第12話 怨恨

 里桜がレアンの邸宅の居候になって数週間程が過ぎた。里桜は使用人達に心底好かれ可愛がられており、レアンもまた当然の如く里桜を可愛がり、里桜が来てからというものの仕事を終えて帰宅する時間が早くなっていた。

 いそいそと帰路につくレアンを、騎士団の者達は皆不思議そうに首を捻りあれやこれやと噂をし『恋人ができたのでは』という説が有力になっていた。

 それもそのはず、勤務時間が終わる頃になるとレアンは落ち着かずにそわそわとし始めるし、邸宅のある方向を見つめたまま物思いにふける姿も散見されたからだ。

 とはいえ、彼の仕事はいつも以上に早く完璧だったので、『恋煩い』では無いのだろうと皆思っていた。きっと守りたい物ができたのだ。そのうちにおめでたい知らせがあるに違いないと、部下である騎士達は敬愛する団長の幸せを嬉しく見守っていた。

 その日、里桜は邸宅の厩舎きゅうしゃで馬の世話をしていた。数名の使用人達と手分けをして厩舎の掃除をし、馬に餌と水をやったり背にブラシをかけたりと、なかなかに重労働だ。

 馬は八頭程居てどれも大人しくよくしつけされていた。レアンの愛馬達は重い甲冑を身に纏ったかなりの長身であるレアンを乗せる為、皆筋肉隆々で普通の馬に比べ大きい。

 頑張り過ぎる里桜の身体を気遣ってイリーが使いを頼んできた。


「ぴかぴかの馬を連れてレアン様をお迎えしにお城に行って貰えるかしら?」

「うん。わかった」

「お城への道はわかる?」

「大きくて目立つお城だから迷子になりようがないよ」

「ごめんね、皆手が離せないからリオ一人で大丈夫かしら」

「うん、全然平気! 帰ったら、またお菓子を焼くね!」

「楽しみにしてるわ」


里桜が迎えに行けばレアンは大喜びだろう、と、イリーは敢えて里桜を一人で行かせる事にした。


「かわいい子には旅をさせろとは言うけれど、どうも過保護になっちゃうのよね」


「いってきまーす」と、手を振る里桜を見送りながら、イリーはまるで自分の息子を初めてのお使いに出す母親の様な気分になり、頬に手を当ててため息をついた。

 馬の手綱を引きながら里桜は邸宅の門から外へと出た。馬が一緒だとはいえ、一人で街に出るのは初めてだ。冒険にでも行くような気分でぎゅっと馬の手綱を握りしめた。

 露店の立ち並ぶ街道を歩くと、露天商が陽気な声を張り上げて客引きをする。街は相変わらず賑わっていて沢山の人々が往来しており、魔国である為当然のように半獣、爬虫類系もいるわけだが、皆和気あいあいと争う事無く生活している様だ。

 里桜の引く馬の馬具に取り付けられている印章は、レアンの家の者である証だったので、相当な剣の使い手で騎士団団長として名の通っているレアンの家の者に誰もちょっかいを出そうとは思わない為、安全この上ない。


 ――――はずだったのだが。


「よーぅ、少年~」


 髪がボサボサで髭が顎からこめかみにまで繋がっているライオンの様な大男が、突然里桜の肩をドンと叩いた。

 もしかしたら本人は優しく叩いたつもりなのかもしれないが、その力はかなりのもので、里桜は思わず転びそうになり驚いて振り向いた。

 ライオンのような大男は鍛え抜かれた筋肉隆々の両腕を組み、覗き込む様に里桜を見た。


「騎士団団長のレアンの家の者か。見ねぇ顔だなぁ」


レアンの知り合いの様だ。少し乱暴で怖いけれどお行儀よくしなくちゃ、と、里桜は愛想笑いを浮かべた。


「はい。最近お世話になっております、里桜と言います。宜しくお願いします」


 ライオン男は下品な笑い声を上げると、「なんだコイツ、弱そうだなぁ」と言ってニヤニヤと里桜を見た後、里桜の持つ馬の手綱を奪い取った。


「ちょっと! 何を……!」

「うるせえ!」


 バシリと頬を殴りつけられ、余りの力に里桜は脳が揺さぶられてくらくらとした。後からジリジリとした頬の痛みを感じ、恐怖と共に里桜に怒りが湧いた。

 ぎゅっと歯を食いしばり、里桜は負けじと手綱を取り戻そうと食って掛かった。


「返してよ!」

「流石、レアンの愛馬だけあっていい馬だなぁ。貰っていくぜ?」

「ダメに決まってるでしょ! 返してったら!」

「ああ!?」

「手を放して! 止めてよ!!」


 お世話になってるのに、馬まで盗られちゃったら合わせる顔が無い! と、里桜は必死で食らいついた。ライオン男はあざ笑う様に里桜をいとも簡単に手で払う。


「なんだ? おめえ、首筋に印がねぇじゃねえか。レアンの従者なんて嘘っぱちだろう? 盗んできたんだ。そうなんだろう?」

「首筋の印? なんのこと? 盗んでなんかいない! 手を放してよ! これからお城にレアンを迎えに行くんだからっ!」

「おまえみたいなガキがレアンの馬を引いてるなんておかしいだろう!」

「触らないでよ!!」

「ガキが俺様に盾突くなんていい気になってんじゃねぇ!!」


 里桜の脳裏に浮かぶ、ボロボロに切り刻まれた制服。投げつけられる教科書。トイレの床に座り込む惨めな自分。


『お嬢様気取りで良い気になってるんじゃない!』


 ……いい気になんかなって無い!


 ……そうかな?なっていなかったのかな? 私……に、何されたって平気。気にしないって、見下してなかったっけ? でも、仕方ないじゃない。自分を守る為にはそんな風に思うしか……!


―――でも、無視されるのが一番辛かった。


 皆、私を見て無い。私を居ないものだとしている。けれど、それって私もそうだった。

 私も、あいつらになんか見られたくもないって、無視して見えないフリしていたよね? そう。私が変わらなきゃ。相手を変えるには、まずは自分から。アルカもそう言っていたじゃない。


「……首筋の印とか何の事かは分からないけれど。でも、レアンを迎えに行くのは本当なの。盗んだ馬なんかじゃありません。どうか、お願いします。離して下さい」


 里桜はライオン男に丁寧に頭を下げた。騒ぎに集まった者達が騒めく中、唇を噛み、頭を下げ続けた。


「お願いです信じてください。迎えに行くのが遅れたら、レアンはきっと心配しちゃうと思うの。ただでさえお世話になっているから、余計な心配をさせたくないんです」

「俺ぁな。レアンの奴が大嫌いなんだ。真面目ぶって偉そうで自分が常に正しいと思ってやがっていけ好かねぇ。眷属でもねぇ奴があいつの馬を引いてるなんて、都合がいいったらねぇな。おら、目障りだ。消えな」

「そんなっ! レアンの悪口を言わないでよ! レアンは立派な人だもの!」


ライオン男は短剣を抜いた。


 ギラリと輝く刃に里桜は目が離せず、息が止まるような思いで身動きができなくなった。


「痛い目見ねぇとわからねぇようだなぁ!」


 首を左右に振り怯える里桜をライオン男は切りつけて、力任せに突き飛ばした。


 刃が里桜の肩から胸を引き裂き、里桜は激痛に顔を顰めた。真っ赤な鮮血が飛び散り点々と大地に零れ落ちる。痛みに堪えかねて里桜が叫ぶと、突然白い光がライオン男めがけ里桜から発せられた。

 それは、ファメールから貰った竜の鱗から発せられており、ライオン男はぎゃっ!と悲鳴を上げて飛びのいた。


「何!? ファメールの竜の刻印か!! まずい!!」


 ライオン男がそう叫んだ後、天を見上げ硬直した。何事かと呆然としている里桜の前で、ライオン男はカタカタと体を震わせると、弱弱しく息を吐く様に小さく言葉を発した。


「うそ……だ。カインの……刻印………」


 ライオン男の体からフッと力が抜け、両膝をつくと、そのままドウと大地へと倒れた。

 外傷も無いはずだというのに鼻や口から大量の出血をしている。

 里桜は訳が分からないまま混乱し、痛みに耐えながらガクガクと体を震わせて小さく縮こまっていた。


「……リオ?」


ざわめく観客達の中からレアンの声が聞こえる。


「リオ!!!!」


ゆっくりと声のする方へと視線を向けると、慌てて観客達を掻き分けて駆けつけようとするレアンの顔が視界に入った。


――良かった、レアン……。来てくれた。

 フッと、里桜は気を失いその場に倒れた。レアンは素早く里桜を抱きかかえると、馬に飛び乗り邸宅へと急いだ。


「リオ!?」

「リオ様!!」

「一体、何が!?」

「早く、手当の準備を! 急いでください!!」


 邸宅に着くなり馬から飛び降りると、里桜を抱きかかえたレアンは甲冑を身にまとっているにも関わらず矢の如く走り、里桜に宛がっている部屋へと向かうと、ベッドに寝かせた。

 血の滲む肩から胸部の手当をする為に服を引き裂くと、レアンは驚いて里桜から離れた。


「リオ……まさか、貴方は……!」


 バタバタと駆けつけた使用人達を慌てて部屋から追い出すと、レアンはイリーだけを部屋に入れ里桜の手当をさせた。

 泣きながら里桜の手当をするイリーに、レアンは黙って壁に背を当て視線を外していた。


「リオ、ごめんね! 女の子なのに、こんな傷……! 一人で街に行かせるんじゃなかった。本当にごめんね!」

「イリアナ……」


声をかけたレアンに、イリーは額を床に擦りつけんばかりに深く頭を下げた。


「レアン様! 申し訳ございませんっ! リオに、レアン様を迎えに行くように言ったのは私なんです!」


レアンは頷くと壁から離れ、手当を終え眠る里桜の側へと行って、顔を覗き込んだ。


「今回の件は私への逆恨みによるものです。イリアナに非はありません。私の落ち度です。リオには申し訳ない事をしてしまいました」

「レアン様。リオは恐らく、アルカ様から魔力を分けて貰っています。怪我を治療して貰ったと以前言っていたので」


イリーの言葉にレアンは唇を噛んだ。


「……アルカを、探してきます」

「レアン様」

「イリアナの言う通り、リオにはすでにカインの刻印が」


イリーは瞳を見開いて里桜を見つめた。カインの刻印……。つまり、里桜は……


「……レアン様はそれで宜しいのですか?」


イリーの言葉にレアンは頷いた。


「死ぬような怪我ではないとはいえ、女性であるリオに傷を残したくありませんから。……私では駄目なんです」



――――痛い……痛いよ!


 激痛に苦しみ、ぎゅっと体中を強張らせる。


『早くその馬をよこせ! くそガキめ!』


いやだ。この子はレアンの馬だもの! 絶対に渡さない! あっちへ行ってよ、ライオン男めっ!


 痛みはどんどん強くなっていき、段々と気力が奪われていく。


 ああ、私、死んじゃうのかなぁ。どうせなら痛くない方が良かったな。しかも、レアンの馬まで奪われちゃって、私ったら何て役立たず。


『リオ』


この声……


『大丈夫。助けてやるからな。ちょっと待ってろ!』


アルカ……?


 フワリと甘い香木の様な香りが里桜を包み込み、痛みがすぅっと引いていく。


ああ、アルカ。いっつも私を助けてくれる。アルカ……。



「レアン、一体何があったんだ?」

「すみません。騎士団を退団させた者が逆恨みを。リオが、うちの印章の入った馬を引いていた事とリオの首に私の……」

「……そっか。わかった。リオはオレに任せてくれ。ごめん、オレも知らなかったんだ」

「アルカ」

「……リオが女の子だったなんて。少し時間をくれ。ファメールの説得も必要だから」


 レアンは眠る里桜を見つめ唇を噛んだ。


「レアン、自分を責めるな」

「私は、リオに何とお詫びすれば良いのか……!」

「傷は癒えたんだ。大丈夫。心配要らねぇよ」

「心に傷は残りましょう!」


 レアンは片手で顔を覆うと、瞳を閉じ、眉を寄せて俯いた。

 守るべき者を傷つける自分は里桜の側に居るべきではない。そんな資格は自分には無い、と、自責の念で死んでしまいそうな程に心が押しつぶされる思いだった。

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