱きしめると、「リオは誰もだましてなんかいないわ!」と、優しく背を撫でた。


「そんなひどい目に遭ったんだもの、だましてなんかいない! 男が怖くて当然じゃない。それに、里桜は一度だって自分が男だなんて私に言っていない。嘘なんかついていないわ!」


レアンは怒りに震えた。


――叔父に襲われかけた……だと?

 里桜を襲ったその叔父とやらを斬り捨ててやりたいという感情がフツフツと沸き起こり、腸が煮えくり返りそうな自分を抑えるべくぎゅっと歯を噛み締めた。

 ギリギリと音が発せられ、その音に驚いて皆レアンを見つめた。


「れ……レアン様。顔がめちゃくちゃ怖いわ!!」


イリーの指摘も最もだ。あるはずのない燃え盛る炎がレアンの体から上がっているように錯覚するほど、レアンは怒っていた。


「男の風上にも置けませんね……。その叔父とやらはどこに居るんです? アシェントリアですか? 出兵する様に兄上に嘆願しましょう。勿論、私が出ます!!」

「や、止めて!」


里桜は慌てて首を左右に振ってレアンに言った。


「そんなことしたらダメだよ! もう終わった事だし、忘れたいし! ね、何もしなくていいから!」


大事になってしまったら困ると、里桜は大慌てでレアンの手を取りぎゅっと握り締めた。


「レアンのお陰で男の人を怖いと思う気持ちが薄れて来たの。私、もう全然大丈夫だから無茶しないで」


 ブルージルコンの綺麗な瞳で懇願され、レアンは怒りの炎が一瞬にして消え失せて、代わりに里桜に対する愛しい思いが強くなり顔を真っ赤にした。

 レアンの百面相の様子にイリーは隠れてクスクスと笑ったが、デュランがそれに気づいて咳払いをして諫めた。


「リオがそこまで言うのなら……しかし、何かあったらすぐに言ってくださいね? いつでもその叔父とやらを断罪しますから!」

「うん。ありがとう、レアン」


 里桜はホッとしてレアンに微笑んだ。愛らしいその微笑みはまるで魅了の魔術でもかかっているかのようで、皆つられるように微笑んだ。

 そしてその場に居た全員が確信していた。どうしてこうも自分達が里桜に惹かれるのか。それは、彼女が人間の処女だからなのだ。

 確かに見た目も可愛く性格も純粋な里桜は皆に好かれるだろう。だが、こうも溺愛に近い程に里桜に惹かれるのは、恐らくヴァンパイアたる所以なのだ。

レアンは唇を噛み、決心めいたように、しかし寂しげに里桜を見つめた。


 その様子に、皆里桜との別れが近い事を悟った。


「全く、兄上も人が悪い。竜の鱗を渡したときに既に気づいていたのでしょうから。教えてくれれば良かったのに」

「あら、リオが女の子だなんて最初に分かっていたら、レアン様はリオを邸宅に受け入れなかったんじゃないかしら?」


イリーの言葉にレアンは頷いてため息をついた。


「確かにそうですね。兄上は捻くれていますが、根はお優しいですからね。リオを守りつつ様子を見る事にしたのでしょう」

「どういう事?」


小首を傾げる里桜にレアンは咳払いをすると、「魔族とは……」と、語りだした。


 レアンが言うには、この世界の魔族はランクがあり、最上位である魔王から、上位魔族、中位魔族、下位魔族と大きく分かれるのだとか。

 例えば、中位魔族にランクされている魔族に対し、下位魔族が危害を加えた場合、数倍の報復がある。

 それに倣って、中位魔族の眷属へと下位魔族がなった場合、それは中位魔族と同等とみなされて、他の下位魔族は手出しができないのだそうだ。

 レアンは上位魔族に位置しており、その眷属達を有しているわけだが、レアンの兄であるファメールは、上位の中でも更に魔王クラスに近い位置に居る為、ファメールの眷属の証である竜の鱗を持つ里桜には、魔王を除く全ての魔族が手出しできないのだと言う事らしい。


「報復って?」

「クラスによりますが……魔王クラスの眷属に危害を与えた場合は7倍の報復が入ります」

「危害ってどの程度なの? だって、喧嘩もできないとか不便じゃない?」

「いえ。報復は、『殺意』の有無で変わりますから。それもほんの僅か程度では無く、本気で命まで脅かそうとまでするような強い殺意です」


 つまり、里桜はあのライオン男から強烈な殺意を抱かれていたということだった。勿論、それはレアンに対しての逆恨みであったが、里桜はレアンの邸宅に住んでいながら、首筋に眷属である証が無い事が災いし、標的にされたのだ。

まさかレアンの邸宅の者がファメールの眷属だとは思いもせず、ライオン男は見落としてしまったのだろう。


「そもそも上位魔族の眷属に危害を加えようだ等、考えませんから。竜の鱗のネックレスがあれば普通は安全なのです」

「そっか、ファメールさんの言った『お守り代わり』って、そういう事なのね」


 里桜はまじまじとその灰色の薄透明をした鱗のネックレスを見つめた。ふと、事件の時の記憶が里桜の脳裏に霞んだ。

 ――あれ? あの時、ネックレスが光った様な? まあ、夢、だよね?


「もしもレアンが私の血を吸ったらどうなるの? 殺意が無いならその『報復』は無いんでしょう?」


 里桜の言葉にレアンは顔を真っ赤にした。何故レアンが顔を真っ赤にしたのか不思議に思って見つめていると、デュランやイリーがサッとその場を離れ、誤魔化す様に「さあ、準備の続きしなくっちゃ!」と、いそいそと二人から離れて行った。


「あれ? 私、何か変な事言ったかな?」

「えーと、ですね……」


レアンは顔を真っ赤にしたまま言いづらそうに口を開いた。


「リオは、処女……ですよね?」

「へ!?……う、うん……」


 どうしてそんな恥ずかしい事を聞くのだろうと、レアンの言葉に里桜までも顔を真っ赤にすると、レアンは小さく咳払いをした。


「まず、一つに通常人間の処女であれば私の眷属になります。ですが、リオの場合には弊害がありまして」

「弊害?」

「他の魔族の眷属にすでになっている場合、契約解除の儀式が必要なのです。もっとも、兄上のそれは、眷属にしたと言っても準眷属の状態といいますか。里桜が身に着けているネックレスを外しさえすれば眷属では無くなります。本来、その竜の鱗は眷属となるものの肉体に植え付けるものですから」

「えー! 痛そう!! じゃあ、レアンの眷属になるには、まずは契約解除が必要になるということなのね。その後は?」

「最初に言った通り、眷属になるとまずは魔族ランクがリオにも付与されます。それと、体質が主人と同じになりますから、人間よりも寿命が延びたり、私であれば……そうですね、霧や蝙蝠に変身したりできるようになるかもしれません。能力がどの程度移行されるかは人により異なりますから」


 例えば、もしもレアンの眷属になったあとに日本に戻ったらどうなるのだろう?と、考えて里桜はゾっとした。

 この国ではファメールの魔力があるから日の光の下で生活ができるわけだが、日本ではそうはいかない。一生暗闇での生活を余儀なくされるのだ。


「そっかぁ。それは困っちゃうなぁ……」


里桜の言葉にズキリと胸を傷めながらレアンは頷いた。


「もう一つは……リオの血を吸った場合、私が力を抑えられなくなります」

「どういうこと?」


レアンは大きな体をシュンと小さくし言いづらそうに言葉を続けた。


「人間の処女の血は、私に限らず魔族にとって魔力増強剤に値します。更に私はヴァンパイアの性質上、血を糧にしますので、魔族本来の本能といいますか、破壊や破滅……といった暴走行為に及ぶのです。そうなれば、眷属も皆等しく力を暴走させ、多大な被害を生む事でしょう」


――もしもそうなったら、国を守る為アルカやファメールの手を汚させてしまう。

 レアンはため息をつき里桜を見つめた。里桜をかわいく愛しいと思う気持ちに偽りは無い。だからこそ離れるべきなのだろう、と考えて、心臓が締め付けられるような思いに驚いた。


「レアン様、リオ。お茶の用意ができましたのでどうぞ」


イリーに呼ばれ里桜は返事をすると、レアンの手を引いた。


「行こう、レアン。今日はね、チーズタルトを焼いたの!」


 微笑んで頷き、里桜の手の小ささや華奢で細い指の感触を感じ取った。これほどにか弱く可憐な少女だからこそ守りたい。しかし、自分にはそんな資格は無いのだと、唇を噛み締めた。


 邸宅に戻り、夕食を取ろうと食卓についたレアンの目の前に着飾った姿の里桜が現れた。

 いつも三つ編みにしていた長い髪を解いてサラサラと肩から零し、淡い群青色のドレスに身を包んでいた。レアンは思わず見惚れ、ハッとして慌てて席を立つと、椅子を引いて里桜をエスコートした。


「イリーが悪戯心で準備していたドレスなの。変かな?」

「いえ、とても良くお似合いです」


 美しい、と、そんな言葉を口に出した事のないレアンが思わず言いそうになるほどに里桜は美しかった。

 彼女がゆっくりと瞬きをするその姿は神々しくさえあり、天から舞い降りた聖女だと、己が魔族であることすら忘れてレアンは見入ってしまった。


「……レアン?」

「あ、すみません!」


 里桜が人間の処女であると知った途端、自分は何を妙な意識を抱いているのかと自己嫌悪し、手を合わせると、里桜と一緒に「頂きます」と、言った。


 それは久々に静かな食事だった。里桜が来てからというものの、口数の少ないレアンが里桜とはよく会話するので、デュランやイリーまでも会話に加わり食事が賑やかだった。

 静かに食事を勧める二人を、デュランとイリーは不安気に、けれど、それを見せない様にと口を真一文字に閉じ見守った。


 ――レアン、どうして何も言ってくれないんだろう。やっぱり私が女の子だから嫌になっちゃったのかな。

 里桜は食事をする手を止めると、涙で滲む瞳を抑えた。イリーがそれに気づき、ナフキンを差し出そうとした時、ガタリと音を立ててレアンが立ち上がった。


「……ご馳走様でした」


里桜がよく口にする言葉をレアンは伸べると、そのまま食堂を出て自室へと戻ってしまった。

 泣きじゃくる里桜をイリーが宥め、デュランは黙々と食事の片付けを始めた。


 翌日から、レアンが邸宅に帰る時間が更に遅くなった。

 デュランとイリーはまた元の生活に戻ったと思いながらも、沈む里桜を気に掛けていた。

 そんな中、アルカとのデートの日がやってきた。イリーは腕を振るい里桜の髪を結い、お洒落に着飾らせた。

 見送りの為、レアンはその日は城に行く時間を少し遅らせて、里桜の支度を待ってくれていた。

 準備が整い、里桜はレアンの自室の扉を叩いた。返事があり扉を開けると、騎士の甲冑を着込んだレアンが席から立っていた。里桜を見つめ優しく微笑んだので、いつものレアンだと、里桜はホッとした。


「似合っていますよ」

「有難う。レアンも、騎士の鎧カッコいいね」


照れた様にレアンは頭を掻くと、「ありがとうございます」と視線を僅かに逸らし、咳払いをした。


「リオ、アルカと出かける前に少し話があります。いいですか?」


 里桜は頷いてレアンの自室へと入り、扉を閉めた。レアンが里桜を椅子に促して座らせると、向かい合った椅子に彼も座った。

 何の話だろう、と、気まずくて俯く里桜に、これもまた言いづらそうにレアンも俯いた。が、意を決しレアンは口を開いた。


「リオ、貴方の住まいをアルカに託そうと思います」


レアンの言葉にフッと体の力が抜け落ちる様な感覚に陥り、里桜はしっかりしなくてはと、拳を握りしめた。


「兄上にも話してありますから」

「そ、そっか。わかった」


 我儘は言えない。自分は居候の身なのだし、レアンの眷属にもなれない。里桜はそれだけ頑張って答えると、立ち上がった。


「……じゃあ、アルカが迎えに来るから、私、行くね?」


 扉に手を掛けた里桜を見てレアンは立ち上がった。その勢いで椅子が倒れたが構わずに、立ち去ろうとする里桜の手を掴んだ。

 ――――抱き寄せて彼女の唇にキスをする。


「……レアン?」


 ハッとしてレアンは里桜の手を離した。彼は里桜の手を掴んだまま硬直していた。なんという妄想を自分はしてしまったのかと恥じて、顔に手を当て、レアンは大きくため息をついた。


「大丈夫? レアン、顔色が悪いよ」


心配そうに見つめる里桜から視線を外し「すみません、大丈夫です」と、レアンは背を向けた。


「リオ様。アルカイン様がいらっしゃいました」


扉がノックされデュランが声を掛けたので、里桜は返事をし部屋から出て行った。


 ――自分はどうしてしまったのか。やはり、里桜はこの邸宅に居ては危険だ。丁度いい機会だったのだろう、と、ため息をつきながらレアンは自己嫌悪に陥った。

 もしも、万が一。何かの拍子に里桜の首筋に己の牙を立ててしまったらば……

 ぎゅっと拳を握りしめると、レアンは自室の窓の外を見つめた。デュランにエスコートされながら邸宅の門扉へと向かう里桜の姿を見える。

 

 ――私は、彼女に醜い姿を晒し、もしかすればこの手にかけてしまうかもしれない……


「守るべき貴方を傷つける事だけは絶対になりません」


 片手で顔を覆い、レアンは己の存在を呪った。

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